「自衛隊の名称を国防軍とするべき」 前統幕長、元陸幕長が語る憲法改正

「自衛隊の名称を国防軍とするべき」 前統幕長、元陸幕長が語る憲法改正

  • デイリー新潮
  • 更新日:2022/01/15

中国の覇権主義的態度は日増しに強まり、北朝鮮は予測不能。「専守防衛」を旨とする日本は脅かされるばかりだが、昨秋の総選挙を受け、憲法改正の気運が高まったかに見える。では、肝心の自衛隊をどう活かすべきか。作家の早瀬利之氏が緊急レポートをお届けする。

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防衛省

【写真5枚】中国の脅威を説く河野克俊・前統幕長

このところ、我が国の周辺では看過できない事態が横行している。中国や北朝鮮の極超音速ミサイル発射実験、また中国船による尖閣諸島日本領海への侵入や中国が推し進める南沙諸島の軍事基地化、昨年10月には台湾の防空識別圏に中国軍機150機が侵入し、さらには中国とロシアの「連合艦隊」が日本列島を周航するなど、枚挙にいとまがない。巷では「津軽海峡、対馬海峡を封鎖せよ」といった声も聞こえるなど、穏やかならざる状況にある。

もっとも、元陸上幕僚長の冨澤暉(ひかる)氏によれば、

「これらは日米豪仏の共同訓練に対抗したデモンストレーションであり、挑発などではありません。かつて大正時代にアメリカ海軍も同じような行動をとり、日本に上陸したことがあります」

とのこと。また河野克俊・前統合幕僚長も、昨年10月28日号の本誌(「週刊新潮」)「中国は確実に『台湾に侵攻』する」の中で、海洋権益についてこう述べている。

〈世界第2位の経済大国となった中国が海洋進出を企図するのは自然なことで、理解もできる。問題は彼らの海洋に関する一方的かつ独善的な考え方だ。

国際法では「海洋は自由」というのが基本的な理念だ。特定の国の領土や領空に他国が無断で侵入することは許されないが、領海では条件付きで認められている。中国の船が日本の領海を単に通航するだけなら、それが軍艦であっても「無害通航権」により許される。仮に核ミサイルを搭載した戦略原子力潜水艦であろうとも、浮上して国旗を掲げていれば「作戦行動中でない」と判断され、まったく問題はない〉

「3本の列島線」

ただし、昨年9月10日に中国海軍潜水艦がミサイル駆逐艦1隻を伴い、奄美大島東部の接続水域を潜水したまま通航した件については、

〈いたずらに他国の危機意識をあおる「挑発的な行動」であり、少なくとも友好国に対してすべき行為ではない〉

その中国は太平洋・東シナ海での海洋権益を確保すべく「3本の列島線」を引いたといい、

〈第1列島線は九州南部から沖縄本島、先島諸島、台湾、フィリピンを経てボルネオ島に至る南北のラインだ。中国はこの線の自国側を排他的な支配下に置くことを企図している〉

ちなみに、第2列島線は伊豆諸島から小笠原諸島、グアム・サイパンを経てパプアニューギニアに達する。

〈冷戦下における世界的な安全保障の最前線は、米国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)と、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構とが対峙するラインだった。(中略)ところがいまや、「最前線」は第1列島線に取って代わった。中国が統一を目論む台湾と、挑発を繰り返す尖閣諸島の周辺こそが、世界で最もキナ臭い地域と化している〉

河野氏は、そう警鐘を鳴らしているのだ。

「日本を守るための米軍基地」は大きな誤解

こうした情勢下、日本はいつまでも“まやかしの専守防衛”のままでよいのか、との不安は募るばかり。それでも多くの国民は、日米安保条約に基づき米軍が日本を守ってくれると信じ、一国平和主義にどっぷり浸かっているのが実情だ。先の冨澤氏は日米関係を「二世帯住宅」に例えて言う。

「1階に腕っ節の強い兄貴(米軍)、2階には力のない弟(日本)が住んでいる。2階の弟の部屋に強盗が入り、弟に頼まれたら下の兄貴が助けに行く。これは兄貴の集団的自衛。逆に下の兄貴の部屋へ強盗が入った時、兄貴に頼まれて弟が助けに行く。これは日本が集団的自衛権を行使したことになります」

その“兄貴”は町内の有力者で近所からも頼りにされており、

「町内の治安を守るため、リーダーシップをとって皆で“夜回り”をします。ところが2階の弟は、そこまでやる必要はない、と言って断る。この夜回りのことを、国際社会では集団安全保障と呼びます。多国籍軍や有志連合軍は、このカテゴリーに入ります」

ここで我が国はといえば、

「夜回りには参加しないが夜食ぐらいは出しましょうと、湾岸戦争の際に海部俊樹首相は130億ドル(当時1兆7千億円)を捻出しました。しかし米軍はあまりいい顔をしません。米軍が日本を守るために米軍基地があると考えるのは大きな誤解です。その形をとっていても、日本ではなく世界の秩序を守るため、リーダーとして関わっていきたい。そのための基地なのです」

日本に敵が攻めて来た時、米軍が率先して迎撃、追っ払ってくれると思ったら大間違い。“日本には専守防衛があるではないか。我々は基地が被害にあったら反撃に出るだけ”というわけだ。

撃たれながら待つ

かつて第3次佐藤内閣で中曽根康弘・防衛庁長官は、

〈日本の防衛政策は専守防衛〉〈力強い非核中級国家をつくる〉

などと述べていた。専守防衛とは、攻撃しないで守りに徹することを意味し、つまり敵が上陸した時は“本土決戦”となりかねない。攻撃は憲法上、許されないのである。「日米防衛協力のための指針」で、日本はいわば“盾”の役割。攻撃を担う“矛”は米国であり、従って日本の自衛隊は敵軍に撃たれっ放しとなる。もっとも、個別的自衛で武力行使は可能だが、それも国会の承認を得て、最高指揮官である総理大臣の防衛出動命令が出るのを待たねばならないのだ。冨澤氏が続けて、

「出動命令が出れば何でもできます。“敵と戦え”と言われた以上、手段を問わず武力行使できるのですが、グレーゾーン、つまり総理大臣の命令が出る前に相手が奇襲してきたら、手続きが整う前にバーンとやられてしまいます」

1978年7月には、こんな“事件”も起きていた。

「当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が、“今のままでは自衛隊は何もできないから法律で決めてくれ”と訴えるかわりに“自衛隊は超法規的行動を取らざるを得ない”と発言してしまいました。これで金丸信防衛庁長官(当時)に解任され、以来この問題は、全く解決していません」(同)

上陸した敵に撃たれながら、ひたすら総理大臣の防衛出動命令を待たねばならないとは酷い話である。

日本は「ゲリラ部隊」に対応できない

とりわけ冨澤氏が懸念するのは、「テロ・ゲリラ」による奇襲だ。著書『軍事のリアル』(新潮新書)では、

〈「ゲリラ(遊撃隊)」は1人2人ではなく、少なくとも5、6人以上の部隊でもって機関銃、ロケット砲のような武器を使う〉

としながら、こう指摘している。

〈この程度のことで「防衛出動」が下令されることはない。するとまず警察が対応し、その警察がもてあました時には自衛隊が治安出動で出ることになる。しかし、治安出動下の自衛隊は警察と同じ警察官職務執行法に基づく権限しか与えられていないので、警察と同様にこの「ゲリラ」をもてあますことになる〉

米軍が力を貸すこともなく、つまりは「打つ手なし」の状態になるといい、

〈1996年に韓国の江陵(カンヌン)というところに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間延べ150万人を投入して漸くこれを駆逐したという記録がある。そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊では如何ともしがたい。特に、全国五十数カ所にある原子力発電所の幾つかが同時にゲリラ部隊に襲われたらどうするのか。現職自衛隊員たちは「それは警察の任務で我々のものではありません」と言うしかないが、警察は「十分に対応できます」と言えるのだろうか〉

敵地攻撃の難しさ

ちなみに、北朝鮮については同氏の『逆説の軍事論』(バジリコ・2015年刊)に、以下の記述がある。

〈既に10年以上も前のことですが、東京で韓国の陸海空軍将官OBと自衛隊の将官OBが会合を持ったことがありました。そのとき、ある先輩が基調講演で「北朝鮮がミサイルで日本を威嚇するようなことになったら、我々もミサイルで北朝鮮を攻撃できるようにする」と発言したところ、韓国側の人たちが「何を言うか。あの土地は我々の国のものだ。日本に勝手な真似はさせない。そんなことをするならば、我々が日本の相手をしてやる」と、総立ちになって反発しました〉

“敵地攻撃”の難しさを物語るエピソードである。

「国際的には通用しない」

サンフランシスコ講和条約が発効してから60年にあたる12年4月、野党だった自民党は「憲法改正草案」を発表。その中では「自衛権の発動を妨げるものではない」とし、首相を最高指揮官とする「国防軍」の保持を謳っていた。また、外部からの武力攻撃や大規模な自然災害などの際には、首相の権限を強める緊急事態条項も新たに設けていた。

その後発足した第2次安倍内閣では、集団的自衛権の行使を容認。自民党も18年3月、9条に自衛隊を明記するなど「改憲4項目」の素案を公表した。が、安倍晋三首相(当時)自ら“新しい憲法が施行される年にしたい”と位置付けていた20年にはあえなく頓挫している。

それでも昨年10月の総選挙では、維新が躍進したことで「改憲」が現実味を帯びつつある。現に岸田文雄首相も年頭所感で憲法改正を「本年の大きなテーマ」と位置づけ、議論を喚起していく姿勢を示したところである。

そこで今回、急遽9条に関して識者に意見聴取、あわせて自衛隊の改名の是非についても尋ねてみた──。

前出の冨澤氏に聞くと、

「自衛とは英語でセルフ・ディフェンス。つまり護身術のことで、自衛隊は護身術によってわが身を守る隊と解釈されます。私が米国に留学中、アーミーでなく自衛隊だと言ったら米国人から“軍隊は国家を守るためにあるのに、日本には自分の身を守るための軍隊があるのか”と笑われました。国際的には通用しません。ぜひ国防軍、せめて1文字だけでも変えて“防”衛隊としてほしいものです」

続けて前出の河野克俊・前統幕長は、

「第一歩としては“自衛隊の明記”でもいいのですが、本来は『国防軍』が相応(ふさわ)しいと思います。9条にはたった1行、『日本は国防軍を持つ』と書き足せばよく、あとは要らないのではないでしょうか。“名は体を表す”の通り、これでまず隊員の意識が変わります。法律体系によって軍隊とすることで、これまでの“ごまかし”に終止符が打たれるわけですから、徐々にいい方向へ進むと思います」

「名前より実体が大事」という声も

一方、自衛隊OBで漫画原作者でもあるプロゴルファーの坂田信弘氏は手厳しい。

「私は2年間いましたが、純粋な国防意識と覚悟を持つ人が多かった。自衛隊という名は美しく、変える必要はありません。それに比べて日本の政治家は不純です。防衛は政治家の使命であり、義務だと思います。政治家にも軍事訓練を受けさせるべきで、いざ戦争となったら、政治家が率先して前線に立つ覚悟をもってもらいたい」

さらに軍事雑誌「丸」の元編集人・牛嶋義勝氏は、

「憲法との兼ね合いで自衛隊は“戦わない”ことを前提としています。国防軍となると徴兵制度が始まる可能性もあり、軍が災害救助に携わらなくなれば、志願者は激減するのではないでしょうか」

そう危惧する。また、

「名前は二の次で実体が大事です。今さら新たにネーミングを行えば、無用なトラブルを招きかねません」

と指摘するのは、防衛大学校名誉教授の田中宏巳氏(近代日本軍事史)。

「肝心なのは、このままの形で国防に必要な機能を持つこと。そもそも、呼称を変えようという声は20~30年前からありました。旧軍に倣い“一佐を大佐に”といった案も出ていたのです。それでも、自衛隊はすでに国民の間に定着しています。何でも米国の意向になびく必要はありません」

ラオスで消息を絶った辻政信元陸軍参謀のケース

いずれにせよ、軍備の充実なしには外交もままならない。その現実を否応なく思い知らされたのが、元陸軍参謀で戦後国会議員となり、ラオスの地で消息を絶った辻政信のケースである。

参院議員だった辻は61年4月、池田勇人首相の密使として南ベトナム・カンボジア・タイ・ラオスを視察。ベトナム戦争回避を目指し、南ベトナムのゴ大統領の意向を北のホー・チ・ミンに伝えるべくラオスからハノイに向かおうとした寸前、左派のパテト・ラオ軍に囚われ、ジャール平原で銃殺されてしまう。

たまたま犯人グループの一人を、現地の日本大使館付き職員が知り、職員はその男にひそかに辻の遺骨探しを命じた。が、ほどなくラオス政府は日本の大使に圧力をかけ、この職員を解雇させて国外追放とした。大使館には自衛隊員が出向していたものの行動は制限されており、現在まで辻の遺骨調査はストップしたままである。加えて、日本の国会議員も誰一人、友好国であるラオスに「同僚の遺骨調査」を要請できないでいるのだ。

戦前は各国の日本大・公使館に駐在武官が置かれ、軍関係の調査、偵察に携わっていた。これが戦後は一変、防衛駐在官の名称で外務大臣の指揮監督下に置かれることとなった。防衛省に昇格しても、この構図は変わらない。

本来の「猫なで声外交」は

ところで、1940年に刊行された『世界最終戦論』で知られる石原莞爾は関東軍作戦参謀時代、当時の幣原喜重郎外相に対して、

〈今の中国は昔の中国ではない。日本を上回る武器を持ち、満州には飛行場を持つ。関東軍は一機もない。いつまでも猫なで声での交渉では通じない〉

そう進言していた。現地の邦人は虐げられ、北部満州から逃げ帰る人が絶えなかったのだが、「協調外交」で知られる幣原は姿勢を変えず、こののち石原によって柳条湖事件が引き起こされることになる。一方、日露戦争当時の米大統領セオドア・ルーズベルトは、

〈外交とはビッグ・スティック(大きな棍棒)を持って、猫なで声でやるものだ〉

と言ったという。「猫なで声外交」は世界共通のスタンスではあるものの、声色は平静を装いつつ、テーブルの下では絶えず蹴り合いが続く。これが本来の外交であるはずだ。

石原莞爾の“真意”とは

仮に軍師・石原が存命なら、今日の国防国策をどう見るだろうか。終戦後の彼はGHQの手による新憲法を読み、9条の戦争放棄を歓迎した。が、その“真意”について「石原莞爾平和思想研究会」元事務長の山崎八九生氏は、こう話す。

「“戦争を放棄して経済を優先する”という意味として捉えていたはずです。ところが、今日の中国はすっかり覇権主義化しました。石原は、日本としては相手国が侵略できないほどの戦力を蓄え、場合によっては“核を撃ち込むぞ”くらいの姿勢で外交に臨むべきだ、と言いたかったのではないか。そう解釈しています」

本誌21年9月16日号「変見自在」で高山正之氏は、日露戦争後にメキシコで起こったクーデターについて記している。大統領夫人を保護した日本公使が、公使館を包囲する処刑部隊に対し〈日本と戦争する覚悟で我を倒し、日の丸を踏んで乱入するがいい〉と叫び、相手は公使の背後に見える「強い日本」に気圧されたというのだ。

「逃げ足の速い日本外交官」と揶揄

翻って現在、防衛と不可分の関係にある外交を司る外務省といえば、はなはだ心許ない。何よりも昨夏の在アフガニスタン日本国大使館がよい例である。カブール陥落2日後の8月17日、大使館の職員12人全員が英軍輸送機に便乗してドバイへと退避した。連絡係もいないため外務省は現地の情報が収集できず、防衛省への輸送依頼も遅れた。約500人にのぼる大使館及びJICAなどのアフガン人職員とその家族らが置き去りにされ、27日になって救出されたのは日本人女性1人。この件では世界から「逃げ足の速い日本外交官」と揶揄されている。

そうした“苦境”にあっても自衛隊員は専守防衛、攻められても直ちに「血を流す反撃」ができないのは先述した通り。自衛隊の姿が世間で際立つのは、現在はもっぱら大規模災害時であるが、「災害自衛隊」と言われながらも、その存在を90%の国民が認めている。が、今もって認めたがらない化石のような人たちがいるのも事実である。

あるいはミサイルでも撃ち込まれない限り、国民は目覚めないのかもしれないが、それでは遅すぎる。おのおのが「平和のための国防意識」を持った上で、国には即応態勢の構築が望まれるところではないか。

早瀬利之(はやせとしゆき)
作家。昭和15年、長崎県生まれ。昭和38年、鹿児島大卒。著書に『タイガー・モリと呼ばれた男』『石原莞爾 満州ふたたび』『敗戦、されど生きよ』などがある。

「週刊新潮」2022年1月13日号 掲載

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