アンナミラーズ誕生秘話 「アメリカでの武者修行」を浅田剛夫・井村屋会長が語る

アンナミラーズ誕生秘話 「アメリカでの武者修行」を浅田剛夫・井村屋会長が語る

  • マネーポストWEB
  • 更新日:2022/08/06
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サクラメント店で修業中の浅田剛夫氏(右から2番目。当時・29歳。写真提供/井村屋)

あずきバーや肉まんで知られる井村屋(三重県津市)が運営するレストラン「アンナミラーズ」の国内最後の店舗である高輪店が2022年8月31日に閉店する。同社が閉店を発表した6月以降、高輪店には連日、名残を惜しむ客が殺到。朝から大行列ができ、週末は5時間待ちの日もあるほどだ。なぜ“アンミラ”はこれほど愛される存在になったのか。日本でのアンナミラーズの立ち上げから15店舗目の出店までを担当した現・井村屋グループ会長の浅田剛夫氏が、知られざる日本上陸秘話を明かした。【前後編の前編】

【写真】創業経営者のスタンレー・ミラー氏と話す浅田剛夫氏。アルバイト時代の遠野なぎこの写真なども

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──井村屋は米国のアンナミラーズ社とライセンス契約し、1973年6月、東京・青山に1号店を開店しました。日本上陸に向け、浅田会長は当時、米国のアンナミラーズ店舗で修行したそうですね。

浅田:1号店開店の半年前の1973年1月、トレーニングと開店準備のために渡米し、研修先のサクラメント店(カリフォルニア州)に送り込まれました。4月上旬までの3か月間あまり、パイやハンバーガーを作ったり、レジを打ったり、すべての作業を体験してレストラン・オペレーションを学びました。

下の名前で呼び合う習慣を日本の店舗でも取り入れましたが、私は現地で「Tack(タック)」というニックネームで呼ばれていました。私の名前「たけお」がアメリカ人には発音しにくかったようで、「君はタックだ」と言われたことから、タックになりました。米国だけでなく、1号店の青山店時代から日本でもタックと呼ばれています。今でも店では、私は「浅田会長」でなく「タック」です(笑)。創業経営者のスタンレー・ミラー氏も当時から現在までずっと、私をタックと呼んでいます。

──開店準備のため米国の研修店舗でトレーニングしたのは、浅田会長だけですか?

浅田:いいえ、メンバーは私の他に2人いました。1人が井村二郎社長(当時)の長男・井村正勝氏(後に社長)、もう1人が川戸正行氏。それぞれの主な担当分野は、井村氏が経営全般、川戸氏が生産技術、私がレストラン・オペレーションでした。同じカリキュラムを履修しましたが、全員がレストランビジネスに携わるのは初めて。私はこのメンバーに選ばれるまでは井村屋製菓(現・井村屋株式会社)大阪支店で販売・営業を担当していました。ミラー氏から、これまでの仕事と異なるレストランビジネスへの意識改革の第一歩として「髪の毛を伸ばせ」と言われ、長髪にしたんですよ。

研修期間中は接客をはじめ、朝4時から店でパイやパンを焼いたり、皿を洗ったり、掃除をしたりと走り回っていました。メニューのレシピはあり、スタッフは「この通りにやればいい」と話すのですが、そんな簡単なことではありません。アメリカの店の味に近づけなければならず、必死でした。

研修期間中に毎日書いていた日記は2冊あり、今も大事に持っています。そのうちの1冊にはパイのレシピや調理ノウハウなどがぎっしり書き込んであり、チョコレートの染みが残っているページもあって、当時、一生懸命に勉強していた思い出が甦ります。

──名物のアメリカンパイの味は半世紀前、浅田会長たち研修者3人が修行してが米国から持ち帰ったものなんですね。ところで、そもそも、どのようなきっかけでアンナミラーズの日本展開に至ったのでしょうか?

浅田:アンナミラーズは井村屋の新規事業として、(当時の)井村二郎社長の発案で始まりました。井村社長は進取の気質に富み、新しいことに挑戦する人でした。「和菓子、ようかんの井村屋」から、新しい事業に脱却していくことが必要ではないかと考えていたようです。

1970年代のはじめ頃、冷凍ドーナツを手がけていた米国のドーナツ会社から提携の話が井村屋にありました。その話は断ることが決まったのですが、井村社長は律儀な方で、自らその会社を訪れてしっかり話をした上で直接お断りをしようと、米国に渡りました。

その米国滞在中、同行していた経営コンサルタントの方から「ところで、面白いレストランビジネスをやっているところがカリフォルニア州のサクラメントにあります。見に行きませんか?」と誘われ、訪れたのがアンナミラーズだったのです。そこで経営者のスタンレー・ミラー氏との出会いがあったのです。ミラー氏の祖母のアンナ・ミラーが店名の由来です。

──偶然の出会いからスタートしたんですね。ただ、米国には他にも様々なスタイルのレストランやカフェなどがあったと思います。アンナミラーズと提携し、日本で展開しようと思った決め手は何だったのでしょうか。

浅田:いくつかの理由はありますが、デザートパイが売り物という特色のあるスタイルが大きかったと思います。デザートパイを中心にしたレストランビジネスは、まだ当時の日本にはありませんでした。井村社長は従来から「特色経営」を大事な哲学にしており、これだ! というインスピレーションを感じたのでしょう。

さらにパイの生産については、井村屋にもノウハウがあり、まったく知らない分野ではなかった。井村屋は過去に東京で一時、パイの会社を持っていたことがあり、親和性を感じたのだと思います。

2人が初めて会った当時、ミラー氏は36歳、井村社長は58歳と親子ほど歳が離れていましたが、お互いに相手の笑顔と人間的な魅力に惹かれたと後に話していました。

(後編につづく)

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