「小悪魔ageha」のモデルとして人気となり、その後テレビ番組を中心に引っ張りだこの存在となった椿彩奈さん(当時・椿姫彩菜)。現在は活躍の場を広げ、ネット番組やイベントでの司会業、さらに麻雀プロとしても活動している。
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08年、自らのセクシャリティを赤裸々に明かした自叙伝「わたし、男子校出身です。」がベストセラーになった彼女だが、テレビでの活躍の裏で、セクシャルマイノリティとしか見られないことに苦しみ、模索する日々だったという。(全3回の1回目/2回目に続く)
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椿彩奈さん ©鈴木七絵/文藝春秋
社長が私につきっきりで頑張ってくれた
ーー椿さんの芸能界入りのきっかけは「小悪魔ageha」の創刊時に読者モデルとして選ばれたことでした。中條寿子編集長の旦那さんが、椿さんが働く夜の店に来て「かわいい子がいる」と伝えたのがきっかけだったそうですね。
椿彩奈さん(以下、椿) はい、その話は噂で聞きました。その後、中條さんが私のちっちゃいホームページにスカウトのメールをくれました。当時は芸能界に入ろうとは1ミリも思っていなくて。普通に大学を卒業して、専攻していたフランス語を活かして仕事に就こうと思っていたんです。
モデルも専属ではなかったんですけれど、メインモデルの一人に選んでもらい、雑誌に大きく載っけてもらって。そこで事務所に入りました。
ーーツインプラネットですね。今はモデルやアイドルが所属している事務所というイメージが強いです。
椿 ツインプラネットって、私が芸能の仕事をするからできた事務所だったんですよ(笑)。今となってはものすごく大きくなったんですけど、当時は私一人しか所属タレントがいなくて。
もともと社長の矢嶋(健二)がセクシャルマイノリティに対して、偏見の塊だったんですよ。でも私と話すことで、その偏見に気づいて「俺と同じような驚きを世間にちゃんと広めよう」となったんです。
矢嶋は友達みたいな感覚で、私につきっきりで頑張ってくれて、それで売れてという感じでした。私を売った後に、小森純ちゃんを売って、その後に鈴木奈々ちゃんを売ってという感じです。
別人の写真を「私の写真として使われそうに」
ーー当初「小悪魔ageha」のモデル以外にどんな仕事をされていたんですか。
椿 大学ではフランス語専攻だったので、「星の王子さま」の翻訳のお手伝いをしたり、あと「BUBKA」で連載もしていました。
テレビにも出てはいたんですが、タレントではなく珍しい一般人という扱いでした。当時のテレビはセクシャルマイノリティへの偏見がひどくて、女の子と一緒に並んで間違い探しのハズレとして扱われたり、私は小さい頃から女の子っぽいんですが、テレビ的にはそれが面白くないと、超イカつい人の写真を私の写真として使われそうになったこともありました。
イロモノ、ゲテモノの役割を押し付けられる感じがすごくあって、毎回仕事に行くたびに泣いてました。
ほかにもテレビ番組で「芸人さんチームで出てください」と言われたり。セクシャルマイノリティ=芸人みたいな扱いだったんです。そういうことが多すぎたから、仕事を断ったら「あいつは調子に乗っている。もう使わない」とプロデューサーに言われて。週刊誌で「調子に乗ってる」「デビューし立てなのに生意気だ」とかめちゃくちゃ言われました。
私としては芸人さんみたいな特殊な才能はないし、芸人的なものを求められてもできないので、断っただけなんですけど...。当時は怒ったり、泣いたりしてましたけど、途中からは逆にそうした偏見を変えるチャンスだなと思うようにしていました。
ーー2008年には初の自叙伝「わたし、男子校出身です。」を出版しベストセラーとなります。体は男性、心は女性として生まれた苦しみを幼少期から赤裸々に綴っています。
椿 本を出版する前に「小悪魔ageha」で一度、私の自叙伝を漫画にしてくれたんです。テレビではイロモノとして扱われていたけれど、編集長は輝いている一人のモデルの自叙伝として作ってくれました。
その漫画が好評だったので、いろんな出版社さんから声がかかったんですが、その中でちゃんとセクシャルマイノリティの問題をクローズアップしてくれるということでポプラ社さんで出すことにしました。
「セクシャルマイノリティであることは、私の全てじゃない」
ーー本を出版してからの反響は大きかったですか。
椿 全然違いました。海外展開もしたので、出版イベントで台湾に行ったり、アジア圏でも結構売れたので海外のメディアの仕事もしました。全国の書店で握手会やサイン会もしたんですけど、 行く先々で「先生」と言われて「えええ」となったり(笑)。
セクシャルマイノリティの方から「自分らしく生きようと思いました」と言葉をいただいたのは嬉しかったですし、セクシャルマイノリティのお子さんを持つ親御さんも参考文献みたいに読んでくれていました。
あと、学校の課題図書にも選んでもらいました。ポプラ社だったこともあって、小学校、中学校とかの図書館でも置いていただいて。それはよかったなと思いました。
ーー一方で、アダルトコーナーに置いている書店もあったとか。
椿 テレビと同じようにセクシャルマイノリティ=イロモノ、エロみたいな考えが当時はあって、エロ本コーナーに置いてあったこともありました。私がフィットネスのDVDを出した時もエロコーナーに置かれてましたね。当時の偏見の塊のような人たちからすると、やりかねないなという感じではありました。
ーー著書を読むと、そうした偏見をなくすことに使命感を持っていたと感じました。
椿 デビューした当時は、セクシャルマイノリティへの偏見がすごく強かったですし、勝手にセクシャルマイノリティだけでなく、コンプレックスを持った人たちの力になれたらいいと思っていたんです。でも、どこへ行ってもセクシャルマイノリティの人と扱われてしまって...。
私にとってセクシャルマイノリティであることは、個性の一つではあるけれど、私の全てじゃない。私のセクシャリティを話さなくても大丈夫な、一タレントとしてのスキルが欲しいなと考え、そこから司会業やゲーム実況の仕事をやるようになったんですよ。そうした仕事だったら、セクシャリティについて話さなくていいですし。
「オタク」として趣味を活かす仕事をするように
ーーそこからゲームであったりオタクとしての趣味を活かしていくんですね。それ以前はなかなかそうした面は出せなかった?
椿 事務所に「出すな」って言われてたんですよ。「オタクはまだイメージがあまりよくないから」みたいな。当時はオタクに対しての偏見も強くて。せっかく事務所的には女子大生アイドル、綺麗なイメージで売っているのに、オタクなイメージをつけたくなかったんです。だから「言うな」って。ツインプラネットを辞めて、ホリプロに入ってからは、自分の趣味であったり、MCの仕事を中心にやるようになりました。
今はアニメ好き、ゲーム好きの女性タレントは多いですけど、当時はほとんどいなかった。 好きでも公言できないし、事務所からストップもかかっていたと思うんです。それこそ、公言しているのはしょこたん(中川翔子)ぐらい。途中で矢口真里さんが入ってきたけど、オタクにすごく叩かれていましたね。
ーー矢口さんへのオタクの反発、確かにあの当時はありましたね。
椿 矢口真里さんに悪気はないんだけど、オタクたちが認めるくらいやりこんでいないだけで「私、超このゲーム好きです」って言っちゃってたので、オタクたちも「俺たちの好きなゲームを仕事に利用するな」という感じがありました。矢口さんの話ではないのですが、当時は私もいちガチゲーマーとして、ゲーム全然わからない子がゲーム番組に出ていて事故ってたりすると、もったいないなあと思っていました。
一方で私は、ゲームの仕事が来ても「そのタイトルは好きだけど、全シリーズやり込んでないから失礼」と仕事を断ったこともありました。そうしたら、私より全然そのゲームをやっていない子が「好きです」って私の代わりに出演していて。「それだったら、私が受けたよ」となったり。
でも、好きって人それぞれで度合いが違うので、その時の矢口さんの好きは、それはそれで嘘じゃない本当の気持ちなんですよ。ほとんどのゲームでも8、9割はオタクが認め難いいわゆるにわか、ライトユーザーなので、やっぱ大事にしないと、そのコンテンツは滅びる。今は1割のガチ勢の声が大きすぎる気もしますね。
「接待プレイもしてました」「『女がゲームなんて』と死ぬほど言われて」ゲーム業界で活躍するタレント・椿彩奈が女性ゲーマーとして感じた“苦労”へ続く
(徳重 龍徳)
徳重 龍徳