「肩書きをあんなに人と比べなくてもよかったのに」定年を見据える50代、会社を辞めた立場で感じること【小島慶子】

「肩書きをあんなに人と比べなくてもよかったのに」定年を見据える50代、会社を辞めた立場で感じること【小島慶子】

  • mi-mollet(ミモレ)
  • 更新日:2023/05/30

時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会現象について小島慶子さんが取り上げます。

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人事異動の季節です。会社勤めの友人知人はなんだかみんなソワソワ、落ち着きません。あなたももしかしたら、不安な気持ちでいるかもしれませんね。でも、組織での立場は人生のごく一部です。どんな肩書きも永遠ではありません。

50歳になった頃から、同世代の会社勤めの人たちがなんだかしょんぼりし始めました。「もう定年まで10年切ったし」「会社でやれることも多くないし」などと呟いて遠くを見ています。えええ、まだ50歳なのに?! 四半世紀あまり働いて、経験も知恵も信用もようやくいい感じに充実してきて、これからじゃないの。なんで急に元気をなくしてしまったの? とびっくりしていたら、なんとあっちの会社にもこっちの会社にも「あと10年で定年だよ研修」みたいなのがあるのですね。もう終わりが見えてきたから色々考えとけよ、ってことらしい。そんな研修、やめればいいのに。

まさにこれから円熟期というタイミングで、なんでせっかくいい感じに充実している人たちの生気を吸い取るようなことをするのかしら。まあ中には威張るばかりで会社のお荷物になってしまっている人もいるんでしょうけれど、どう見ても優秀な人たちまでがしゅんとして引退モードになっているのは、なんともやるせないしもったいないです。

退職してしまえば、肩書きよりも生身の徳がよっぽど大事

一方では、役員の座をめぐる生々しいレースに前のめりで参戦して、ギラギラしている人たちもいます。顔を合わせれば人事の噂をヒソヒソ、ヒソヒソ。みんな好きだなあ、人事。何度聞いてもいまだに常務と専務のどちらが上なのか覚えられない私のような者からすると、もらった名刺を見ても社長以外は誰が上か下かなんてぜーんぜんわからない。それより会った感じで無礼な人だなとか親切な人だなとか、生身の徳が大事だわと思ってます。だって名刺なんて、数年で刷り直しじゃないの。退職後に残るのは肩書きではなくて、その人が働きながら身につけた態度と信用。肩書きなしでも、人に好かれて尊敬されるかどうかです。これは死ぬまでついてきます。それさえあれば、名刺を持たない人生もきっと楽しく生きていけるでしょう。

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写真:Shutterstock

私は会社員を15年間経験し、独立してから今年で13年目になります。外に出てみると、会社という世界はつくづく平家物語だなと思います。しかもサイクルが早いこと。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひにはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ

異動の季節に胸がざわついたら、ぜひとも音読してください。
ちょっとご無沙汰していたら、あんなにブイブイ言わせていた人が異動になっている。数年前には出世頭と言われていた人が、気づけば定年退職している。私が変わり映えもなくあくせく働いている間に、会社員の知人たちは何度も違う部署に移り、立場が変わり、だけど毎月必ずお給料が振り込まれて、ボーナスもしっかりもらっています。自分が会社員だった時は、それがどんなに恵まれたことかを全然分かっていませんでした。そしてもっと時の流れが遅かったし、人の動きが遅いように感じたものです。けど外から眺めると、組織のポジションて本当にちょっと目を離した隙に次の人に入れ替わってしまうんですよね。その異動が何を意味するのかもよくわからない。もしも本人が左遷されたとか戦力外通告だと思っているなら、あなたはずっと変わらずあなたじゃん、肩書きなんて世間の人は大して興味ないよと心から言ってあげたいです。

どんな成功も肩書きもいつかは消える。いったい何を悩むことがある?

組織の肩書きは、やがて消えます。どんな成功も必ず忘却されます。なぜってみんな、生きるのに忙しいから。他人のことはそういつまでも覚えていられないのです。

私は局アナだった時、いわゆる会社員としての肩書きには全く関心がなく、退職するまで自分の職位をわかっていませんでした。渡された書類に主任何号みたいなのが書いてあったけど、一体何のことやら(平社員の格付けってあるんですか?)。でも、レギュラー担当番組の数や、自分が出ている番組の視聴率や放送時間帯なんかは結構気にしていました。他の人と比べては一喜一憂していたのです。街で「ああ、アナウンサーさんですね、ええとどこの局でしたっけ?」と言われたりすると「私はまだだめだ、もっと有名にならなくちゃ」などと焦って、どんより落ち込んだものです。会社を辞めてアナウンサーを廃業してからも言われますが、今は「はーい、どうも小島慶子といいます。はじめまして!」と喜んで挨拶しています。

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写真:Shutterstock

放送局を辞めてみて分かったのは、世間はアナウンサーにそこまで興味がないのですよね。よほどのテレビ好きかアナウンサーウォッチャーでない限り、どこの局にどんなアナウンサーがいてレギュラーが何個かなんて、覚えていません。私は独立してからこのかた、仕事と子育ての両立やら日豪往復やらにてんてこ舞いでテレビを見る時間がほとんどなくなったため、飛び抜けて有名なアナウンサー以外は、どんな局アナがいるのか全くわからなくなりました。そして仕事の現場で出会う放送局のアナウンサーはみなさんスキルが高くて、すごいなあと素直に思います。その人が注目株か人気の新人かなんてわからないけど、とにかくみんな素敵だなあ、輝いているなあと本当に眩しいのです。

そうなってから、つくづく思いました。そうか、もしかして自分もこんなふうに見えていたのかもしれないな。あんなに人と比べて悩まなくてもよかったのに。“女子アナ”ゴシップ好きのセクハラメディアが勝手なことを書くだけで、世間は気にしちゃいないのだし、たとえレギュラー番組がゼロになっても、会社員だから毎月ちゃんと給料が振り込まれる。社内での評判や部内での優劣なんて、視聴者には関係ないよね。いったい何を悩むことがあったんだろう? ウジウジしないで思いっきり楽しく暮らせばよかった! と心底思いました。

50代は社屋の向こうに広がる新しい世界に備えるステージに

組織の中で懸命に働いていると、そこでの評価や他人との比較が「世間の評価」だと勘違いしちゃうのですよね。で、惨めになったり人を恨んでみたり、はたまた得意になってみたり。人事異動という無情な仕組みがある限り、会社に生殺与奪を握られている感覚になってしまうけれど、そんなかりそめのものに大事な自分の価値を委ねたらもったいないですね。

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写真:Shutterstock

組織で働くということは、個人で働いていたら会えないような人たちと会ったり、珍しい場所に行けたり、大きなお金を動かして重責を果たしたり、自力では得られないような知識を得たりする機会に恵まれるということ。副業をしていればさらにその幅は広がります。仕事にはいい時も悪い時もあるし、不本意な異動もつきものです。上司とそりが合わないこともありますよね。それらの経験を通じて、人間の欲望や不安を見つめる機会は、誰しもあると思います。そんなしんどい時にこそ、損得抜きで人と繋がることもできるでしょう。

長い会社人生の答えは、退職時の肩書きではありません。肩書きが全てとれた時の、丸腰の自分が魅力的かどうか。初対面の人に信用されるか。話していて楽しいな、また会いたいなと思われるか。それが、お棺の中まで持っていける唯一の業績なのだと思います。

50歳の研修ではぜひ、これからは肩書きよりも人徳を高めるステージだね!という話を聞けるといいですね。そうしたらみんなしょんぼりしないで、これまでの時間を誇りに思うことができるんじゃないかと思います。そして、名刺に刷られたたった数文字から視線を上げて、社屋の向こうに広がる、新しいことに満ち満ちた世界を見ることができるのではないかと思います。

今度の人事でどこに異動したあなたにも、思いがけない素敵な出会いや新たな気づきがありますように。

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前回記事「王室・皇室は文化遺産?それともリアリティショー?【小島慶子】」はこちら>>

小島 慶子

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