がん闘病中の家族旅行で涙した事

がん闘病中の家族旅行で涙した事

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  • 更新日:2023/05/27

❏❏❏ 回顧録:2007年7月27日 長野県

ステロイド療法22日目

この日から、長野県・軽井沢に家族で夏休みに出かけた。

がんと間質性肺炎で治療中の私は、会社にお願いして一時期復職していたが、この日(金曜日)は休みを取り、2泊3日で軽井沢に来た。

小学校は、既に夏休みに入っている。

10日後の手術前に、家族で旅行したかったのだ。

手術が終われば、とてもではないが旅行なんて出来ない。

しばらくは、まともに歩くこともできないだろうと教えられていた。

あと、

考えたくはないが、家族との思い出を作って起きたかった。

別に死を意識していたわけではない。

しかし、この頃の私は自分の健康に自信が無かった。

がんの告知を受けた3月の頃は、がんなんて手術すれば、それでおしまい、

ゴールデンウィーク過ぎには復職しているだろう、そんなことを考えていた。

しかし、実際はどうだ?

転移して、最終ステージまで進行していたと解った。

そして、抗がん剤治療が始まった。

そうしたら、抗がん剤の合併症で、間質性肺炎と言う怖い病気が発症した。

そしていま、間質性肺炎の治療も並行して行っている。

何が起こるか解らない。

まさか、こんなことになるとは、数ヵ月前までは思ってもいなかった。

だから、いまから数ヵ月後には、もっと信じられないことになっているのかもしれない、、

そんな恐ろしさがあり、

未来と自分の健康に自身が無かった。

だから、行ける時に行こうと思い、家族旅行を決めた。

軽井沢は、夏なのに涼しくて最高だ。

長野県で生まれ育った私には、ルーツに戻ったような幸せな時間。

子供達と工作場にいった。

現地のNPO法人が行っていた工作教室。

木の枝とか、木切れを使って、工作を楽しむものだ。

息子は、カブトムシを木で作ると言って張り切っている。

娘は、馬を作ると言ってのこぎりで頑張っている。

その光景を、ハゲ頭で、眉毛が無く、青白い顔色をした私がみている。

「あと何日、この子たちの顔を見られるのだろう、、」

ふと、そんなとんでもないことを思った。

不思議なものだ。

がんで辛く苦しいとき、一瞬の幸せな時間があると、この瞬間が最後なのではと思ってしまう。

帽子を深くかぶり、泣いていた。

※5回目の入院まで10日。

大久保淳一

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