「プレーオフ進出をこれほど大変だと感じたことは一度もなかった」
PGAツアーの「フェデックスカップ・フォール」第1戦、フォーティネット選手権は、25歳の米国人選手、サヒース・ティーガラの見事な初優勝で幕を閉じた。

ジャスティン・トーマスの現在のドライバー。ヘッドは「タイトリストTSR3」のままだが、シャフトは「ディアマナZF」の60TXから、発売されたばかりの「ツアーAD VF」の5Xへ、長さも44.875インチから45.625インチに変更 写真:Getty Images
そのティーガラから2打差の2位タイで最終日を迎えた30歳の米国人ベテラン選手、ジャスティン・トーマスには昨年の全米プロ以来の復活優勝が期待されていた。
だが、2番でボギーを先行させ、前半で4つのボギーを喫したトーマスは「今日は僕の日ではない」と自覚。その通り、彼は後半で1イーグル、1バーディーを奪って巻き返したものの、実質的には優勝争いの蚊帳の外となり、単独5位に終わった。
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しかし、今季は不調に陥り、デビュー以来、当たり前のように7年連続で戦ってきたシーズンエンドのプレーオフシリーズ進出をキャリアで初めて逃したトーマスが、5週間ぶりの実戦となった今大会で優勝の可能性を感じながら戦い、今年2月以来のトップ5入りを果たしたことは、「復活の兆し」と見て良いのではないだろうか。
今季のトーマスは、ショットもパットもスコアメイクも、何に対しても苦しんでいる様子だった。
レギュラーシーズン最終戦のウインダム選手権をフェデックスカップランキング79位で迎えたときは、なんとか上位入りしてトップ70入りを果たし、プレーオフシリーズへ進むことを必死に目指していた。
デビュー以来、一度も苦労したことがなかったプレーオフシリーズ進出が「これほど大変だと感じたことは一度もなかった。優勝を目指すより大変だと感じている」。
7月以降、予選落ちを立て続けに3度も経験していたトーマスが、ウインダム選手権で12位タイに入ったことは大きな前進だった。だが、フェデックスカップ・ランキングは71位止まりとなり、キャリアで初めてプレーオフシリーズ進出を逃した。
「これからは、僕の本来の感性、フィーリングでパットしようと決めた」
戦う機会をその時点で失ったトーマスは、期せずしてオフとなったそれからの5週間に、いろんなことを変えた。
まず、パット専門コーチのジョン・グラハムに別れを告げた。彼の指導の下で、ラインの読み方や構え方、パターヘッドや腕、手の動かし方、目線の動かし方に至るまで、あまりにも多くのことを「考えすぎ、気にしすぎているうちに、自分なりのパッティングができなくなっていたことに気が付いた」と、トーマスは振り返った。
「これからは、僕の本来の感性、フィーリングでパットしようと決めた」
トーマスのスイングコーチは、幼少時代もプロ入り後も、実父のマイク・トーマスで「今でも僕のスイングコーチは父だ」。
とはいえ、「これからは、基本的には僕が自力でスイングづくりをしていこうと思う。コーチとして父に頼るのは必要最低限にとどめる。もちろん、父が父親として試合会場に来るのは、いつでも何度でもウエルカムだけど、コーチとして毎週毎日、関わることは控えてもらう」。
父と子の仲が悪くなったわけでは決してない。ショットもパットも、第3者に頼りすぎ、アドバイスを求めすぎ、その結果、消化不良になり、自分の生来のフィーリングを生かすことができなくなっていたことに気が付いたからこそ、トーマスは「コーチ離れ」「父親離れ」による自立を決意したのだ。
さらにトーマスは、これまでのエースドライバーよりシャフトを4分の3インチ長くしたものを使い始めた。
「ここ3週間ほど、ニュードライバーを使ってみたら、すごい好感触。生涯、このドライバーを使い続けたいと思ってしまうほどだ」
そうやって、さまざまなチェンジを行なったら、なかなか抜け出せなかった「負の連鎖」が一気に「正の連鎖」に変わった。
とはいえ、コーチやドライバーを変えたことは、連鎖を転換させるきっかけにすぎず、連鎖の転換をもたらした根本的な要因は、彼の精神面の変化だったのだと私は思う。
9月末から開催される米欧対抗戦ライダーカップの米国キャプテン、ザック・ジョンソンが、キャプテン推薦によってチーム入りする6名のうちの1人として、今季絶不調のトーマスを指名したことには賛否両輪が巻き起こった。「仲良しクラブどうしのキャプテン推薦」などと揶揄された。
だが、そうした批判を払拭し、米国チームのために頑張ろうと心に誓ったトーマスは「僕が最強だった2017年から2019年ごろのスイングと今のスイングは、まだ同じレベルではないが、安定性や再現性は、むしろ上がっている。復活は、もはや遠くない。一度手ごたえが得られれば、すべてがガラリと変わり、元に戻れるはずだ。ライダーカップをしっかり戦う自信はある」と言い切った。
自分を信じる強い気持ちが芽生えたからこそ、トーマスは復活への道を歩み出すことができたのだ。
ファウラーもグローバーも苦闘の末、復活優勝を遂げた

ロケットモーゲージクラシックで優勝を決めた後、愛娘マヤちゃんを抱くリッキー・ファウラーと妻アリソン 写真:Getty Images
今季の大復活劇と言えば、すぐに思い出されるのは、リッキー・ファウラーだ。
2020年ごろからスランプに陥ったファウラーは、その後、コーチを変え、キャディーを変え、スイングも変えて、試行錯誤を繰り返しながら、さまざまなチェンジを試みた。
その成果はなかなか現れなかったが、ファウラーはどんなときもプロゴルファーとしての自分の原点を信じ続けてきた。
「誰かのために戦いたい。誰かのために勝ちたい。そうでなければ、僕がプロゴルファーでいる意味はない」
自分は、そうあるべき。自分なら、そうできる。そう信じ続けた強い気持ちが、今年7月のロケットモーゲージクラシックで挙げた4年ぶりの復活優勝につながった。
09年の全米オープン覇者、ルーカス・グローバーは、その後イップスに苦しみ、愛妻がDVで逮捕されるという私生活上の問題とも向き合ってきた。
そして今年、ウインダム選手権とフェデックス・セントジュード選手権で2週連続優勝を挙げ、43歳にして大復活劇を披露し、大きな注目を浴びた。
これまで、イップスに苦悩させられたトッププレーヤーは枚挙に暇がない。ベン・ホーガン、サム・スニード、トム・ワトソン、ベルンハルト・ランガーやアーニー・エルスも、イップスに悩まされた。とりわけ、06年マスターズの初日の1ホール目で、わずか60センチから6パットしたエルスは悲惨だった。
「あのときは、恥ずかしさと情けなさで混乱して、頭の中がぐちゃぐちゃになった」
歴代の名選手たちがイップスを克服できたきっかけの多くは、「グリップ方法を変える」「構え方を変える」「パターを変える」といったものだったが、最終的には「自分はもう大丈夫。イップスは治ったと思えるようになった」こと。そう信じることで、イップスを乗り越えることができたと振り返った。
グローバーの場合も、彼の長年のマネージャーが「メジャーリーグのピッチャーのイップス治療を専門としている元ピッチャー」という人物にたどり着き、その人物の指導を受けたことが、イップス克服の直接的なきっかけだった。
しかし、どんなに素晴らしい指導や治療を受けたとしても、受ける本人の心が揺れたままでは、暖簾に腕押しになってしまう。
「一番大切だったのは、自分ならできると信じ通したこと。決して諦めなかったこと。頑固なほどに自分を信じ続けたことが、僕が復活できた最大の理由だった」
気は心。ゴルフはメンタルなゲーム。イップス克服もスランプ克服も、心の持ち方こそが、カギになる。
文・舩越園子
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
舩越園子(ゴルフジャーナリスト)