ガス供給で自らの首を絞めたプーチン、ロシア国益を大きく毀損

ガス供給で自らの首を絞めたプーチン、ロシア国益を大きく毀損

  • JBpress
  • 更新日:2022/08/06
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遠くに見えるのが「サハリン-2」のLNG工場。手前は日露戦争時の日本軍上陸記念碑(横倒しにされている、2018年9月、筆者撮影)

プロローグ 世界の耳目を驚かすプーチン大統領

今年2022年6月、ロシアでは世界の耳目を驚かすビジネス関連事件が2件、唐突に続発しました。

ロシア(露)からバルト海経由ドイツ向け天然ガス海底パイプライン(以後、P/L)輸送量が唐突に削減されました。

理由は、露ガスプロムが修理に出した「ノルト・ストリーム①(以後、NS①)」用ガスタービンが戻ってこないというロシア側説明です。

露V.プーチン大統領(69歳)は6月30日、大統領令416号に署名。サハリン島北東部沖合のオホーツク海にて原油・天然ガスを探鉱・開発・生産している「サハリン-2プロジェクト」に対し、事業会社「サハリン・エナジー社」の権益を、今後新規に設立されるロシア法人に無償譲渡させる内容です。

この大統領令により、サハリンから日本向けLNG(液化天然ガス)供給契約に黄信号が灯りました。

上記大統領令を受け、ロシア政府は8月2日、政令1369号を発令。この新規ロシア法人は、サハリン州の州都ユージノ・サハリンスク(旧豊原)に設立されることになると発表されました。

ただし、具体的にいつ設立されるのかは現時点では不明です。

世界の耳目を驚かせた、東西2つの事件の本質は同根です。

この点を指摘している日系マスコミは皆無で、とてもおかしな解説記事も流れています。

雑誌『選択』(2022年8月号)「サハリン2 謀略の真相」のように、間違いだらけの記事も流れています。

本稿では、ロシアによるこの2つの暴挙を概観することにより、≪問題の本質は何か≫を考察したいと思います。

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今、何が起こっているのか、問題の本質は?

結論を先に書きます。ロシアは天然ガスを政治の道具に使いました。これが今起こっている問題の本質です。

ガスタービン問題とNS①の天然ガス輸送量減少・停止は、直接の物理的関係はありません。

露大統領令416号によるLNG対日供給問題と、三井・三菱の権益問題も直接の関係はありません。

この問題を理解するためには、ソ連邦崩壊直後の新生ロシア連邦の混乱した経済の姿を知ることが必要です。

ソ連邦崩壊のカギを理解するためには、過去の油価動静を概観する必要があります。

なぜ、雑誌『選択』記事が間違いだらけなのかを理解するためには、PSA(生産物分与契約)とは何かと、過去のガス価格動静を理解する必要があります。

ゆえに本稿では、過去の油価・ガス価格動静、ガスタービン問題とは何か、露大統領令416号とは何か、政令1369号とは何かを概観したいと思います。

なお、LNG専門家から種々有益な情報をいただきましたが、本稿はすべて筆者の文責であることを明記しておきます。

露大統領令416号と露政令1369号

最初に、2022年6月30日付け露大統領令416号と8月2日付け露政令1369号を概観します。

V.プーチン大統領は2022年6月30日、ロシア極東サハリン州にて石油・天然ガスの探鉱・開発・生産・輸送プロジェクトを運営する事業会社「サハリン・エナジー投資会社」(Sakhalin Energy Investment Company Ltd./以後、サハリン・エナジー社)に対し、ロシアの新会社に資産移管を命令する大統領令416号に署名しました。

サハリン島(旧樺太)北東部沖合のオホーツク海では現在、外資が参画する2つの石油・ガス開発プロジェクトが同時進行中です。

1つ目は「サハリン-1プロジェクト(以後、S-1)」、2つ目は三井物産・三菱商事が権益参加しているサハリン-2(同S-2)にて、今回の大統領令416号はサハリン-2に関する大統領令です。

本稿では、今回の大統領令が何を意味するのか、およびS-2プロジェクトの現況と今後の対日LNG供給契約の行方を考察します。

今回の2022年6月30日付けロシア大統領令416号の要点は以下の通りです。

●サハリン・エナジー社の全権益・義務を今後設立されるロシア法人に移管する。

●新ロシア法人設立後1カ月以内に、外資権益参加者は参加継続・非参加を通知する。

●外資が撤退する場合、権益は新規ロシア法人に譲渡される。譲渡権益は補償されるが、評価額は露側が決める。補償される金額はタイプC(ルーブル口座)に支払われる。

新規に設立されるロシア法人にS-2プロジェクトに権益参加している三井・三菱が引き続き権益参加するかどうか日本で話題になっていますが、実は権益維持と対日LNG供給は直接の関係はありません。

換言すれば、三井・三菱が権益維持すれば対日LNG供給が維持されると考えるのは幻想にすぎません。

理由は簡単です。

LNG輸出は事業会社サハリン・エナジーが担当しています。LNG供給契約は同社とLNG購入者との契約であり、サハリン・エナジーの株主はLNG売買契約の直接当事者ではありません。

日本のLNG輸入業者は、今後ロシアに設立されるロシア法人と売買契約を締結することになります。

もちろん、サハリン・エナジーの権益はそのまま新ロシア法人に無償譲渡されることになっているので、LNG売買契約も新ロシア法人に移管されます。

しかし、本当に既存売買契約が遵守されるのかどうかは不透明であり、むしろ遵守されないと考える方が現実的です。

上記より、法的にはS-2事業に権益参加する三井・三菱の事業継続・撤退問題と、サハリン・エナジーと日本のLNG輸入者間のLNG売買契約とは別物であり、直接の関係はないことが判明します。

もちろん、日本企業が権益参加していれば、日本向けLNG輸出が優先される点は論を俟ちません。

露政府は8月2日、政令1369号を発令しました。

この政令によれば、S-2事業会社「サハリン・エナジー」の権益を譲渡される新ロシア法人はサハリン州の州都ユージノ・サハリンスク(旧豊原)に設立されることになりますが、いつ設立されるのかは不明です。

この原稿を書いている8月4日現在では、まだ設立されたことは確認されておりません。

サハリン・エナジーの正式名称は「Sakhalin Energy Investment Company Ltd.」 ですが、今後新規に設立されることになる新ロシア法人の名称は有限責任会社「サハリンスカヤ・エネルギア」になる由。

何のことはない、英文名称がロシア語に変わっただけで、ロシア側も芸がないですね。

大いなる幻想

英シェルはロシアの石油・ガス事業から全面撤退決定済みです。

シェルが抜ければ、S-2LNG事業は破綻必至です。天然ガス生産量は徐々に低下して、早晩LNG工場も稼働不能になるでしょう。

岸田首相は「S-2権益を維持する」と決意表明していますが、三井・三菱が権益維持する・しないとLNG対日供給が保障されるかどうかは、上記の通り直接の関係はありません。

日本は国際P/Lがないので、天然ガスは全量、LNGの形で輸入しています。

ちなみに、2021年のLNG輸入量の約9%(6.6百万トン)がロシア産LNGであり、そのうち約6百万トンがサハリン産LNGです。

S-2LNG生産量は年間約10百万トンなので、生産量の約6割が日本向けになっていることになります。

付言すれば、露Novatek社がオーナーとなっている既存の北極圏ヤマル半島ヤマルLNGも、対岸のグィダン半島に建設中のArctic LNG 2プロジェクトも、仏トタール社が全面撤退すればLNG事業継続は不可能になるでしょう。

2022年6月16日付け露コメルサント紙によれば、Arctic LNG 2プロジェクトは既に9割完成しており、残すは動力源の米ベーカーヒューズGE製タービン(モデル名LM9000)を据え付けるのみとなっている由。

ところが欧米による対露経済制裁措置を受け、米BHGEはArctic LNG2 用ガスタービン供給を拒否したので、物理的にLNG工場が完成しても、動力(エンジン)がなくて工場は稼働しないことになります。

露コメルサント紙報道が事実であれば、グィダン半島のArctic LNG 2プロジェクトは既に実質破綻状態に陥っていることになります。

仮に既存のヤマルLNGが崩壊して、建設中のArctic LNG 2が稼働しないともなれば、オーナー会社の露Novatek社倒産も視野に入ってくるのかもしれません。

この点を指摘している日系マスコミ報道は皆無です。単に知らないのか、あるいは知っていても恐ろしくて報道できないのか、そのどちらかではないでしょうか。

欧米による対露経済制裁措置は効果大

欧米による対露経済制裁措置強化は効果大です。

露ウラル原油は既にバレル$70を割っています。ウラル原油が$60以下になれば露国庫財政は大幅赤字となり、戦争どころではなくなるでしょう。

8月3日付け独FAZ(フランクフルター・アルゲマイネ紙)によれば、7月下旬に訪莫してプーチン大統領と面談した独シュレーダー元首相は「クレムリンは停戦交渉を望んでいる。プーチン大統領はノルト・ストリーム②で対独ガス供給可能と言っている」と、会談内容を明らかにしました。

これはプーチン大統領の本音であり、それだけプーチン大統領は苦境に陥っていることを意味しているのではないでしょうか。

露ウラル原油はバナナの叩き売り状態になり、油価は2022年の国家予算案想定油価$62.2に迫りつつあり、既に戦費で国家予算は赤字。

露ガスプロムの2021年の株主配当金1.2兆ルーブルを全額国庫に没収して、かろうじて戦費を賄っている状態です。

露国民福祉基金資産残高も急減しています。

本来ならば戦費に流用できないのです。しかし、法律を改訂して戦費にも流用できるようにしてしまいました。

「欧米による対露経済制裁は効果ない」と書いたり・話したりしている評論家もいますが、現実は正反対です。

効果大であり、早晩、目に見える形で表面化するでしょう。

最近、ロシアの統計にアクセス困難・不能になってきたのですが、上記がアクセス困難の背景と筆者は愚考しております。

露ウラル原油/油価推移 (2021年1月~22年7月)

現在の世界最大の産油国・産ガス国は米国であり、米国は石油(原油+石油製品)とガスの純輸出国です。

米国は2018年から天然ガスの純輸出国に、2020年から石油の純輸出国になりました。

原油の性状(比重や硫黄分含有量等)は採取される油田鉱区毎に異なり、油価に反映されます。

ロシアの代表的油種ウラル原油は西シベリア産軽質・スウィート原油(硫黄分0.5%以下)とヴォルガ流域の重質・サワー原油(同1%以上)のブレント原油で、中質・サワー原油(同1.5%程度)です。

ウラル原油は英語ではURALsと複数形のsが付きます。NYMEX(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)に2006年10月、ブランド名REBCO(Russian Export Blend Crude Oil)で登録されました。

ちなみに、日本が輸入しているロシア産原油はS-1ソーコル(鷹)原油・S-2サハリンブレンド・ESPO原油の3種類です。すべて軽質・スウィート原油で、日本はウラル原油を輸入しておりません。

2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ全面侵攻を受け急騰した油価は、その後急落。7月25~29日の週間平均油価は北海ブレント$109.28/bbl(スポット価格)、米WTI $99.60(同)、露ウラル原油(露黒海沿岸ノヴォロシースク港出荷FOB)$68.66になりました。

北海ブレントと露ウラル原油の価格差は、品質差により従来はバレル$3~4程度でしたが、この値差が10倍以上に拡大。

露ウラル原油はバナナの叩き売り状態となりました。

これは露ウラル原油が欧米市場から敬遠されていることを示唆しています。

ウラル原油のみならず、ロシア産石油製品の欧米向け輸出量も減少。安くなった露ウラル原油を中国と印度が追加購入しています。

ウラル原油はサワー原油ゆえ、製油所脱硫装置の能力が隘路になっていますが、インドの石油会社はウラル原油を安く輸入して自社で精製、軽油と重油を国際価格で輸出して莫大な利益を得ています。

これは一種のオイル・ロンダリングとも言えましょう。

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(出所:米EIAおよびhttps://en.trend.az/より筆者作成)

ガス価格動静(1992年~22年7月)

油価推移の次に、ソ連邦崩壊直後の1992年から2022年7月までのガス価格推移を概観します。

旧ソ連邦西シベリアから西欧向けには、天然ガスP/Lで天然ガスを輸出していました。

旧ソ連邦は早くからメートル法を採用しており、輸出価格は天然ガス千立米当たりいくら(xxドル)で契約していました。

一方、欧米メジャーは、液体としてのLNG価格をカロリー単位で設定しており、LNGビジネスの世界では、mmBtu(百万英国熱量単位)当たりいくら(xxドル)で価格を設定します。

では、天然ガス価格を概観します。天然ガス価格は市場により大きく異なります。

最初のグラフはソ連邦が崩壊して、新生ロシア連邦が誕生してからの10年間のガス価格推移、2番目のグラフは2019年1月から2022年7月までのガス価格で、資料出所は共に世界銀行統計資料です。

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(出所:世界銀行物価統計資料より筆者作成)

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(出所:世界銀行物価統計資料より筆者作成)

上記2つのガス価格推移グラフより、1990年代前半の欧州ガス価格は$2台/mmBtuであり、2021年後半から、特に欧州ガス市場で天然ガス価格が急騰していることが分かります。

この欧州市場における1990年代前半のガス価格推移は、当時のサハリン-2 PSA(生産物分与契約)交渉過程で重要な論点になっていましたので、上記グラフにご留意くださいませ。

ご参考までに、千立米とmmBtuの換算率はどの程度かと申せば、カロリー単位で換算すれば、mmBtu価格を約36倍すると、千立米あたりの天然ガス価格になります(もちろん概算です)。

ノルト・ストリーム①用ガスタービン修理問題

天然ガスは気体としてパイプライン(P/L)輸送される天然ガスと、液化して液体(液化天然ガス/LNG)として輸出する2つの輸送方法があります。

ちなみに、天然ガスP/Lにはコンプレッサーステーション、石油(原油・石油製品)P/Lにはポンプステーションが必要です。

気体としての天然ガスをP/L輸送する方法は、圧縮して送圧します。

この送圧基地がコンプレッサーステーション(以後、CS)です。一方、液体としての液化天然ガス(LNG)はLNGタンカーで輸送します。

現在話題になっているNS①のコンプレッサーステーションとタービンを概観します。

コンプレッサーステーションとは、コンプレッサー(圧縮機)とその動力源 (タービン) のセットです。

旧ソ連邦の時代、西シベリアから西独向け天然ガスP/Lの送圧は75気圧(P/L口径56インチ)にて、P/L用大径鋼管の材質は75気圧に耐えられる鋼種でした。

送圧を上げると、輸送能力が向上します。

当初75気圧でしたが、その後100気圧となり、今では露国内でも一部120気圧送圧になっています。

陸上P/Lの場合、数百km毎にCSを建設して、リレー方式で天然ガスを輸送します。

しかし海底P/Lの場合、途中でCSを建設することはできないので、出荷基地から超高圧で受取基地まで一気に送圧します。

露ヴィボルク出荷基地(起点)からバルト海経由独グライフスヴァルト(終点)までの天然ガス海底P/L NS①は全長約1220kmあり、P/L口径48インチ、年間輸送能力は27.5bcm。2本建設・稼働しており、年間輸送能力は計55bcmです(bcm=10億立米)。

NS①出荷基地における送圧は約220気圧で、受取基地で約100気圧程度になります。

超高圧のため、起点のヴイボルク出荷基地には8基のCSが据え付けられており、うち1~2基は予備として、他のCSが保守点検・定期修理の際、順番に稼働して、出荷基地全体としての送圧(=輸送量)が落ちないようしています。

石油(原油と石油製品)P/Lも天然ガスP/Lも毎年必ず、保守点検・定期修理のため1~2週間ほど停止します。

しかし、顧客(輸入者)に迷惑をかけないために供給者(輸出者)は事前に通告して、代替路を用意します。備蓄タンクから供給する場合もあります。

上記の通り、過去長年にわたり、何の問題もなく天然ガスはドイツに供給されてきました。

今年6月、露ガスプロムは突然、修理に出したNS①用タービンが戻ってこないことを理由にドイツ向け天然ガス供給量を削減。7月11日には全面停止、21日に40%操業で再開、27日には20%操業と目まぐるしく輸送量を変えています。

現在論点となっているNS①のタービンは、英ロールスロイス(RR)製ジェットエンジン(モデル名Trent 60)を独シーメンス(Siemens)が地上型に改造したSGT-A65(能力65MW)です。

独シーメンスはこのビジネスから既に撤退したので、タービン修理はRRしかできません。ですから、対象タービンはカナダRRに送られて修理中でした。

本日8月4日現在、修理済みタービンはドイツに保管されており、まだ露ガスプロムの出荷基地に送られていません。

タービン返却問題で物理的に輸送能力が減少したり、突然ゼロになったり、またタービンが戻ってこないのに供給再開したりということは物理的にはあり得ないことです。

では、なぜこのようなことになっているのかと申せば、露ガスプロムは天然ガスP/L輸出を政治の道具に使っているということです。

もちろん、プーチン大統領の意向・指示であることは論を俟ちません。

換言すれば、欧米による対露経済制裁措置強化は効果大であり、ロシアはそれだけ困っているということになります。

このP/L政治利用によるブーメラン効果は、中長期的にはロシア経済に致命的な悪影響を与えることでしょう。

ノルト・ストリーム②(NS②)完工

ここでご参考までに、上記のNS①に並行して建設された海底P/Lノルト・ストリーム②(以後、NS②)を概観します。

NS②は、露ウスチ・ルガ(起点)から独ルプミン基地(終点)までほぼ同じ全長です。完工しましたが、欧米による対露経済制裁措置強化の影響を受け、稼働していません。

露側起点はNS①とNS②では少し離れていますが、独側終点グライフスヴァルト基地とルプミン基地は隣接しています。

ロシアのフィンランド湾からバルト海経由ドイツの天然ガス受入基地まで全長約1230kmの天然ガス海底P/L “ノルト・ストリーム②” (NS②)は2021年6月4日、1本目が完工。

2本目は9月6日に完工し、海底P/Lとドイツ側陸上受入基地との接続も完了。NS②に天然ガス充填も完了し、P/Lはシステムとして稼働態勢が整いました。

NS①は独国内の天然ガスP/L OPALとNELに接続され、NS②はEUGALに接続されています。

NS①の受入基地独GreifswaldとNS②の受入基地Lubminは隣接しており、相互に有機的に接続されています。

NELはオランダ方面と英国方面の天然ガスP/Lと接続されており、欧州域内の幹線天然ガスP/Lは相互に有機的に接続されており、欧州域内幹線P/L網を形成しています。

しかし欧米による対露経済制裁措置強化により、NS②がいつ稼働可能かは現状未定です。

今回のプーチン大統領提案は、この完工済み・未稼働のNS②でドイツ向けに天然ガス供給可能という提案です。

要するに、ロシアは欧州向けにP/Lガス輸出を継続・拡大したいのが本音です。

既存インフラが稼働せず、そのまま風化すれば、ロシア経済に大打撃をもたらすこと必至ですから。

ソ連邦崩壊の底流は長期油価低迷

ロシア経済は油価依存型経済構造です。

1986年以降油価低迷が15年間続き、国庫は空状態になり、ソ連邦は1991年12月25日に崩壊。新生ロシア連邦のB.エリツィン初代大統領は1999年12月31日に辞任しました。

ソ連邦崩壊に関しては様々な政治的要因も絡んでいますが、その底流にあるのは油価低迷です。この点に気づいていない学者・評論家がなんと多いことでしょうか。

また、陰謀論者にとりソ連邦崩壊は格好の材料になっています。

米国の画策により油価が急落し、ソ連邦が崩壊したとの説を流布している人もいますが、これは事実と異なります。

ソ連邦崩壊の引き金は1985年9月13日のサウジアラビア・ヤマニ石油相の原油増産発言です。

もちろん、ヤマニ石油相は油価下落がソ連邦崩壊をもたらすとは夢にも思っていなかったはずですが、このヤマニ発言により以後油価は長期低迷。結果として、ソ連邦崩壊のトリガーになりました。

ロシア経済は油価依存型経済構造

プーチン新大統領が登場した2000年から2022年までの露国庫税収と油価(ウラル原油)の関係を概観します。

2000年から21年までは露財務省発表の実績、22~23年は国家予算案の見通しです。

下記グラフより明らかなごとく、油価と露国家予算の石油・ガス税収(地下資源採取税と輸出関税)の間には正の相関関係が存在します。

油価がバレル$100超の時期は、露国庫在入の半分以上が石油・ガス税収でした。

2015年に油価が大幅下落すると(実際には2014年末から油価下落)、石油・ガス税収は激減。2020年は油価急落により、石油・ガス税収は期首予算案では36.7%でしたが、28.0%にまで下落しました。

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(出所:ロシア財務省統計資料より筆者作成)

2022年ロシア国家予算案概観と国民福祉基金資産残高

2021年の露国家予算案想定油価(ウラル原油)はバレル$45.3でしたが、実績は$69.0になりました。

2022年の国家予算案想定油価はバレル$62.2です。今年7月度のウラル原油平均油価は$78.41、今年1~7月度の平均油価は$83.27になりました。

実際の油価が予算案想定油価よりも高い場合、増収分の輸出関税収入は「露国民福祉基金」に積み立てられることになっています。

同基金の別名は「次世代基金」であり、主要使途は次世代用基金と年金補填、赤字予算の場合の補填です。

ゆえに2021年の露国民福祉基金資産残高は大幅増加となり、また今年に入っても国民福祉基金資産残高は増大するはずでしたが、昨年9月以降、資産残高は減少しています。

2021年9月1日現在の資産残高は過去最高の14.02兆R(ルーブル)、今年2月1日現在12.94兆R、7月1日現在10.77兆Rまで減少。

増えるはずの資産残高が急減していることは、この分がロシア軍によるウクライナ侵攻用軍事費に転用されていることが透けて見えてきます。

その傍証として、プーチン大統領は2022年3月中旬、ロシア政府に対して国民福祉基金を「優先順位の高い目的」への使用許可を示達して、翌4月にその旨の新政令が採択されました。

ロシアから欧州向け天然ガス供給路

ロシアから欧州顧客向け天然ガス主要輸送路は以下5系統あります(bcm=10億立米)。

陸上経路3系統:

①ベラルーシ~ポーランド経由ドイツ(旧東独)(公称年間輸送能力33bcm)

②ウクライナ~チェコスロバキア経由ドイツ(旧西独)とオーストリア(116bcm)

③ウクライナ~ルーマニア~ブルガリア~ギリシャ経由トルコ(26bcm)

(上記以外に、露からフィンランド向け天然ガスP/L 6bcmあり)

海底P/L2系統:

④黒海経由トルコ:ブルーストリーム(16bcm)+トルコストリ―ム(31.5bcm)

⑤バルト海経由ドイツ:ノルト・ストリーム① (NS①/55bcm)+ノルト・ストリーム②(NS②/55bcm)

上記の公称輸送能力は④⑤の海底P/L以外、あくまで公称にすぎません。

特にウクライナ~チェコ・スロバキア経由欧州向け天然ガスP/Lは1970年代に建設された古いP/Lであり、年間実働稼働能力は70~80bcm程度とも言われております。

トランジット国はP/Lトランジット料金を徴収する条件として、P/Lの保守点検・定期修理などの管理を求められています。

ウクライナ側はEUに対し、このトランジット輸送量を現行契約の40bcm以外、さらに55bcm増量を求めました。

この55bcmとはノルト・ストリーム②の年間輸送能力(27.5bcm×2本)と同じです。

すなわち、NS②を使わないで、ウクライナ経由天然ガスを輸入してほしいとEUに要求したわけです。

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(地図出所:米EIA)

PSA (生産物分与契約)とは?

ロシアの法体系優先順位は、≪①憲法 ②法律 ③大統領令 ④政令≫です。

ゆえに、大統領令により連邦法を修正・変更することはできません。

今回の6月30日付けプーチン大統領令416号は、ロシアの法律たる既存PSA(生産物分与契約)条件を毀損する内容になります。

PSAの特徴は、「商業契約」であると同時に、実質その国の「法律」になっている点です。

PSAに付帯する「祖父条項」(grandfather clause)は「当該契約よりも悪い条件となる法律が将来制定された場合、その法律は適用されない」と云う投資家保護内容です。

この点こそPSAと通常の商業契約の本質的な相違であり、S-1とS-2商業契約は1995年12月に制定された露PSA法により、法律に昇華しました。

地下資源、例えば石油やガスの探鉱・開発・生産・輸送計画は20~30年以上の長きにわたるプロジェクトになります。

投資家は長期に亘り莫大な資金を投入するので、例えば将来、プロジェクト対象国の税制が変わり、増税になる事例なども想定されます。

このような不安材料があれば、投資家は誰も投資しません。ですから、契約時の契約条件がPSA期間終了まで遵守されることを保証するのが「祖父条項」です。

PSA期間が終了すると、既存の関連インフラはすべて、その国に所有権が移転します。

ゆえにS-2契約期間が終了すれば、S-2の全インフラはロシア国家に所有権が移転します。

今回のプーチン大統領令はロシアの法律に違反しています。なぜなら、このS-2契約はPSA(生産物分与契約)であり、PSAには「祖父条項」が付帯しており、「法律」になっているからです。

戦時の場合、一時的に大統領令が法律の上位となることはあります(露憲法第80条)。

非常事態の場合(例えば戒厳令布告)、連邦法は一時的に執行停止となり、大統領令が優先します。

しかし、今は「戦時」ではなく「平時」です。

ですから、大統領令は連邦法の下位に位置します。

サハリン・エナジー社の本社がバミューダに登録されているので、ロシア法人のみに地下資源開発権を付与するという改訂資源法に違反するとの指摘もあります。

しかし、PSAには「不利となる法律が後日制定された場合、それは適用されない」と明記されています。

かつ、サハリンで事業活動しているサハリン・エナジー社サハリン支店は、サハリンに登録されたロシア法人です。

「ロシア法人」としてロシアでビジネス展開しているのですから、「ロシア法人のみに地下資源開発権を付与する」との条件に適合しています。

ここで、PSAに関して誤解されている点も多々あるので、PSAを概観したいと思います。

「PSAは法体系が整備されていない国の契約形態である」と言われることもありますが、それは違います。

先進国にもPSAは存在します。地下資源の探鉱・開発には20~30年以上の契約期間が必要故、投資家保護の観点からPSAが存在する次第です。

次によく誤解される点は「PSAは外国投資家に有利な契約である」という批判ですが、間違いです。

PSAは外国投資家に有利なのではなく、投資家を保護する契約形態です。投資家には外資も国内投資家もいます。

今回の大統領令は「PSAは外資に有利なので、ロシア法人に権益を移管する」という趣旨になっていますが、上記の通り事実と異なります。

ロシアの石油・ガス企業も莫大な利益を得ており、国家財政に貢献しています。

仮にPSAが成立しなかった場合、サハリン島北東部沖合のオホーツク海では、石油・ガス等の天然資源は今でも眠ったままになっているはずです。

サハリン・エナジー社のホームページに掲載されている同社の2020年決算書(第7章)によれば、S-2プロジェクト開始から2020年までにロシア連邦政府(サハリン州を除く)に支払った金額は200億ドルに達しており、うち2020年だけでも25億ドル支払っています。

2021年以降の数字は不明ですが、油価とLNG価格が急騰していることを考慮すれば、さらなる金額がロシア連邦政府の収入になっているはずです。

シェルが撤退して、S-2プロジェクトが衰退すれば、この収入も減少します。

外資の資金と技術・ノウハウを導入して自国企業と共存共栄を推進する政策と、外資を排除して自国資源の温存を図る(実態は開発不能)政策のどちらが国益に寄与するかは、論を俟たないと思います。

間違いだらけの『選択』記事

上記をご理解戴いた上で、『選択』(2022年8月号)に掲載された「サハリン2 謀略の真相」を概観します。

この記事は無署名記事なので誰が書いたのか不明ですが、書き手は恐らくロシアに関しても、石油ガスに関しても知見のない人が書いたと思われます。

筆者はこの記事を何度も読み返しましたが、筆者は頭が悪いのか、何が「謀略」で何が「真相」なのか理解できませんでした。

この記事の中に「露タス通信や英ロイター通信の記事を和訳しているだけの日本メディアの現地報道は当てにならない」(64頁)と書いてあります。では、あなたの書いたこの記事は当てになるのでしょうか?

取材内容を何の検証もしないまま垂れ流しにしているのが、あなたの記事ではないでしょうか?

「サハリン2の事業主体がバミューダ法人であることを知っていた記者はどれほどいたか」(64頁)。

プロジェクト関係者は全員知っています。「知っていない記者」にはあなたも含まれていることでしょう。反省すべきはあなたです。

付言すれば、本社登録はバミューダですが、事業活動を展開しているサハリン支店はロシア法人です。

サハリン・エナジー社はPSAに従い、納税しています。

「PSA法とは外資保護法である」(65頁)。違います。PSA法とは「投資家保護法」です。投資家には外資も国内投資家もいます。

「改訂「地下資源法」とPSA法は矛盾する。この矛盾こそ大統領令を正当化する根拠と言っていい。ロシア憲法裁判所には『連邦法に齟齬がある場合は大統領令による解決が可能』という判例がある」(65頁)。

違います。露連邦法間に齟齬がある場合の露憲法裁判所の判例に言及していますが、PSAには「後日、不利になる法律が制定された場合は適用されない」のですから、この判例は適用されません。

PSAとはあくまで、将来不利な法律が制定されることを前提に成立しています。ですから、露憲法裁判所判例は適用外です。

「シェルに買い叩かれるまま、LNGの安値枠を差し出したのだ。それをシェルは現在、40ドル前後で売っている」(65頁)。この記事の書き手は、このことを「謀略」と言っているのかもしれません。

しかし、当時のガス価格は2ドル前後でした。ですから、「安値枠」でも何でもありません。その価格帯が当時の標準価格でしたから。

現在儲けていることは事実ですが、それは、昨年後半から欧州ガス価格(スポット価格)が高騰したからです。現在高値になっているのは、単なる結果論にすぎません。

「三菱商事は、インドネシアのドンギ・スノロLNGのオペレーターを務めており、シェルの技術者が抜けた穴を埋めることもできる」(66頁)。

いいえ、できません。気象条件の厳しい海洋鉱区における石油・ガスの探鉱・開発・生産・輸送事業は、欧米メジャーとハリバートンやシュランベルジャーなどのサービス会社抜きには不可能です。

LNG工場は保守点検・定期修理が必要であり、欧米による対露経済制裁措置が強化されている現状、保守点検・定修を請け負う海外企業は出てこないでしょう。

取材源の言い分を垂れ流しにしているのはあなたです。あなたには、「露タス通信や英ロイター通信の記事を和訳しているだけの日本メディアの現地報道は当てにならない」と言う資格はありません。

残念ながら、あなたが誰か筆者には分かりませんが、あなたが名乗り出ればいつでも公開討論会に応じます。

エピローグ 日本向けLNG供給契約の行方は?

上述の通り、今回のプーチン大統領令416号は、ロシアの法律たる既存PSA条件を否定する内容になります。

ロシアのS-1とS-2契約は同時にロシアの法律ですから、論理的には「プーチン大統領自ら、ロシアの法律を破った」ことを意味します。

これが今回の大統領令の不都合な真実です。

既に、ロシア市場から撤退する外資系企業が続出しています。

石油サービス企業のハリバートン、シュランベルジャー、ベーカーヒューズ等もロシア市場からの撤退を発表。今後、ロシアの石油・天然ガス生産量低下に直結すること必至です。

換言すれば、今回の大統領令416号は外資のロシア撤退の動きをさらに加速させることになり、ロシア石油・ガス産業衰退の契機となるでしょう。

では、今回のロシア大統領令416号により、日本向けLNG供給契約は今後どうなるのでしょうか?

繰り返します。①日本企業が引き続きS-2に権益参加するかどうか、②今後新設されるロシア法人が対日LNG輸出契約を遵守するかどうか、この2つの問題に直接の相関関係はありません。

サハリンに設立される新ロシア法人が対日LNG供給契約を遵守するかどうかは、あくまでも日本側LNG輸入者と新ロシア法人の交渉次第になります。

通常はサハリン・エナジー社の契約はそのまま新会社に移管されることになりますが、今回は大統領令自体が法律に違反しているので、この既契約がスムーズに移管されるのかどうかは未知数と言えましょう。

大統領が自国の法律を自ら反故にするような国に、海外の投資家・企業家は投資するでしょうか?

ロシアの国益を標榜する大統領自らが、結果として、ロシアの国益を毀損しているのが実態です。

プロイセンの鉄血宰相ビスマルク曰く、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。

賢明なるロシア国民の健全なる歴史観が期待されるところです。

杉浦 敏広

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