「同じモデルの『違い』を楽しむ」森永卓郎が語るトミカコレクションの醍醐味

「同じモデルの『違い』を楽しむ」森永卓郎が語るトミカコレクションの醍醐味

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  • 更新日:2023/09/19
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赤色灯(警光灯)の先端が尖っている初代のクラウンパトカー(右)と、平らになっている1997年復刻版(中)。左は2020年発売の50周年記念版(写真/森永卓郎)

隔週刊「トミカ 歴代名車COLLECTION」は、タカラトミーが厳選した歴代名車60台を、その詳細を解説したマガジンとともにお届けするシリーズ。スポーツカーからはたらく車まで、毎号付いてくるトミカはオリジナルデザインで、これを集めると、唯一無二のトミカ・コレクションが完成する。

2週間に一度の発売日には、マガジン巻末に収録されるリレーコラム「My car, My mini car」をAERAdot.にも配信。「トヨタ クラウン パトロールカー」を取り上げた9月19日発売の9号のコラムは、経済アナリスト・森永卓郎氏による「入手困難だったクラウンパトカー」だ。

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1970年にトミカが発売され、その時にボクは赤色のトヨタ2000GTを購入したのだが、その後6年間、ボクはトミカコレクションから離れていた。中学、高校時代は、ギターやカメラなど、他の趣味に関心が向いていたのと、受験勉強が降りかかってきて、コレクションに費やす時間が取れなかったからだ。

大学に入学して、トミカコレクションを再開したのは1976年で、トミカの発売から6年がたっていた。

当時は、どこの商店街に行っても、個人経営の玩具店があって、在庫管理も緩かったから、発売当時のモデルが店頭や店の奥に積まれた在庫のなかに残っていた。だからボクは初期のトミカをすべて定価で買うことができた。だが、なかなか手に入らずに一番苦労したのが、初代のクラウンパトカーだった。

それには理由がある。実車のクラウンがモデルチェンジして通称“クジラクラウン”になったため、トミカのパトカーもクジラクラウンに交代し、初代クラウンパトカーは、わずか2年の短命に終わってしまったのだ。ボクは探し回った揚げ句、箱なしの展示品をようやく見つけ出した。だからこのモデルのパッケージを入手したのは、かなり後になってからだった。

ただ、入手難だった初代クラウンパトカーは、突如、手に入りやすくなった。復刻版が登場したからだ。きっかけは、1997年に発売された初期トミカ6台を再現した「トミカ誕生コレクション'97」というセットだった。

見慣れていれば当時ものとの違いがわかるのだが、当時の復刻トミカは日本製だったから、製造国の表記で当時ものと復刻版を区別することはできない。だから、オークションサイトなどで、復刻版が当時ものとして出品されることもあった。

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左からアピタユニーオリジナル、イオンオリジナル、トミカ誕生記念コレクションスペシャル(写真/森永卓郎)

判別の一番容易な方法は、屋根の赤色灯(警光灯)だ。初代クラウンパトカーは、細分化すると5パターンの赤色灯が確認されているが、復刻版は先端が平面になっているのに対して、初期のクラウンパトカーの赤色灯は、尖っている。厳密に言うと、先端が平面の赤色灯は、当時もののパトカーにも存在するのだが、とりあえず尖った赤色灯のものを入手すれば、まず当時ものである。

初代クラウンパトカーは、これまでに多数のバリエーションが登場している。だが、その過程で、裏板がハメ込み式からカシメ式に変更になり、フロントグリルが裏板一体型の金属製から、メッキ・プラパーツに変更になっている。塗色も、通常パターンのほかに、金メッキや黒塗装の覆面パトカー仕様もある。同じモデルでも、そうした仕様違いを並べて、違いを楽しむというのも、トミカコレクションの醍醐味(だいごみ)の一つなのだ。

※仕様の違いについての記述は、森永氏の見解です

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森永卓郎(もりなが・たくろう)/1957 年7月12日、東京都生まれ。経済アナリスト、獨協大学経済学部教授。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁、UFJ総合研究所などを経て現職

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