ペットを飼っている人で、いつか来る「別れの日」のことを考えない人はいないだろう。愛するペットを失う悲しみに苦しむ人は、年間約36万人にものぼるという。それでは、ペットロスの悲しみを和らげ、人生の一部として受け入れるにはどうすればよいのだろうか。
自身も愛犬のペットロスを経験した伊藤秀倫氏の著書『ペットロス いつか来る「その日」のために』より、一部を抜粋して紹介する。
ペット休暇制度を設けた会社
現実には、多くの人にとってペットのために仕事を休むことが難しいことは承知している。それでもあえてこう書いたのは、世の中には「ペット忌引き」休暇を設けている会社もあるからだ。そのひとつがペット保険大手のアイペット損害保険株式会社で、同社が手掛けるペットロスに関するアンケート調査は本書の中でもたびたび引用している。
同社では2016年から犬・猫と一緒に暮らしている社員を対象に、「ペット休暇制度」を取り入れており、年に2日、ペットと過ごすための休暇を取得できる「ペット休暇」と、ペットが亡くなった場合に年3日(1年に1頭)の休暇を取得できる「ペット忌引き」制度を導入している。
「当社では、『ペットは家族』と捉えておりまして、経営理念としても『ペットと人とが共に健やかに暮らせる社会』を掲げています。ペット保険を取り扱う会社としても、従業員とそのペットが健やかな人生を送るための制度は積極的に導入すべきという想いから、ペット休暇・ペット忌引きの制度を設けました」(同社広報部)

写真 アフロ
当初は対象となるペットは犬と猫に限られていたが、現在では鳥、うさぎ、フェレット、ハリネズミ、モモンガ、リス、モルモット、さらにはトカゲ、カメレオン、イグアナ、カメといった爬虫類にまでペット休暇・忌引きの対象は広がっているという(犬・猫以外のペットについては、忌引きは年1日となっている)。
「2021年度の利用実績は、ペット休暇が116名、ペット忌引きは19名です。2022年度は23年1月末時点で、休暇が142名、忌引きが11名となっています」
同社の社員は2023年1月末現在で約570名というから、25%ほどの社員がペットのために休みをとっていることになる。
「ペット休暇についてはペットと楽しく過ごす以外にも、最期の看取りに近い段階になったときに、ゆっくりと一緒に過ごしたり、病院につれていったりするときにも使われています。実際にペットが体調を崩したのでペット休暇で病院につれていったところ、残念ながら亡くなってしまったので、そのまま忌引きをとったというケースもあります。転職してきた社員からは、『前の会社ではペットの体調が悪いから、早く帰るというだけでも上司にイヤな顔をされている同僚を見ていたので、ペットを理由に休みをとりにくかった。こういう制度は本当に有難いし、安心して働ける』という声も聞かれました」
その悲しみを話せる相手がいるか
何と言っても制度を通じて、ペットロスが職場で「公認」されていることは大きい。
「日頃から自分のペットの話を職場で話している社員も多いので、例えば『(ペットの)体調が悪いんです』と言ったら、上司や同僚から『もし休みが必要だったら、とって構いませんよ』と言われたという声もありました。亡くなってしまってからも、ある程度、その悲しみを職場で共有してくれる人がいることに救われるようです」
同社では、ペットロスをこじらせて出社できなくなるようなケースは報告されていないという。納得のいく「最期のお別れ」ができるかどうかで、ペットロスの重さが変わってくるということについては第5章で述べた通りだが、たとえペット休暇はなくとも「いざとなったら休む」ことの効用は、知っておいてもいいかもしれない。
ペットが亡くなった後で、その悲しみを話せる相手がいるかどうか。
ペットロスの「第一波」の衝撃を乗り越える方法は、ほぼそれがすべてと言っていい。
「どうすればペットロスから回復できるのか?」という質問に対して、私が取材したペットロスの専門家は誰もが「その悲しみを誰かに話すことが一番大事」と口を揃えた。
問題は、悲しみを明かす「誰か」を見つけるのがなかなか難しいということだ。「ペットを亡くして悲しいなんて、話された方だって迷惑だろう」と考えてしまう人もいるだろう。だからこそ前出の濱野氏や横山氏のような「ペットロスの話を聞いてくれるプロ」がいる、ということは知っておいて損はない。
一方で横山氏は、こう指摘した。
「本当は精神科医やカウンセラーでなくとも、他者に話すことでペットロスを乗り越えるきっかけは掴めるはず。注意すべきは、ペットに関わる人──獣医師や看護師、あるいはペット仲間──であっても、悲しみ方は人それぞれ違うということ。だから話をする人は、相手に自分の悲しみが伝わらない、とイラついてはいけないし、逆に話を聞く人は、すぐに『こうすれば』とか相手に指摘したり、原因を見つけようとせずに、ただ聞くことが大事です」
アンケートの回答を見ていると、実際にペットを亡くした経験のある人たちに話すことが大きな支えになったという声が少なくなかった。前出のユウコさんは、ペットロス経験のある3人の友人に連絡をとり、自身が抱えている辛さを共有してもらっている。
〈骨壺を抱いて寝たというようなそれぞれの体験を聞くことで、自分の辛さが理解されたように感じましたし、自分だけではないということがわかり、とても救われました〉
勤め先の花屋で看板犬まで務めていた柴犬の「みゆう」を17歳で亡くしたみゆきさんは、〈同じ経験をされた方に打ち明け、話を聞いてもらいました。また職場で可愛がってくれていた人が一緒に泣いてくれ、随分救われたと思います〉。
涙はまだまだたくさん流れるのですが
またロングコートチワワの「チップ」を亡くしたChipさんは、一年経ってもペットロスから立ち直ってはいないというが、〈同じく愛犬を看取った友達から『姿は見えなくても、ずっとそこにいるんだって』という言葉を聞いて、少し救われました〉と綴った。
自身の悲しみを語りながら、同じ痛みを知るペットロス経験者の言葉に耳を傾けることでも、救われるのだ。
興味深いのは、アメリカ在住の中田理恵さんがミニチュアシュナウザーのライリーを亡くした後で、友人から教えられて参加したペットロスの「サポート座談会」である。ペットを亡くした経験があるという共通点だけで全く見知らぬ者同士が集まって、それぞれの喪失体験と悲しみを語るだけでも、「本当に救われる思いがしました」という中田さんはこう語ってくれた。
「私自身、最初は知らない人に自分の悲しみを打ち明ける羞恥心の方が勝っていましたが、その場にいる人たちが本当に共感してくれているのを感じて、悲しみが少し軽くなるような気がしました」

写真 アフロ
むしろ相手が知らない人たちだったからこそ、「ペットを亡くした」という唯一の共通点が時間とともに深い絆へと変わっていったのかもしれない。アメリカと日本の文化の違いはあれど、日本でもこうした試みはもっとあってもいいように思う。
ところで、アンケートの回答者の中には、アンケートを書いて自分の気持ちを表に出したことで、救われたという感想を寄せてくれる人も意外なほど多くいた。
〈アンケートに答えることで、頭でただ思っているだけではなく、口にする。言葉にする。書く。描く。そういった丁寧な時間を持つことが「失った」ことばかりに目が行きがちな気持ちをたわめ、幸せな時間と関係を確かにしてくれ、支えになるのではないかと感じました〉(那由多さん)
〈(ペルシャ猫の)フェアリーちゃんとの別れについて軽く話されたくないという気持ちが強く、誰にも話すことなく過ごしておりました。同じ境遇を経験された方に思いを伝える、涙はまだまだたくさん流れるのですが「涙活」も大事だと今回改めて感じたりしました。このような形でお話しさせていただけたこと、ある意味感謝の気持ちでいっぱいです〉(よんはちさん)
このアンケートのサイトは、この新書が刊行された後には、閉じるつもりだった。だが、ここで悲しみを綴ることが、ペットロスの渦中にいる人たちにとって何らかの救いになる可能性があるのだとすれば、もうしばらくサイトはそのままにしておこうと思う(「伊藤秀倫のブログ」もしくはインスタグラム「保護犬レタラの冒険」より)。少なくとも私は、ライターとしてのライフワークとして、回答をお寄せいただいた方とペットの「物語」をずっと読ませていただくつもりでいる。
文=伊藤秀倫
伊藤秀倫