紗倉まな「一方通行の想いをもてあましているような小説を書きたかった」 新作小説集『ごっこ』の狙い

紗倉まな「一方通行の想いをもてあましているような小説を書きたかった」 新作小説集『ごっこ』の狙い

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  • 更新日:2023/03/20
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紗倉まなが3年ぶりとなる新作小説集『ごっこ』を、2月22日に講談社より上梓した。六つ年下の恋人の浮世離れした逃避行に付き合って、あてのないドライブを続ける「ごっこ」、友人の結婚式に集う客たちの中に、夫の不倫相手が混じっているのではないかと疑う「見知らぬ人」、田舎町の中学で出会った奔放な女友達タクボに、一方通行の想いを寄せる「はこのなか」……ままならない関係性を描いた3篇の短編小説は、どれも著者ならではのシャープな観察眼に思わずハッとさせられる仕上がりだ。カリスマ的AV女優でありながら、作家としても確かな道筋を歩む著者に、本作の狙いを聞いた。(編集部)

参考:紗倉まな、恋愛は「ことごとく玉砕してきた」 3年ぶり小説『ごっこ』の読みどころを明かす

■される側が一方的にかわいそうな被害者とは限らない

――3年ぶりの新作小説は、野間文芸新人賞の候補作となった前作『春、死なん』はもとより、これまでの作品とやや読み心地が異なるように感じました。何か心境の変化があったのでしょうか。

紗倉まな(以下、紗倉):前作は高齢者の性がテーマだったから、というのもあるんですが、今作はもともと担当編集者さんから「よかったら、息抜きに恋愛小説を書いてみませんか?」と言われて始めたものなんです。というのも、そのとき、滞っていた原稿が手元にあって……。息抜き、という言葉に救われて、力を抜いて書けたのが、もしかしたらよかったのかもしれません。

――恋人、夫婦、友だち。それぞれ関係性に名前はついているはずなのに、確信がもてない相手との曖昧な状況に不安を抱く女性たちを描いた短編集ですが、“ごっこ”というテーマは最初から決めていたんでしょうか。

紗倉:それが、全然。最初に書いたのも、表題作「ごっこ」ではなく、三編目の「はこのなか」だったんですよ。「恋愛小説ってなんだろう?」と考えたときに、ままならない関係性を軸に描いたほうが物語をふくらませやすいな、と考えて生まれたのが主人公の戸川爽子と女友達のタクボ。友達以上になりたいけどなれない、一方通行の想いがほとばしりすぎた結果、玉砕してしまう女同士の関係性というのを、以前から書いてみたかったんですよね。相手が結婚して、自分より大事な存在ができてしまったとき、いつまで友達でいられるんだろう、みたいな不安も、恋愛小説になるんじゃないかなあ、と。

――タクボと結婚できていいなあ、と夫を羨むところ、わかるなあと思いました。どんなに相手のことが好きで、幸せにしたいと思っていても、友達という関係性の縛りがあって踏み込めない、というのは切ないですよね……。

紗倉:そうなんですよね。私にも大切な女友達がいて、彼女が幸せになるためなら何でもしてあげたいって思うけど、友達である以上、できることには限りがある。友達って、近しいようだけど、家族でも恋人でもないから、意外と相手の奥底までは踏み込み切れない。そのもどかしさを書いてみたいなと思いました。

――〈身体の隅々にまで宿ったありったけのタクボへの好意を搔き集めたが、やはり云いそびれた。〉という文章もよかったです。長年の友達だからこそ、簡単に好きとは言えない葛藤が伝わってきて。

紗倉:ありがとうございます。これまで書いてきた恋愛小説と違って、二人が性行為に及ぶことはなく、どんなふうに相手の匂いを感じるか、どんなところを慈しんでいるかを書けても、決して触れ合うことはできない。二人の間にはどこまでも決定的な距離があるんだけれど、それでも近い場所にはいるし、いてくれるという感覚を書けたのはよかったなと思います。あと、二人が出会った10代の頃から今に至るまでの、関係性や感情の変遷を描けたことも。結婚や出産というイベントを経ても友達でい続けている二人を通じて、人生というのはそうして、時間をかけて培われていくものなのだし、いつだって現在と過去を行き来することは可能なんだと、書きながら思いました。

――その次に書いたのは……。

紗倉:「ごっこ」です。やっぱり、一方通行の想いをもてあましているような小説を書きたいなと思って書きはじめました。主人公のミツキと、恋人とおぼしきモチノくんが延々と高速道路を走り続けているのは、私自身、車の運転が好きだから。東名高速なんかを走っていると、頻繁に、街のアピールをしたのぼり旗が目に入るんですよ。

――【神奈川県のほぼ真ん中 綾瀬市】とか【七十代を高齢者と呼ばない街 大和市】とか。作中にも登場しますが、あれ、本当にあるんですね。

紗倉:あるんです(笑)。ちょっと意味不明だな、とその旗を見て思いながら車を走らせていると、ときどき「このまま逃げ切ったらどういう気持ちになるんだろう」「このまま帰らなかったらどうなるんだろう」と考えるんですよね。そのふとした欲望を小説で実現させてみた、という感じです。

――「はこのなか」と違って、インターネット上で知り合った二人の関係性には、まるで歴史がありませんね。

紗倉:何も考えずに行けるところまで行きたい、なんて無謀な願望をかなえようとする人と、それに付き合える人は、現実に時間をかけてはぐくまれた関係ではないだろうなあ、と思って。モチノくんみたいに、なんでもかんでも品評したがる人と、自分の感想をうまく言葉にすることのできないミツキのような人は、きっと噛み合わない場面のほうが多いはず。それでも、車内という密閉された、目の前の現実以外と遮断された空間でなら、うまくいっているようにみえる瞬間も生まれるんじゃないかと思いました。

――写真を撮るモチノくんは芸術家きどりで、何かにつけて上から目線。ミツキにも暴力をふるうし、読んでいてだいぶ腹が立ちましたが、何も言えないミツキも実は、心の中で「才能がない」と切り捨てている。その関係が妙にリアルで、おもしろかったです。

紗倉:作品の良し悪しを語るのって本当に難しいなと思っていることを、二人の会話には託しました。モチノくんのように、才能があるわけじゃないのに、他人の作品を吐き捨てるように否定したり、見下す人っているじゃないですか。一方でミツキのように、みんなが褒めているもののよさが理解できず、場の空気を壊さない感想を語ることができない人もいる。そんなちぐはぐな二人を書いてみたいと思いました。結果、語彙力がないと馬鹿にされていたミツキが、言葉で反逆し始める場面が、書いていてとても心地よかったです。

――「ギリギリ死なない程度に暴力を振るうのだって、すごく失礼なことじゃない」とか「(モチノくんに剃らされた毛には)わたしの尊厳と安全が詰まっていたのよ」とか、それまで黙っていただけに、ミツキの言葉は切れ味抜群でしたね。

紗倉:車だけでなく、命のハンドルを握っている人が替わった、その瞬間を書けたのもよかったなと思います。ただ、モチノくんは確かに自己愛が強くて、クセも強くて、いやな人なんだけど、ミツキも負けず劣らずヤバい人なんですよね。それも、ちゃんと表現しなくちゃいけないと思って。抑圧する側とされる側が一見明確だからといって、される側が一方的にかわいそうな被害者とは限らないよな、と。

■わりきれなさ、というのはどの作品にも共通したテーマ

――二編目の「見知らぬ人」も、誰が傷つける側で、傷つけられている側なのか、不明瞭なところがよかったなと思います。夫婦で結婚式に参加したあと、荷物も上着も置いて失踪してしまった夫を、夫の浮気相手と一緒に探す……というと主人公の那月が被害者のようですが、那月は那月で不倫しているという。

紗倉:わりきれなさ、というのはどの作品にも共通したテーマで、だからこそ「ごっこ」というタイトルがしっくりきたのかもしれませんね。うわべはうまくやっているように見える、他人には厳しい視線を注いで、ジャッジするようなことも言うけれど、自分だってその厳しさに耐えうるようなはっきりとした存在ではないんだ……ということを、とくに「見知らぬ人」では書きたいと思いました。でも、それこそが人間らしさだなとも思うんです。「えらそうなこと言ってたけど、あの人も結局そんなもんなんじゃん」っていうダメさは、けっこう多くの人が抱えているのかなと思うので。

――浮気相手の女性も、自分のことは棚に上げて、那月や夫をジャッジし、とうとうと持論を語っていましたよね。腹立たしいけど、妙に痛快でした。

紗倉:最初は那月ひとりで夫の行方を追うつもりで書いていたんですけど、いつのまにか彼女が割り込んできて。おっしゃるとおり、加害者であるはずの人が悪びれずに雄弁と語るってめちゃくちゃ腹立たしいんですけど、遮らずに語らせるままにしておく那月も那月だなって気はするんですよね。そこに彼女の罪があるというか。二人の掛け合いは、書いていて楽しかったです。

――那月の浮気相手も、いい味出していましたよね。モチノくんのように、他者を品評したがるクセのある人ですが、偉そうなことを言っているわりに性欲はおさえきれず、すぐあられもない姿をさらけだす、っていう間の抜けた感じが、二人は似ているなと思いました。

紗倉:それは、私自身、常々感じていることなんですよ。職業病かもしれないですけど、すました顔で高尚なことを語っている人が、実はものすごい性欲の持ち主だったらおもしろいなあ、とか。あんなにカッコつけていたくせに、ふたを開けてみたらめちゃくちゃスタンダードなプレイしかしないな……とか(笑)。気取っている姿も、性欲をむきだしにしている姿も、その人の多面性として受け止めるべきだってわかっているんですけど、どうしてもちぐはぐに感じられてしまう瞬間があって。それはそれ、これはこれ、とはどうしても思えないおかしみ、みたいなものを描きたい気持ちはありました。ただ、これは女性特有の感覚というか、男性がそのギャップにおかしみを感じて笑っちゃう、みたいな話はあんまり聞かないので、彼らの描写が男性読者を傷つけなければいいなと思っています。

――いいときは「思い出すとちょっと笑っちゃう」で済んでいたそのギャップが、関係がねじれたとき、憎しみに変わるみたいなこともありますよね。

紗倉:ありますね。相手に対するいじわるなまなざしが、ヒステリックな感情に繋がってしまうことは、私もけっこう多いんです。とはいえ、現実の相手には、ノンストップでまくしたてることはできないじゃないですか。だから小説では「これ以上言ったらまずいんじゃないか」といつも自分にかけがちなリミッターをはずして、登場人物に思いきり語ってもらうようにしています。その先に、どんな変化が起きるのかを、見てみたいから。結果、「ごっこ」も「見知らぬ人」も判別のつかない終わり方をしてしまいましたけどね(笑)。

――わりと読者に委ねるというか、突き放すような終わり方をするのも、紗倉さんの小説では珍しいのかなと思いました。

紗倉:それはやっぱり“ごっこ”というテーマが大きかったんだと思います。曖昧な関係性のなかで、白黒はっきりつけた結末を迎えることを、想像できなかった。よく「ここで終わるとは思いませんでした」「続きはどうなったんですか」と聞かれるんですけれど、私としてはどれも、ここで終わるしかないとしっくりきた結末だったんですよね。作中の人物だけでなく、正当に名づけられた関係性を他者と築ける人ばかりではない。なんとなく恋人っぽい、夫婦っぽい、友達っぽい、ごっこ遊びのような関係をゆるく繋いでいくことでしか生きていけないことも、きっとあるはず。そのままならなさを解消するのではなく、抱えたままどう前に進んでいくのかを、この作品では書きたかったのだと思います。

――次は、どんなものを書きたいですか。

紗倉:実は、書いてはボツになっていえる作品があって。女性の身体とか、容姿を変えることについてのお話なんですけれど、いつか形になればいいなと思っています。ただ私、形にするまでがめちゃくちゃ長くて……。今作を出すまでにも三年経ってしまったし、いつまで書きたいと思っていられるのかな、書き続けていられるのかな、と不安になったりもします。それでも、今作を通じて、やっぱり書くこと・読まれることは私の人格を形成する一部なんだと感じることができたので、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

立花もも

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