横浜銀蝿、ファイナルツアーへの思い 4人で叶える真の夢

横浜銀蝿、ファイナルツアーへの思い 4人で叶える真の夢

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  • 更新日:2021/10/14
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横浜銀蝿(写真=石川真魚)

昨年37年ぶりにJohnnyが合流、オリジナルメンバー4人で奇跡の復活を遂げた横浜銀蝿。当初は昨年1年間の期間限定の復活だったが、新型コロナウイルスの影響による度重なるツアーの延期などによって活動期間を1年延長。しかしそんな逆境をチャンスに変え、当初の予定にはなかったニューアルバム『ぶっちぎり249』を9月8日にリリースしてファンを喜ばせた。コロナ禍を駆け抜けた横浜銀蝿40thのリアルな思いが込められたアルバム『ぶっちぎり249』について、まるで少年のように笑いながら語った4人。そしてツアーについて「この4人のメンバーでツアーをやるのが夢だったと分かった」と語った翔。活動終了まで約3カ月、ファイナルツアーに向けた気持ちを聞いた。(榑林史章)

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■ライブもレコーディングもアナログ的

ーー今回のアルバムに対しては、どんな思いですか?

翔:前作の『ぶっちぎりアゲイン』はまだコロナ禍前だったから、予定通り2月に発売できたんだけど……。本当は、2020年にオリンピックが開催された後に1枚最後のシングルを出して、そしてファイナルとしてホールツアーという計画だったんです。それがコロナで全ての予定が狂ってしまって。本当に散々な目に遭ったよね。それはエンタメ業界全体がそうだし、飲食業界もそうだし、医療従事者に至っては、今もまだ休みも取れず頑張ってくれている。でも、そこは逆の方向に考えようと思って、1年延期になって時間ができたから、今この状況の中における俺たちのリアルな気持ちで、最後にもう1枚アルバムを作ろうと。それでも1月に感染が再拡大したことで、スタジオに入れなくなったりして、3月の発売予定から半年遅らせて9月になったんだけど。そういう意味では、もしかすると幻になっていたかもしれない。つまり俺たちにとってもファンにとっても、これは幻のアルバムなんです。なおかつファンの子から、ライブでやってほしい曲のリクエストを募って、それをライブレコーディングしてDISC 2に収録することもできた。それを思えば、みんなに1つプレゼントができたし、俺たちもラッキーだったと思えます。

ーーこんなことを考えてはいけないのでしょうけど、もしまた事態が悪化したら、もう1年延長ということはあり得ますか?

翔:それは考えないようにしています(笑)。それに万全の感染対策を取って、エンジン全開でツアーができるように準備していますから。先のことは分からないけど、誰も分からない未来を案じて不安がっていては、いいステージはできない。それにファンの子には、Johnnyを含めた横浜銀蝿40thという姿を、最高の形で見せてあげたいじゃないですか。今は余計な邪念を捨てて、ホールツアーに向けて頑張っているという状況です。

ーー9月8日にリリースされたアルバムのタイトル『ぶっちぎり249』の数字は、皆さんの年齢を足すと249歳だと。どうしてこういうタイトルにしたのですか?

翔:Johnnyからの提案だったんだけど、4人のリアルが詰まったアルバムにしようということで。249年分の俺たち一人ひとりの人生を、全部まとめて詰め込んで、最後にみんなへ渡したかったんです。

Johnny:249年分って、すごくないですか? なかなかないですよ。あと国道の名称っぽくて、バイクに乗っている俺らっぽいし。

翔:そうそう。何て読ませるか考えた時に、国道ニーヨンロク(246)があるから、ニーヨンキュウがいいよねっていう話にもなって。

ーーアルバム『ぶっちぎり249』は、横浜銀蝿らしいかっこよさ、男らしさ、優しさ、温かさ、全てが詰まっています。シワは増えたけど心の奥底にあるものは、今でもピカピカなんだなと思いました。

翔:ありがとうございます(笑)。

ーーコロナ禍での制作はどのようなものだったのですか?

翔:当然リハーサルもそんなにたくさん入れる状況ではなかったから、各自でデモテープを作って、数少ないリハーサルで「こんな感じの曲ができたよ」と持ち寄って、少しずつ仕上げていった感じです。みんなから結構しっかりした案が出たので、楽曲、アレンジ、最後のバラードまでの流れは、Johnnyが戻って来たからこそのできあがりになったと思うので、それに関してはちょっと自信があります。

ーーDISC 2に収録の『STUDIO LIVE ALBUM 横浜銀蝿40th ぶっちぎり大投票 ~みんなで決める銀蝿ベストテン~』は、どんな状況でしたか?

翔:ライブレコーディングだから、バラバラに録って後でミックスするわけにはいかない。12月末にレコーディングする予定だったけど、1月に緊急事態宣言が発令されたことで、スタッフとJohnnyはスケジューリングなどが大変だったと思います。実際にレコーディングする時は、ワクワクしたしすごく楽しかったですよ。しっかりやりながらどこか粗さもある、俺たちらしさがDISC 2には出ていると思う。

Johnny:基本的な録り方は、1980年代の当時と同じなんです。今はリモートとかデータを持ち寄ってできたりもするけど、基本は顔を合わせてやるというとても昭和的なレコーディングでした。顔を見てタイミングを見て、呼吸を合わせる。特にDISC2に関してはスタジオライブの一発録りだったんで、かなりアナログ感があると思います。

ーーレコードを聴いているような感じでした。

Johnny:うん。ちょっと音の話からズレちゃうけど、Zeppツアーの最終日に翔くんのギタートラブルで、急遽イントロが長くなったということがあって。同期ものを使うバンドだと対応しようがないけど、俺らはライブでも同期ものを入れないしアナログチックだから、フリーサイズでできるんです。その時「そうだよな、これがバンドだよな」ってすごく実感しました。

■40年の時を経て立ったNHKホールの舞台

ーーアルバムには各自のソロ曲も収録。昭和から生きている親父たちだからこその説得力、伝えられるメッセージがあると感じます。TAKUさんの「OYAZi ROCK」は、まさしく親から子に向けたメッセージソングです。

TAKU:昔、嵐さんが「親父」という歌を出して、それは子である自分が親の背中を見ているという歌だった。戦争を体験して、多くを語らない親父の背中を見て、「俺もいつか!」みたいな。時代が変わって俺らがその年代になり、ちょうど息子が大学を卒業して巣立った時期だったのもあったし。娘もいるけど、息子はやっぱり少し違うじゃないですか、男同士みたいなところがあって、いろいろ思うところがあったんです。きっと俺と同じように思っている親父たちが、世の中にはいっぱいいるだろうなと思いながら書きました。初めて息子が喧嘩して泣かされて帰ってきた時も、いろんなことを思ったんだけど……。その息子も今では身長185センチ、体重も100キロ以上あって俺よりデカいんです(笑)。

ーーファンにも子を持つ親父は多いと思うので、きっとみんな泣いていますね。TAKUさんの声は甘さがあって、昔から変わっていない感じがしました。

TAKU:だいぶ変わったんですよ。正直、キーがだんだんきつくなって。DISC 2の「Drive On シャカリキカリキのRock’n Roll is 大好き」は、半音下げて歌っているんです。

ーーテンポも少し遅くなっていますよね。

Johnny:昔が速すぎだったんです(笑)。

TAKU:今、当時の曲を聴くとムチャだよなって思う。

Johnny:半ば意地になってやっていたところがあったよね(笑)。

ーー嵐さんの「おはよう」は日常感というか、当たり前の大切さを改めて実感させられます。

嵐:自分の生活の一部です。俺はこうやって生きているよって。曲を作ろうと思った時に、ほかのメンバーに負けたくなくて、ふと思ったのは、自分の生活の一部を切り取ったらどうかと。ほかのメンバーとは全然違う生き方をしているから、生々しいけど面白い曲になるんじゃないかと思って。

ーーにわとりの声で始まるという。

嵐:にわとりの声は、こいつ(TAKU)が勝手に入れたの。でも、すごく気に入ってるよ。

TAKU:嵐さんは俺の好きなようにやらせてくれるから、やりたい放題やりました。でもああいう「コケコッコー」なんて、今はどこでも聞けないよね(笑)。

ーーJohnnyさんの曲「蒼い夜に抱かれて」は、翔さんの作詞です。翔さんの歌詞をJohnnyさんが歌うのは、これが初めてだったそうですね。

Johnny:そうなんです。俺と翔くんは高校生の時からの同級生で、ずっとバンドやったりしてきて。俺が作曲で翔くんが作詞という共作曲もすごく多いんですけど、俺がソロで翔くんの歌詞を歌ったことは1回もなかったんですよ。だから、これが最後の機会だと思って、「翔くんちょっと書いてよ」って頼んだんです。『雨の湘南通り』みたいにグッとクる少しキザな、聴いてて恥ずかしくなっちゃうようなやつでいいから」って(笑)。

翔:Johnnyから聞いて、「そうだったっけ!?」って自分でもびっくりしました。いつもJohnnyの曲でもTAKUの曲でも作詞する時は、俺が歌うことを前提に書くんだけど、Johnnyとは付き合いが長いのもあってか、曲を聴くだけで情景と色が浮かぶんです。そこにJohnnyが歌うこともイメージしたら、どんどん筆が進んで本当にあっという間に書けました。

Johnny:まさしく「そうそうこんな感じ!」という歌詞でしたね。〈今でも俺は好きだぜ〉っていう歌詞があるんですけど、そこは恥ずかしがらずになり切って歌いました。

翔:考えてみてくださいよ。約35年現役を退いて63歳になった今のJohnnyが、往年の銀蝿ファンに「今でも俺は好きだぜ」って歌うんです。想像したら、俺も「キャーッ!」ってなっちゃって(笑)。作品としての完成度もあるけど、作詞の面白さってこういうところにもあるなと思いました。もっと早くからJohnnyが歌う曲の歌詞を、俺が書かせてもらっておけば良かったなって。それくらい作詞が楽しかった曲です。

ーーまた、「ツッパリHigh School Rock’n Roll(在宅自粛編)」と「逢いたくて 逢いたい」は、コロナ禍だからこそ生まれたもの。「ツッパリHigh School Rock’n Roll(在宅自粛編)」は、SNSで反響が大きくYouTubeで100万回再生を記録しました。

嵐:「ツッパリHigh School Rock’n Roll」は、「登校編」や「試験編」などいろんなパターンがあるから、それだけでアルバムが出せるんじゃないかと(笑)。

Johnny:すごく反響があって、そのおかげで初めてNHKに出られました。NHKは80年代当時、ラジオ番組に1回出ただけ。それが40年を経て今回、ネットで見た担当者が面白がってくれて、NHK『うたコン』に出させていただいたんです。

翔:NHKホールで歌えたのは、すごくうれしかったです。『紅白歌合戦』には出られなかったから、「ここが『紅白』をやっているNHKホールか~!」って感慨深かったです。

ーーそして「逢いたくて 逢いたい」は、このタイトルの二言だけで構成された歌なのに、実に様々な思いが伝わってきます。アルバム発売延期やツアー開催延期を受けて、制作された曲とのこと。

翔:最初は、「仲間と会えない時間はつまらない」という思いから始まって。ツアーが2回も3回も延期になって結局1年できなかったんだけど、その間にファンの子たちから「早く会いたい」というメッセージをすごくたくさんいただいて、「申し訳ないな」という思いも重なって。そんな矢先に医療従事者の友だちと話す機会があったんですけど、毎日人を助けることに精一杯で、親や友だちに会いたいとか考えなくなったと聞いて、そのことに、すごくショックを受けたんです。それって本当に異常なこと。それで、会いたい人に会いたいという、その気持ちを思い出させる歌を作りたいと思った。言わば応援歌です。そういう気持ちで歌詞を書こうとしたら、何時間もかかってすごく苦労したんだけど、結局ほかの言葉はいらない、1番ほしかった「逢いたくて 逢いたい」という言葉だけで歌を作るところに行き着いたんです。

嵐:最初の歌詞カードを見た時は、「舐めてんのか!」って思いました(笑)。それが楽曲として聴いたら、「こういうやり方だったんだ」って、びっくりして感動した。余計な言葉がない分、聴く人それぞれが会いたい人に重ねることができるから、すごくいいよね。

TAKU:この曲は、スタジオで翔さんが目の前で弾いて歌ってくれたんだけど、仮歌詞だと思ったんです。まだ歌詞が上がってないから、適当にメロディと雰囲気だけ伝えてくれているんだろうと。だからずっと、「いつ歌詞が付くんだろう?」と思っていて、完成したら「そういうことね!」って、後追いで知ったみたいな(笑)。

翔:好きなように聴いてくださいというのが、ここに込められた思い。久々に、自分の中から湧き出て作った曲です。

■ここが、俺たちが目指していた場所

ーーそんなアルバムを引っ提げて、10月14日からラストツアー『ファイナルツアー バハハ~イ集会「昭和魂 永遠!」』がスタートします。

翔:はい。活動は12月31日までなので、横浜銀蝿40th単独での有観客ライブは12月17日の神奈川県民ホールが本当のラストになります。全12本公演全国を回って、Johnnyを加えた横浜銀蝿40thは終了します。

ーーそこに向けて、今どんな思いですか?

Johnny:あと約3カ月で最後になるので、最後の雄姿をぜひ見に来てほしいです。

ーー寂しさもありますか?

Johnny:どういう気持ちになるかは、その時にならないと分からないですけど。今は「これから始まるんだ」という楽しみな気持ちしかないですね。

嵐:まあでも、あと3カ月でJohnnyがいなくなるのは正直寂しいです。俺は本当に、最後にこのメンバーでできて良かったと思っていて。バシッとピシッと決まったなと思っている。それがコロナで「あれ?」っていうことになって、バタバタと2年が過ぎてしまったのがちょっと辛いよ。だからこのツアーが最後というのは、本当に残念で仕方がない。気持ち的には、ツアー以外の日も毎日みんなと会いたいくらいだよ(笑)。年間150本ライブをやっているバンドもいるんだから、そういうツアーもやってみたかったなって思う。どうせ最後なんだから、明日から毎日やったっていいんだけどね。

Johnny:そういうことができる状況だったら、やりたかったけどね。

TAKU:逆にコロナがなくて、2020年12月で活動が終わっていたとしたら、このアルバムもなかったわけだし、「逢いたくて 逢いたい」も生まれなかったし、Zeppツアーも今回のツアーも無かった。要するに、1年が簡単に通り過ぎてしまっていたと思うんです。よくJohnnyが、「コロナのおかげでいっぱい練習できた」と言っていたけど、あのまま終わっていたら、すごくあっさりしてしまっていたんじゃないかな。そういう意味では、コロナのせいでできなかったこともいっぱいあったけど、コロナ禍だったからこそできたこともいっぱいあったしいろんなことを考えたし。だから、いろいろなことを思いながら、残りあと3カ月をじっくり楽しみたいなと思っています。

ーー決して悪いことだけではなかったと。

TAKU:全然ですよ。

Johnny:俺たちはポジティブに考えていたから。

翔:そもそも横浜銀蝿40thは、1980年代の当時に俺たちをプロデュースしてくれたディレクター・水橋春夫さんを偲ぶ会で、2018年に久々にJohnnyと会って「もうすぐ横浜銀蝿は40周年だけどどうする?」という話をしたところから始まった。この横浜銀蝿40thとしての1年間はきっと神様がくれたご褒美で、「もう一度仲間たちと素晴らしい1年を楽しんで来いよって神様に言われた気がした」とJohnnyは言ったけど、俺は、もしかしたら水橋さんが、俺たちをもう一度繋いでくれたんじゃないかって思っています。俺自身、横浜銀蝿40thとしてスタジオに入った時は本当に楽しくて、「こんなに楽しいことはほかにない!」と思った。ファンの子たちには、帰って来たJohnnyを見せたい気持ちもあったけど、実はこの状況を1番楽しんでいたのは俺たち自身なんですよね。残り2カ月を含めたこの2年間は、本当にかけがえのないものになったと思う。

ーーそのことに今、改めて気づいたと。

翔:はい。俺自身40年プロとしてロックンロールをやってきて、最後の最後にこんなにも楽しい時間がもらえたんだなと思いました。それまでは、ヒット曲を作ってもう1度でかいことをやりたいと思って走って来たけど、そうじゃなかった。JohnnyとZeppツアーをやって、俺が求めていたのはこれだったと分かった。日本武道館を何日連続でやるとかどこかのスタジアムでやるとかじゃなく、この4人のメンバーでツアーをやることを目指していたんだと気づいた。そういう意味で、その夢が叶うのがこのファイナルツアーです。会場の大きさではなく、このメンバーでライブができることの喜び、待っていてくれたファンの子たちの思い、そしてJohnnyが入ってくれて盛り上がっている俺たち。それがあれば、どこの会場だっていいんです。

ーー仲間と集まればどこで何をやっていても楽しい。横浜銀蝿が生まれた初期衝動とか、原点みたいなものに今戻れたということですね。

翔:そう。あと3カ月だけど、まだ3カ月ある。ファイナルツアーは今の俺たちが楽しめる最高の状況で、俺たちはこれを望んでいたんです。またJohnnyとTAKUと俺と嵐さんで、曲を書いてアルバムを引っ提げて歌うのが夢だった。この10年とか15年は、「もう一花咲かせてやるんだ、チキショー」と思いながらやってきたけど、そうじゃなかった。ツアーが終わった時にまた違った気持ちが沸いて、「もっともっと」と思うかもしれないけど、ここが、俺たちが目指していた場所です。この4人で立つのはこれで見納めになりますが、俺らも思い切り楽しむから、みんなにも思い切り楽しんでほしいです。

榑林 史章

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