【一問一答】内村航平「五輪は自分証明できる場所」「技名残すよりすごいことやった」「一番覚えて楽しかったのは蹴上がり」

【一問一答】内村航平「五輪は自分証明できる場所」「技名残すよりすごいことやった」「一番覚えて楽しかったのは蹴上がり」

  • 西日本スポーツ
  • 更新日:2022/01/14
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内村の引退会見での主なやりとりは次の通り。

-引退を決断した今の心境は。

僕の中では、重くもすっきりとも捉えていない。よく分かっていないというのが一番の心境。

-決断した理由は。

体の痛みというよりは、もう世界一の練習をやるのは難しいなと思った。(昨夏の)東京五輪の時点では半々だったけど(昨秋の)世界選手権に向かうまでがしんどかった。次の五輪までとなると100パーセント無理だと思った。

-体操で最もこだわってきたことは。

着地。世界チャンピオン、五輪チャンピオンとして止めるのは当たり前と思ってやってきた。(昨秋の)世界選手権の最後も、どういう演技でもいいので着地は絶対止めてやるという気持ちでやれた。最後の意地を見せられた。

-印象に残る演技は。

2011年、東京での世界選手権個人総合決勝は朝から試合が終わるまで全て思い通りの感覚で、もう一生出せない。(16年の)リオデジャネイロ五輪個人総合決勝の(最終種目だった)鉄棒は五輪の体操の歴史に残せる激闘ができ、オレグ(ベルニャエフ)選手(ウクライナ)と2人で五輪会場を支配できた雰囲気を感じられた。

-リオ五輪後、5年間はけがなどで苦しんだ。

体操を突き詰めていくことを考えると一番濃い5年間だった。栄光も挫折も経験できたのは、今後人に伝えていく立場からすると貴重だった。

-内村選手にとって五輪とは。

自分を証明できる場所だった。世界選手権でチャンピオンになり続けても、果たして自分は本物のチャンピオンか疑い続けた。五輪でそれを2度も証明できた。

-自身の礎を築いた技は。

僕が技を習得できたのは覚える楽しさを知っているから。一番覚えて楽しかったのは蹴上がり。クラブでもできる方ではなかったので、覚えた時の感動は今でも忘れられない。印象に残っているのはリ・シャオペンとブレトシュナイダー。改良を重ねてもいまだに難しいけど、一つの技に対して追い求められるからこそ質や成功率も高いのだろう。今後も技を増やしていく予定なので随時更新していこうと思う。

-自身の名を冠した技はできなかった。

未発表の技は何個かあるが、個人総合でトップを維持するために技をやることをやめた。それだけ個人総合を誇りに思ってやってこられたからこその証明になった。技名を一つ残すよりもすごいことをやってきた。誇りを持てている。

-今後の予定は。

これを絶対やりたいという一つのことはなく、体操に関わる全てのことをやっていけたら。

-後輩たちに提言を。

小さい時から父に体操選手である前に一人の人間としてちゃんとしていないと駄目だと言われ続けてきたけど、その意味がようやく分かった。大谷翔平君も羽生結弦君も人間としての考え方が素晴らしいからこそ国民から支持される。高い人間性を持った体操選手であってほしい。

西日本スポーツ

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