「言葉の勉強に圧倒的に有効なのは読むこと」 東大教授が『老人と海』をモチーフに教える英語の“おいしい”読み方

「言葉の勉強に圧倒的に有効なのは読むこと」 東大教授が『老人と海』をモチーフに教える英語の“おいしい”読み方

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/05/02

英語を勉強するとき、まず何から始めますか?リスニングの練習をしたり、英語圏の国に行って文物に触れたり、少し滞在して言葉の力を磨いたり…様々な学習方法がある中で、モチベーションを維持し続けるのは大変です。そのような英語の勉強に悩む人に最適な本が『英文学教授が教えたがる名作の英語』(文藝春秋)です。

【写真】この記事の写真を見る(4枚)

この本の著者で東京大学文学部教授である阿部公彦氏は「言葉の勉強をつづけるのに圧倒的に有効なのは読むこと」と言います。食べ物に「おいしい」があるように言葉にも「おいしい」がある、と語る阿部氏の著書から、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』の「おいしい」読みどころを転載し、紹介します (全2回中の1回目。後編を読む)

◆◆◆

〈『老人と海』の読みどころ〉

ヒーローは自然と戦う

『老人と海』の粗筋には、「まるでハリウッド映画みたいだ」とか「いかにもアメリカ的だ」といった感想を持つ人も多いでしょう。

たしかにそうです。まずは高々と屹立(きつりつ)するヒーローの存在があります。ストイックで寡黙で男っぽくて、誰がどう見ても物語のど真ん中にいる。注目度満点で、「俺を応援しろ」感がたっぷりです。加えて、いかにもヒーロー風の苦み走った陰があり、哀愁が漂う。しかも物語の山場は、このマッチョなヒーローの孤独な「闘い」なのです。相手はとりあえず魚だけど、実際には大自然そのものを敵に回しているかのような、かなり向こう見ずな挑戦性があります。

No image

©iStock.com

設定としてはキューバの漁師の話なのですが、いやあ、アメリカだなあ、と思わずにはいられません。

実際、このような設定はアメリカの小説に頻繁に見られます。とくに海を舞台にした作品で思い浮かぶのは、クジラを相手に壮大な闘いが演じられるハーマン・メルヴィルの『白鯨』でしょう。クジラに怨念を抱き、地の果てまで追いかけようとするエイハブ船長には常人離れしたところがある。そんな彼の視線の中で、クジラの方もただのクジラをはるかに超えた神秘的な存在となる。

『老人と海』にしても『白鯨』にしても、魚やクジラとの対決はきわめて象徴性が高いです。ただの魚釣りや捕鯨ではなく、格闘を通して心の奥に光があたり、ふつうなら意識しないような内面の暗がりへと読者もいざなわれる。そこには、私たちの等身大の日常感覚ではとらえられないような神話的な世界が広がっているのです。

アメリカ小説の独特さ

どうしてアメリカ小説ではこのような神話的な世界が描かれがちなのでしょう。

アメリカ小説を語るときにしばしば言及されるのはイギリス小説との違いです。アメリカは遠く離れた植民地でしたから、本国で流行したさまざまな文物もやや遅れて伝播するのがふつうでしたし、異なる環境の下では異なった発展を遂げざるをえませんでした。近代小説というジャンルもそうです。もともとノヴェル(novel)は18世紀の英国で隆盛を見ましたが、アメリカに根づく過程で、少々異なった形をとっていきます。

とくによく指摘されるのが、イギリスの小説は写実性が強く、社会の中での人間のふるまいを描くことに力点がある、これに対しアメリカ小説では多少写実性は犠牲にしてでも、濃厚で過剰でインパクトの強い極端な人物や状況、展開などが描かれることが多いということです。そもそもアメリカでは人物たちを浮かびあがらせるための背景となる社会が十分に成熟していなかったので、主人公が自然や世界や宇宙と直接対決するという構図になりやすかったともいわれます。そこでは他者との交わりの中で個人を描き出すことよりも、個人の内面や思想を徹底的に掘り下げ、それに象徴的な表現を与えるという傾向が強まってきます。そんな中、イギリス的で写実性の高いノヴェルに対し、強烈な個性や極端な展開に特徴づけられたアメリカ的な小説を、古くからあるロマンス(romance)という概念でとらえる習慣が定着していきます。

ヘミングウェイの「書き方」

『老人と海』にもこうした特徴ははっきりとあります。ただ、この作品の持ち味はそれだけではありません。とりわけ重要なのは、文体でしょう。

ヘミングウェイは文体論の授業や研究ではもっともとりあげられることの多い作家の一人です。彼の作品を読むと、誰もが「おや。これは…」とその書かれ方に注意を向けたくなる。スムースに読めないからです。簡単な単語が多く構文も比較的わかりやすいはずなのに、読んでいると引っ掛かりがあって、つい「何だろう?」と身を乗り出してしまう。

その大きな原因の一つは、省略の多さです。やや比喩的な言い方をすれば「寡黙さ」です。作家自身も言っているように、彼の小説は氷山の一部分だけ(全体の8分の1くらい)を描き、あとは読者に想像させることを狙っているそうです。読んでいる方としては情報がやや足りないので「あれ?」「え?」とたじろぐのですが、このような書き方はかなり意図的なものとのこと。

彼はなぜこのような書き方をしたのでしょう。どのような効果がこの文体から生まれるのか。とくに重要なのは緊張感でしょう。ぴりっとした空気が生まれる。微妙に不吉な予感が混じるからかもしれません。人間でも、無口な人というのは相手をどことなく緊張させるもの。あまりに相手が黙っていると、「ひょっとしてご機嫌斜め?」「俺のこと、きらい?」などと思ってしまう。なんか怖いと感じる。ひんやりした空気が流れる。

よくしゃべりつづける人は――もちろん話し方にもよりますが――こちらの警戒心を緩めてくれます。おそらくガードを解いている感じがこちらにも伝わってくるからでしょう。安心させる。空気もどことなくなごむ。

ヘミングウェイの文章はしばしば「ハードボイルド」の典型とされてきました。この用語はアメリカ小説を語るものでありながら、日本で特に好んで使われるようで、アメリカやその周辺の文化のある側面に対する日本人の憧れを象徴する語ともなってきました。ちょっと苦み走って、マッチョで、ストイック。まさに『老人と海』のサンチアゴの生き方そのものなのです。その人物描写の土台には文体があったわけです。

拒絶の心理

ヘミングウェイの省略的な文体のもう一つの重要な効果は、心理へのアプローチと関係します。『老人と海』が出版されたのは20世紀の半ばですが、前章でも触れたようにヘミングウェイが作家として活動をはじめたのは20世紀はじめ、欧米ではモダニズムと呼ばれる実験的な芸術運動が起きていました。文学の領域でもさまざまな新しい傾向を持つ作品が書かれており、詩人ではT・S・エリオット、エズラ・パウンド、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ、ウォレス・スティーヴンズ、小説家ではヴァージニア・ウルフ、ジェームズ・ジョイスといった人々が活躍していました。

彼らの作風はそれぞれとても個性的で、一つの理念ではくくれないのですが、多くの作家に共通する特徴として、人間の心の奥をどう表現するかについての深い関心がありました。彼らは19世紀までの文学の作法では現代人の心の動きを表現することができないと考え、さまざまな方法を試していきます。ヘミングウェイもそんな時代の空気をたっぷり吸いました。

多くの部分を描かずにおく氷山理論と、そんな心理へのアプローチには通じるものがあるでしょう。心の動きはそう簡単に言葉にはならない、むしろ描かずにおいたり、ふつうの日常言語とはちがう、複雑な表現を与える必要があるのではないか。エリオットもパウンドもジョイスもウルフも、それぞれのやり方でそうした考えを深めていきますが、ヘミングウェイの作品では、そうした心理が彼の好んで書くストイックでマッチョな人物像に統合され、『老人と海』のような作品世界を生み出すことにつながったと言えるかと思います。

ただ、ヘミングウェイの一つの大きな特徴は、一見マッチョで拒絶的に見える人物や文体が、実際には共感をシャットアウトするわけではなく、むしろそうした拒絶のジェスチャーによって共感を誘う効果を生み出しているということでしょう。『老人と海』でも、寡黙な語りゆえに、人物の心理をおもんぱかったり、探ったりする衝動を促進します。そのあたりは次のセクションで。

【続きを読む】「同じandでも微妙に違う…」 東大英文学教授が教える英文中の「今にもわからなくなりそう」な感覚が重要なワケ

「同じandでも微妙に違う…」 東大英文学教授が教える英文中の「今にもわからなくなりそう」な感覚が重要なワケへ続く

(阿部 公彦/ノンフィクション出版)

阿部 公彦

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加