飯田哲也の引退に「もったいない」と八重樫幸雄が思った理由。「あと4~5年は現役を続けられた」

飯田哲也の引退に「もったいない」と八重樫幸雄が思った理由。「あと4~5年は現役を続けられた」

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  • 更新日:2021/11/26
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「オープン球話」連載第92回第91回を読む>>

【高校時代からのライバルだった飯田哲也と土橋勝征】

連載91:捕手からセンターへ飯田哲也をコンバートさせた野村克也の目

――今回も、野村ヤクルト黄金時代のリードオフマン・飯田哲也さんについて伺います。

八重樫 前回のラストでも話したけど、1986(昭和61)年のドラフト4位が飯田で、同じ年のドラフト2位が土橋(勝征)でした。飯田は千葉県の拓大紅陵高校出身で、土橋は千葉の印旛高校卒業。同じ年齢で、同じ千葉県からの高卒ルーキーだったんですよ。

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天性の素質と明るさで黄金期のヤクルトを支えた飯田哲也

――高校時代から拓大紅陵と印旛は激戦を繰り広げていたようですね。高校3年夏の千葉県大会決勝戦で両校は激突。飯田さんの拓大紅陵が甲子園出場を決めています。

八重樫 高校時代からお互いを意識していたかどうかはわからないけど、プロ入り後はお互いのことを意識していたと思いますよ。彼らがヤクルト入りした当時、僕はまだ現役で一軍にいたから、入団直後に彼らが二軍にいた頃のことは詳しくは知らないけど、それでも2人の話題は耳に入っていましたからね。

――この連載の「土橋さん編」では、「今度の新人はとことん練習するらしいぞ」と土橋さんの評判を耳にしていたと聞きました。飯田さんについてはどうだったんですか?

八重樫 飯田に関しては「足がものすごく速くて身体能力に優れた選手だ」という話はチラホラ聞いてはいましたね。高校時代、彼はキャッチャーだったから、「自分と同じポジションの新人だ」と危機感を抱くまでではなかったけど、「どんなキャッチャーなんだろう?」と思っていた気がします。

――さて、八重樫さんは「飯田と土橋は対照的な性格だ」とおっしゃっていました。詳しく教えていただけますか?

八重樫 土橋はコツコツ、コツコツ練習する超努力型。周りが「もういい加減にしろよ」というぐらい練習をするタイプ。早出練習の、さらに早出でバッティングも、守備も上達していったタイプです。一方の飯田は、何から何まで天性でソツなくこなせるタイプ。決して「練習嫌い」とは言わないけど、練習しなくてもできちゃうから、必死になって練習する必要がない。近くに土橋がいるからなおさら、飯田は練習していないように見えちゃうんですよ(笑)。

【何から何まで好対照な飯田と土橋】

――性格的にも正反対だと言っていましたね。

八重樫 正反対ですね。土橋は超寡黙でほとんど笑ったところを見たことがないです。遠征先で一緒に食事をした時もそうだったけど、ユニフォームを脱いだ時でも、先輩の前では決して乱れる感じはないですから。とっつきにくいわけじゃなくて、上下関係をきちんと意識している感じが伝わってきましたね。

―― 一方の飯田さんは?

八重樫 先輩であろうがベテランであろうが、臆することがなくフランクに接することができる。あの時代の野球選手には珍しいタイプです。無礼な態度だったわけではないけど、僕らがプロの世界に入った頃だったら、先輩からガツンと言われていたでしょう。

――若松さんも、八重樫さんもガツンとは言わなかったんですか?

八重樫 どうしてもチャラチャラしているように見えるから、「きちんと言わなくちゃな」とは思うんです。でも、いざ注意をしようとしても、あの明るい感じで近寄られると叱る気が失せちゃうんですよ(笑)。憎めないタイプというのか、得な性格ですよね。

――そんな飯田さんと土橋さんの相性はどうだったんですか?

八重樫 飯田も土橋も、そもそも人とつるむ感じじゃなかったから、2人で一緒にいるところは見たことがないです。飯田はほとんど飲まないし、食事に行ってもすぐに出てしまって、ひとりでパチンコをしていたようですから(笑)。たぶん、土橋から見たら「何も苦労しないで試合に出られてうらやましいな」と感じていたところもあるでしょうね。

――確かに猛練習でレギュラーの座をつかみ取った土橋さんからすれば、そう思うのも当然のことでしょうね。

八重樫 もちろん、お互いの実力は認めていたとは思うし、努力でレギュラーをつかんだ土橋のことは尊敬していたとは思うけど、飯田にとって土橋は「自分とは全然違うタイプだな」という思いもあったんじゃないのかな?

【もっと活躍できたはずなのに......】

――さて、飯田さんは2004(平成16)年までヤクルトでプレーをして、05年には楽天に移籍。翌06年に現役を引退しました。飯田さんの現役晩年、八重樫さんは指導者になっていました。この頃の飯田さんをどのように見ていましたか?

八重樫 「あぁ、もったいないな......」と思っていましたね。というのも、若い頃から天性の素質でプレーしていたから、故障をしたり、ベテランになったりして体がいうことを利かなくなると急激に衰えていった感じなんです。僕らが指導しても、あまり響かないというか、ほぼ効果はなかったですよ。

――確かにひざの故障もあったけれど、真中満さんにレギュラーの座を奪われてからは急激に成績が下降していますね。

八重樫 飯田は試合に出続けることで、コンディション維持をしていた部分もあったと思うんですよ。でも、試合に出る機会が減っていくと、技術的にも、体力的にも、ベストの状態を維持できなくなっていった。もちろんケガの影響もあったけど、プロ野球選手はみんな、どこかしら故障を抱えています。それとどうやってつき合っていくかという部分でも、もう少し真剣に自分と向き合ってもよかったのになと思います。

――指導者として、八重樫さんのなかにも悔いが残っているんですか?

八重樫 確かに「もっと何とかできたのに......」という思いはあるけど、飯田の場合は教えすぎるとダメになるタイプでもあるから、その点は難しかったです。彼がもう少し、練習方法やコンディション維持に意識を持っていれば、あと4~5年は現役を続けられたんじゃないですかね。

――現役引退後は、ヤクルト、ソフトバンクで外野守備・走塁コーチを務めました。指導者としての道を歩みつつ、現在は評論家となっています。

八重樫 天性の素質でプレーしていた選手が指導者となった時に、どんな指導をするのかという点は、とても興味深いですね。今はユニフォームを脱いでいるけど、また現場に戻ることもあるはずだから、その時にどんな指導者になっているのか。今後に期待したいです。

――あらためて、飯田さんについての印象、感想を教えてください。

八重樫 親からもらったすばらしい能力を、ノムさんに見出されて活躍した野球人生。グラウンドでプレーするのが楽しくて仕方ないというのが見ていて伝わってくる選手でした。飯田の守備にどれだけピッチャーが助けられたことか。彼がいたからヤクルトに黄金時代がもたらされたのは確かだったと思いますよ。

(第93回につづく>>)

長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

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