『ブギウギ』黒崎煌代演じる六郎の複雑な心境表現が見事 “家族を失う”梅吉の溢れた想い

『ブギウギ』黒崎煌代演じる六郎の複雑な心境表現が見事 “家族を失う”梅吉の溢れた想い

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  • 更新日:2023/11/21
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『ブギウギ』写真提供=NHK

1939年9月、ナチス・ドイツのポーランドに侵攻に端を発して始まった第二次世界大戦の影響によって本来の演出ができなくなっていた梅丸楽劇団(UGD)。その影は徴兵検査で甲種合格となった六郎(黒崎煌代)のもとにも迫っていた。『ブギウギ』(NHK総合)第37話では、梅吉(柳葉敏郎)とツヤ(水川あさみ)に見送られ、ついに六郎が戦地へと赴く。

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日に日に体調が悪化していくばかりのツヤ。そこに出征の日に向けて頭を丸めた六郎がやってくるが、恥ずかしさから母親の布団に頭をグリグリと押し付けている姿が微笑ましい。ツヤも自分の子どもが親の手を離れて戦地へと向かってしまう寂しさを押し殺していつも通り笑顔を見せる。花田家にとってはいたって日常の光景ではあるが、その背景には戦争と病気が潜んでいるだけに、単に微笑ましい光景としては見られない。

熱々先生(妹尾和夫)の紹介で専門の医師がツヤの病状を確認しにやってくる。だが、ツヤの病気はじわじわと身体を蝕んでいた。自分がもう助からないことを悟ったツヤは本当のことを言ってほしいと医師に告げる。「スズ子と六郎には……言うたらあきまへんで」と強い覚悟ができていたツヤは、夫である梅吉には「堪忍しとくれやす」と涙を浮かべる。どんな時でも明るく、気丈に振る舞ってきたツヤ。だからこそ、その一言が重くのしかかってくる。

そんなことも露知らず、はな湯で番台をしていた六郎は無邪気に戦争ごっこをして遊んでいた。いつもであれば笑顔で見守っていた梅吉だが、ツヤの病状を知った今では到底そんな気になれない。梅吉は何も知らない六郎に対して大声で怒鳴り、外へ出ていってしまう。誰にも気持ちを悟られないように振る舞いつつも、自分の感情が制御できずに一気に外側に出てしまう、柳葉敏郎の会心の演技だった。

「大きい声好かんねん」

あの純粋な六郎も梅吉の怒声には辟易していた。「父ちゃんと口きかんと思った」と語る六郎だったが、梅吉は六郎に謝罪する。「お父ちゃんな、どないしていいか分からんようなってもうてん」ーーツヤは病気で長生きできないことを知り、六郎は生きて帰ってこられるか分からない戦争へと駆り出される。大切な家族を失うかもしれない梅吉は追い詰められていた。だが、梅吉は最後まで弱みを見せずに父親であろうと努めていたのだ。
印象的だったのはツヤと六郎の会話だ。「わい軍隊では頑張るねん。どんくさいの卒業するんや」と語る六郎に対して、ツヤは「あんたはどんくさいことなんかないで。ほんまは、みんなあんたみたいに素直で正直な人間になりたい思ってんねんで。わてもや」と優しく語りかける。六郎のどんくささはともすれば欠点として捉えられかねないが、梅吉やツヤが育んできた温かい家庭環境が六郎をポジティブな性格にしてきたのだろう。「勲章をもらったら病気が治るかもしれない」という六郎の言葉は決して冗談ではない。そんな六郎の素直さがツヤの生きる糧となっていたのではないか。ここで光っていたのが黒崎煌代の演技の上手さだ。純粋でまっすぐな表情を見せる六郎だが、その表情の裏には戦争の現実を受け止めたくないという相反する感情も見え隠れしていた。その複雑な感情をたったワンシーンで表現できるのが素晴らしい。

そしていよいよ六郎の出征の日がやってきた。背広を着た六郎の表情は心なしか大人びて見える。涙を流しながら見送る梅吉だが、本当に伝えたいのは「行ってほしくない」だろう。だが、これは花田家だけではなく、日本中のあちこちで同じような光景が当時はあり、誰もが本音を押し殺しながら息子を戦地へと送り出してきた。改めて戦争の無慈悲な現実を突きつけられるとともに、梅吉の気持ちを思うと複雑な気持ちにさせられる。

どんよりとした空気が漂う第二次世界大戦下の日本ではあるが、スズ子(趣里)の歌声は受け入れられるのだろうか。

(文=川崎龍也)

川崎龍也

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