打ち上げ花火、あちらから見るか~『嫌いなら呼ぶなよ』(綿矢りさ)|夜のオネエサン@文化系

打ち上げ花火、あちらから見るか~『嫌いなら呼ぶなよ』(綿矢りさ)|夜のオネエサン@文化系

  • 幻冬舎plus
  • 更新日:2022/09/23

差し迫ってやらなくてはいけないことがないことはないのだけど、全然仕事する気分じゃないという日には、はなから机の前になど座らずに仲良しのお姉さんに愚痴でも話しに行くというのは悪くない選択のように思う。というか、自分に甘い私がギリギリまともな社会人ぶって生きていくのならば、自宅ソファ上で24時間すっぴんでジタバタするより、せめて眉毛など描いて出かけていた方が、美意識の高かった天国のお母ちゃんもきっと安心する。ゴロゴロするには長さの足りないソファの上で寝落ちしたところで、目覚めた時突然瑞々しい才能が溢れてきたり、猫型ロボットが訪ねてきたりはしないというのが、十数年間文章屋を続けてきて最近ようやくわかってきた。

というわけで先週の月曜日、名目上は執筆中の原稿の相談で、内実はラムのラブソングみたいな愚痴を聞いてもらいに、渋谷ヒカリエで買ったクッキーと餃子などぶら下げて、コトゴトブックスの事務所に店主の綾子さんを訪ねて行った。入るなりピカピカの床でのたうち回る迷惑な訪問客は、数分観察した後に箒で外に追い払われてもおかしくないと思うのだけど、太宰好きの美人は情に厚く幸が薄いと相場が決まっているので、綾子さんはいつ訪ねても迎え入れてご飯まで食べさせてくれる。この世で上位3番目以内の水準で幸福になってほしい。そしてそのレベルの幸福を手にした後もたまには私の相手をしてご飯も作ってほしい。

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『 嫌いなら呼ぶなよ 』(綿矢りさ 河出書房新社)

で、コトゴトブックスの事務所は本屋さんだけに新刊が揃っている。綾子さんがお腹を空かせたすずみちゃんに豆腐や野菜を切ってくれている間に、本の棚からあれこれ出して1ページだけ読んでは部屋を散らかしていたところ、「これ傑作だから読みなよ」と教えてもらったのが綿矢りさの新刊『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)だった。ただし私は本を読むのが遅く、先に読み始めた4本目の短編を5ページも読んだら食卓にはすっかりおしゃれで美味しいものが並んでいたので、心の端で続きを気にしながら、ご飯とおしゃべりに夢中になって、気づけば終電に近い時間で慌てて帰ってきてしまい、翌日書店で平置きされていたその本を買ってあらためて自宅ソファで今度は1ページ目から順に、ある意味ジタバタしながら読んだ。

収録された4つの物語はいずれも、"異常な人"が主人公であり語り手である。それも、自意識がすごいとか面倒臭さがやばいとか、ある意味純文学の主人公としてはステレオタイプだけどその異常さこそ才能とか言われていそうな異常さではなく、現代社会に蔓延る異常さとしてネット空間や週刊誌で名指しされているような凡庸な異常さである。

社会の、特にネット社会で大人数のように見える"正常な人"に"異常だ"と後ろ指を指され、時に言葉で分析され、取り締まられ、排除されそうになるような人。バレバレなのに浮気がやめられないヤリチン夫、さりげないカジュアルファッション全盛の今ロリータ服を着てプチ整形を繰り返しカワイくあることに命をかける女、気になるユーチューバーに粘着して応援と称して誹謗中傷コメントを書き続けるファン。

通常は"世間"や"ネット警察"や"普通の人"に、眼差される側にいて、私のような迂闊な文章屋などに、こういう人最近いるよね~現代の闇だよね~と書き立てられて、根幹にあるのはズバリ男根コンプレックスなのです、とか、想像力の欠如をもたらした教育政策の失敗が生み出したのです、とか、ルッキズムに毒された社会の被害者なのです、とか勝手な社会批評の種にされがちな彼らが、ここでは世界を眼差す側に立っている。普段彼らを異常だと指差している世間が彼らの目に映る。あちらから見れば"フツウの世界"は実に歪(いびつ)で、"フツウの世界"が信じ込んでいる正解には何の根拠もなく、しかも自分らは多数派でまともなのだという最高の盾でもって安全な場所から、イノセントなままに人を傷つける。読者は異常な人の異常な思考回路につい納得してしまううちに、パラレルなワールドに一瞬だけ誘い込まれている。

表題作である「嫌いなら呼ぶなよ」は、妻の友人の主催するバーベキューに夫婦で出かけたら、実はその会は妻や友人たちが仕組んだ罠であって、2組の友人夫婦と涙を流す妻に一斉に不倫を責められる夫の目線で綴られる。夫の脳裏には「妻と愛人で立場が違うとはいえ、同じ恋愛感情なのに、楓は周りから同情されて、星野さんは蔑まれ悪しざまに言われる。ただただ僕を好きで、頭では駄目と分かっていても離れられないだけなのに」というような真理がしばしばよぎり、ついつい愛人の側から世界を見る癖が育っているアラフォー独身の女性なんかは時折声に出して読みたい日本語に触れた気分にもなる。被害者ヅラを崩さず夫を陥れた妻も、正直全然関係ない部外者なのに場を仕切って人の気持ちを決めつけるような友人たちも毒々しく、異常なのはこっちだったのか、などと納得しかける。

しかし夫はそんな一触即発で絶対絶命の場で、「自分も他人も責めすぎないで、穏やかにホンワカとストレスをためずに、どこかに逃げ場を残しておく生き方が一番だ」としみじみ思ったり、自分の不倫を「そんな低次元の感情ではない。もっとストイックな行為だ」と位置付けたりする。やっぱり彼は彼で異常な人に間違いはない。そしてここに集まる彼以外の人は不倫大好きな彼から見ても、絶対不倫なんてしていない人ではあるけれど、不倫をしていないというだけで彼らが正義の側に立つ理由にはならない。異常でない人がいないのだ。自分に責められる一点があると思っているという点で、世間よりはちょっと彼の方がマシのように思えるけれど、それは数十ページ彼の視点で物語を読み進め、すっかり愛着が湧いたからというだけの気もするし、多勢に無勢ならそちらを応援したいという心理のような気もする。

綾子さんのところで読みかけた4編目「老は害で若も輩」は、インタビュー原稿の直しをめぐって言い争う30代の女性純文学作家と40代の女性ライター、そしてそれを嫌なことに巻き込まれちまったぜ的なポジションで見守っているうちに巻き込まれていく20代の男性編集者がものすごい勢いでメールをやりとりする様子が編集者目線で語られていく。純文学作家は実に嫌なやつ、ライターもほんとに我が強く話が通じない。

ちなみにライターの原稿をほぼ全て書き直してきた上に、「傷つきました」と可哀想な被害者のポジションを明け渡さない「繊細ヤクザ」の作家の名前は「綿矢りさ」。それで最初は笑いながら読んでいるが、つい最近とある雑誌の編集ライターさんが書いてくれたインタビューを変更履歴表示で真っ赤になるほど直したことや、記者時代に「あーそんなニュアンスのところは直せないっすねー、事実関係だけあってればよくなーい?」と変更希望を伝えてくる取材先をウッゼと思っていたことなどがチラチラと思い出されて、語り手の若手編集者が2人を老害として疎ましがる様子にいたたまれない気持ちになるなど。

しかし老害を眼差すこの若手編集者も酷く未熟で、老害ババアたちにちょっと痛いところを批判されると徐々に自制心を失っていく。この世は苦界にございます。正常な普通、なんてものがいかに脆弱か、自分は異常じゃないという認識がいかに甘い幻想にすぎないか、ピンクに青のドット柄の単行本は、この世の全てをお前ら異常だと断罪したい気持ちの中に、この世の全てに異常なのは私でしたゴメンと言いたい贖罪の気持ちが点在する今の私の心中のようです。とりあえずインタビューを書いてくれた綺麗な編集ライターさんには今度綾子さんのところに持って行ったクッキーでも送ろう。

ちなみにあの夜、私と綾子さんが話していたことを乱暴に要約すれば、男の人の考えというのは結局よくわからないし、なんとなく女の方が生物としてちょっとイケてるような気がする、というようなことなのだけど、それはあちらから見れば当然パラレルなワールドの世界観でしかないのでしょうね。この世はやはり苦界にございます。

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鈴木涼美

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