❏❏❏ 回顧録:2007年7月27日 長野県
ステロイド療法22日目
この日から、長野県・軽井沢に家族で夏休みに出かけた。
がんと間質性肺炎で治療中の私は、会社にお願いして一時期復職していたが、この日(金曜日)は休みを取り、2泊3日で軽井沢に来た。
小学校は、既に夏休みに入っている。
10日後の手術前に、家族で旅行したかったのだ。
手術が終われば、とてもではないが旅行なんて出来ない。
しばらくは、まともに歩くこともできないだろうと教えられていた。
あと、
考えたくはないが、家族との思い出を作って起きたかった。
別に死を意識していたわけではない。
しかし、この頃の私は自分の健康に自信が無かった。
がんの告知を受けた3月の頃は、がんなんて手術すれば、それでおしまい、
ゴールデンウィーク過ぎには復職しているだろう、そんなことを考えていた。
しかし、実際はどうだ?
転移して、最終ステージまで進行していたと解った。
そして、抗がん剤治療が始まった。
そうしたら、抗がん剤の合併症で、間質性肺炎と言う怖い病気が発症した。
そしていま、間質性肺炎の治療も並行して行っている。
何が起こるか解らない。
まさか、こんなことになるとは、数ヵ月前までは思ってもいなかった。
だから、いまから数ヵ月後には、もっと信じられないことになっているのかもしれない、、
そんな恐ろしさがあり、
未来と自分の健康に自身が無かった。
だから、行ける時に行こうと思い、家族旅行を決めた。
軽井沢は、夏なのに涼しくて最高だ。
長野県で生まれ育った私には、ルーツに戻ったような幸せな時間。
子供達と工作場にいった。
現地のNPO法人が行っていた工作教室。
木の枝とか、木切れを使って、工作を楽しむものだ。
息子は、カブトムシを木で作ると言って張り切っている。
娘は、馬を作ると言ってのこぎりで頑張っている。
その光景を、ハゲ頭で、眉毛が無く、青白い顔色をした私がみている。
「あと何日、この子たちの顔を見られるのだろう、、」
ふと、そんなとんでもないことを思った。
不思議なものだ。
がんで辛く苦しいとき、一瞬の幸せな時間があると、この瞬間が最後なのではと思ってしまう。
帽子を深くかぶり、泣いていた。
※5回目の入院まで10日。
大久保淳一