「きちんとした生活」求める夫が怖い...45歳妻が愛娘の親権を手放した理由

「きちんとした生活」求める夫が怖い...45歳妻が愛娘の親権を手放した理由

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/05/01
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磯部真美子さん(仮名・46歳)は、1年前に家を出て、2ヵ月前に離婚届を提出した。12歳の娘は、元夫と暮らしている。

「心身ともに限界が来てしまって、家を飛び出るようにして別居しました。娘も連れて行きたかったけど、『学校を転校したくない』『おじいちゃんもおばあちゃんもいとこも一緒に住んでいる、この家にいたい』と言われてしまい……」
娘は私立の中高一貫校に幼稚園から通っていて、その環境を変えるわけにはいかないと真美子さん自身も考えていた。近くに住んで、娘の子育てにできるだけ関わることを心に誓い、真美子さんはまず、自分を立て直そうと思った。

「最愛の娘と離れてまで、元夫と別れたかったのは、離婚で親権を決めるとき、同居が有利であると知らなかったからなんです」

「完璧な家庭」とはどういう家庭だろうか。共働きだろうがなんだろうが常に家はピカピカ、子どもは宿題もきちんと忘れない優等生で、家族揃って学校や地域の行事にも積極的に参加する。しかしそれが心身ともに大きな負担を強いていたらどうなのだろう。45歳の時、30歳で出会った夫との離婚を決意した真美子さんは、まさに心折れそうな日々を送っていた。ライターの上條まゆみさんが話を聞いた。

上條まゆみさん連載「子どものいる離婚」今までの記事はこちら

仕事関係の飲み会で猛アプローチ

美術系の大学を出て、デザイン会社で働いていた真美子さんが元夫と出会ったのは、30歳のとき。仕事関係の飲み会で知り合い、猛アプローチを受けた。

「デートをするようになって2回目には、もう実家に連れて行かれました」

元夫は真美子さんと同じ歳で、建築会社に勤めているサラリーマン。東京郊外の実家は、駅まわり一帯の土地持ちで、元夫はその家の次男だった。周辺には親戚もおおぜい住んでいた。あれよあれよと結婚まで話が進んだ。
「結婚する前から、義実家の隣の土地に家を建てて住もうと言われ、不安でした。でも、お義父さんもお義母さんも、義実家に二世帯同居しているお義兄さん夫婦もあったかい人たちだったので、ここで頑張ろう、と思いました」

元夫はまめでよく気がつき、頼りがいがあった。真美子さんは若いころに婦人科系を患い、子どもができにくいと言われていたのだが、それを受け入れてくれたこともうれしかった。
「元夫は私を可愛がってくれて、新婚生活はラブラブでしたね。周辺には親戚もたくさん住んでおり、慣れないことも多かったけれど、義両親があれこれ気遣ってくれたので、初めての大家族の生活を私なりに楽しんでいました」

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大家族で絵に描いたような幸せな暮らしが始まった(写真の人物は本文とは関係ありません)Photo by iStock

真美子さんはフリーのデザイナーとして仕事を続けていたが、その収入はほとんど不妊治療にまわしていた。その甲斐あって、5年後に妊娠。一人娘が生まれた。

元夫は結婚と同時にベンチャー企業を立ち上げ、自分も頑張るのと同じくらい、真美子さんにも家事・育児、そして親戚づきあいを高水準でこなすことを求めていた。もともと努力家で一途な真美子さんは、無理をしてでもそれに応えようとした。
「いい妻、いい嫁を本気で目指していたんです」

外でうらやましがられる夫。帰宅すると…

一方、元夫との間には、少しずつ隙間風が吹き始めていた。幼稚園の送り迎えにお弁当づくり。仕事も細々とだが続けていたので、日々の生活はいっぱい、いっぱい。それでも元夫は、要求の水準を緩めてはくれなかったのだ。

「結婚してから、けんかするたびに『出ていけ』『離婚だ』と言われていました。私にも悪いところはあったので謝ると、それでけんかは終わるのですが、『お前が口火を切ったのだ』と言われ、毎回もやもや…。いま思えば、心からの夫婦の話し合いは最初からできていなかったような気がします」

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実際「けんか」は成立しなかった。常に悪いのは真美子さん。意見を伝えても、それを認めてもらったことはなかった(写真はイメージです) Photo by iStock

当時、元夫は仕事でストレスを抱えていたようで、機嫌が悪いことも多かった。
「家に帰ってきたときに夕ごはんをフルセットで出せず、味噌汁をよそうのが遅れたりしようものなら『あのさ。俺、なんのために帰るコールしているんだと思う?』と始まるんです」

口ぐせのように「俺の母さんはもっとうまくやるぞ」と。その一言が真美子さんの心の中に溜まっていった。そして、そのことを夫婦で話し合うこともできず、子どもと3人の生活を過ごしていた。
「知らず知らずのうちに、あらを見せないよう、文句を言われないようにしていたと思います」

元夫はよい父親ではあったから、幼稚園の運動会やバザーなどの行事では、率先して保護者としての手伝いをこなした。ママ友には「○○ちゃんのお父さんて、すごいホスピタリティがあるね」などと褒められ、「幸せね」と羨ましがられたが、真美子さんにとって、元夫のその行動は恐怖でしかなかった。
「外でものすごい気を遣って疲れるせいか、家に帰ると鬼のように不機嫌で、無口になるんです。本来、そんなに社交的なタイプじゃないのに、必死になってみんなを盛り上げてわーっとやっている。その姿も痛々しいし、あとの反動が怖くて、頼むからやめてくれ、って祈るような気持ちでした」

娘が私立の小学校に上がると、元夫は真美子さんと娘に、それまで以上に「きちんと」した生活を求めるようになった。

「元夫が帰ってくるまでに、娘の宿題が終わっていないと『学校から帰っていままで、何をしていたんだ?』と、娘ではなく私を責める。公文に通わせていて、思うような成績でないと『おまえ、通わせているだけで安心してるだろ、成果が引き出せないと意味がないんだぞ』と、娘ではなく私に小言を言う。そのたびに、そうか、私がもっとがんばらなきゃと反省して、一生懸命やるんだけど、なかなかうまくいかなくて。このころにはもう、元夫が怖くて、元夫の帰宅時間が近づくと、あらはないか、文句を言われるところはないか、トイレの便座は拭いたかと、動悸がするようになっていました」

そのころ、持病から更年期が早く始まったこともあり、真美子さんは軽いウツになっていた。子どもを叱る自分自身の背後にいない夫を感じていた。
「私、娘に手を上げるようになってしまったんです。元夫が帰ってくる前に宿題を終わらせなければいけないのに、子どもってたらたらやっていたりするでしょ。そうすると、イライラして手をペシッ。カーッとなって、娘の前で鉛筆をポキッと折ってしまったこともありました」
限界を感じて、真美子さんは自分でメンタルクリニックに行った。

夫婦カウンセリングで言われた「夫の問題点」

図書館で見つけたモラハラについて書かれた本を読み、初めて「モラハラ」という言葉を知った。自分は被害者なのかと思うと夫が怖くなった。元夫に頼み、夫婦カウンセリングに通うことにした。
「元夫は、私がダメダメだから、私さえ変われば夫婦はうまくいくと思っていたみたい。私が変わるきっかけになるならと、夫婦カウンセリングを承諾してくれました。カウンセリングでは、互いの生育歴をふまえたうえで心理テストなども行い、ていねいに話を聞いてくれました」

そこでわかったのは、元夫は真美子さん以上にメンタルに問題があるということだった。仕事のストレスに加え、「きちんと」しなければというプレッシャーが強く、生きづらさを抱えている。

カウンセラーは、元夫を諭した。「君、奥さんだけじゃなく、ほかの人間関係でもこの感じでやっているとこの先、君自身が辛いよ。もう少し気楽に、肩の力を抜いたほうがいいよ」

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カウンセリングでは、夫が自身を苦しめていることも指摘されたが… Photo by iStock

それが、元夫には気に入らなかった。「妻が変わってくれればと思ってカウンセリングに行ったのに、なぜ俺が変わる必要があるんだ?」

真美子さんは、「私なりに一生懸命やっている。でも、できない。どうか、できない私を認めてほしい」と涙ながらに訴えたが、元夫には伝わらなかった。
一年間ほど通ったが、結局、カウンセリングはうまくいかなかった。

「きちんと」した生活を送らなければというプレッシャーが、真美子さんの心を支配していた。同時に、元夫が怖くて、同じ部屋にいられなくなった。寝室を変え、元夫が帰宅するとその部屋に閉じこもった。

「元夫が少しでも声を荒げながら近づくだけで、ザーッと血の気が引いてしまう。そのままコンビニに走っていったり、財布と携帯だけ持って実家に帰ってしまったり。もう限界だったんです。でも、元夫からしたら、話そうとすると逃げるから、イライラしていたようでした」

ママはお家を出るけど、一緒に来ない?

一方、娘は、ふだんは真美子さんに甘えているのに、元夫がいるときは「まるでホステスのように」元夫にぴったりとくっつき、一緒になって真美子さんをばかにするようになっていた。子どもにとっては、それが生存戦略。家庭内の力関係を察して、強い者側につく。
「この状態はまずいな。このままだと私、娘を恨むようになってしまう」。真美子さんは、ここで「離婚」を意識した。

いい妻、いい嫁を必死になって演じてきたが、もう無理だ。娘が小学4年生になったある日、真美子さんは、ついに白旗を上げた。
「ママはお家を出るけど、一緒に来ない?」と、真美子さんが娘に聞いたところ、返ってきたのが冒頭の言葉。「学校を転校したくない」「おじいちゃんもおばあちゃんもいとこもみんなで一緒に住んでいる、この家にいたい」。

「そうだよね、と思いました。そもそも当時の娘にとって、私は嫌なこと、怖いことがあると逃げてしまう弱い母親。ついていく気持ちにはなれなかったと思います」

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最愛の娘が一緒に来てくれない寂しさはもちろんだが、祖父母もいる立派な家で暮らしたいと思うのも、中高一貫につながる小学校を転校したくないという気持ちも理解はできた(写真はイメージです)Photo by iStock

親権について争う必要があるかは考えたが、専門家に「同居をしていないので不利」と言われたことと、娘の気持ちを思ってやめた。
「親権を手放すこことは、並大抵の気持ちではなかったです。それまでやってきた24時間のママをやめるなんて、想像もできませんでした」

真美子さんだけ家を出て、近所に部屋を借りた。フリーランスでは心許ないと、会社勤めも始めた。そして、三日にあげず娘に会いに家に行き、家事をひと通りこなして、元夫が帰ってくる前に家を出るという生活を始めた。

元夫は最後まで、真美子さんに対する「おまえが変われ」というスタンスを変えなかった。別居を始めてしばらくしたある日、「いまだったら、戻ってくるなら許してやるから、やり直すか?」と聞かれたが、真美子さんは「無理です」と首を振った。元夫は、「じゃ、離婚でいいな」と言った。

夫婦で争う姿を目の当たりにして、娘の真美子さんへの態度が変わっていた。そこで裁判はしないと決め、夫婦二人での話し合いは怖いので、話し合いは第三者機関を利用した。面会交流がコンスタントに行われることだけを目標にした。
離婚届を提出したのが2ヵ月前。娘との面会交流については守ってくれている。

「きちんと」の重圧につぶされないか

「でもね。娘が私の家に来る日にも、プリントをどさっと持たせて『○ページから○ページまでやらせてください』と指示してくるんです。1枚やり残したりすると、長―い抗議のメールが来る」

別れてからも真美子さんは、そういうメールにいちいち震え上がっていた。あるときふと「私を責めている彼の不安は彼自身の問題だ」と気づいてからは、分離ができるようになった。そして、少しずつ冷静に対応できるようになってきた。

「『それは大変失礼いたしました』とかって、大人の対応をしています(笑)。怖くてたまらなかった元夫だけれど、いま思えば、かわいそうな人だなあ、って。いまだに『きちんと』娘を育てなければというプレッシャーに苦しめられているんですね……」

いい嫁、いい妻であろうと必死だったかつての自分が、そこに重なる。
もっと早く、ギブアップしていればよかった。新婚時代に「私、できません!」と言えていたら、どうなっていたのだろうか。案外、それなら仕方がない、と受け入れてもらえていたのかもしれない。

「ギリギリまで頑張っちゃったから、相手もつい期待してハードルを上げてしまったんですよね」
元夫と暮らし、中高私立一貫校に通う娘が、「きちんと」の重圧に押しつぶされないかが、いまは不安だ。元夫と一緒にいると、力関係がアンバランス過ぎて娘を守ってやれないが、離れたことで逆に、娘の逃げ場になれるかもしれない。そのためにも、お金が必要だから仕事を頑張ろう。娘に頼ってもらえる母になれるように、関係づくりに頑張ろう。

真美子さんは、あ、と気づいて微笑んだ。
「頑張りすぎないように、頑張ります」

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自分が呼吸できなくなったような状況にもし娘が立たされた時、逃げ場になれるよう、頼れる母になる。それが真美子さんの決意となっている Photo by iStock

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