任天堂がWiiUの手痛い失敗から得た勝利の方程式

任天堂がWiiUの手痛い失敗から得た勝利の方程式

  • 東洋経済オンライン
  • 更新日:2021/10/14
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Nintendo Switchの大ヒットも学びがあってこそ(撮影:前野裕香)

あの大企業の新規事業はなぜ失敗に終わったのか。世界有数の企業20社の製品・サービスの事例を分析した新著『世界「失敗」製品図鑑』を上梓した荒木博行氏が全3回で3社のケースを読み解きます。

第1回は「任天堂/Wii U」編。任天堂史上2番目に売れなかった家庭用ゲーム機となってしまったWii U。身体レベルの没入感を実現しながら、プレイステーションやXboxら競合に敗れてしまいました。その道のりから、私たちが学ぶべき教訓とは?(本稿は新刊の一部を再編集したものです)。

最新テクノロジーを搭載した大ヒット機Wiiの後継機

2011年6月、任天堂は新しいゲーム機Wii U(ウィー・ユー)の全貌を公表しました。その特徴は、液晶画面を搭載したタブレット端末のような専用コントローラー「Wii Uゲームパッド」にありました。テレビとゲームパッドという2画面を同時に活用することにより、今までにない身体的な動きを伴うゲーム体験を実現しようとしたのです。

この他にも任天堂は、カメラ、マイク、スピーカー、タッチペン、そしてHD画質対応などハードウェア面での充実をアピールしました。発表に際して、岩田聡社長(当時)は、「(Wii U上での遊び方に関する)新しいアイデアが次から次へと浮かんでくる」と自信を見せていました。

Wii Uの発売当時、任天堂は苦境に立っていました。2006年に発売された第1世代の「Wii」(ウィー)は家庭用ゲーム機で久々の大ヒット商品となりましたが、やがて売り上げは減速。2011年2月に投入した「ニンテンドー3DS」も低迷し、2011年3月期連結決算では大幅な減収減益に落ち込みました。この難局の打開策こそが、Wiiの後継機であるWii Uでした。

しかし、ゲームを取り巻く環境はWii投入の時代から大きく変わっていました。「モバゲー」「グリー」といったスマートフォン上で展開されるソーシャルゲームが台頭する中で、「ゲームのためにわざわざハードウェアを買う必要があるのか」という新たな問いに向き合う必要があったのです。

その問いに対して、任天堂は「Better Together(一緒はよりよい)」というコンセプトを提示します。

「スマートフォンの台頭により、家庭内は同じ屋根の下に一緒にいるもののやっていることは別々という『Alone Together(一緒でも孤独)』状態になっている。しかし、Wii Uを使えば、同じゲームを通じてもう一度家族が一体になることができる」。このようにWii Uを位置づけ、Wiiが獲得したファミリー層を維持することを狙います。

スマートフォンの時代に、ゲーム専用のハードウェアは売れるのか? 任天堂は、アメリカで2012年11月18日に、日本では同年12月8日にWii Uを発売することを発表します。本体価格は、ベーシックモデルで2万6250円、プレミアムモデルが3万1500円。この価格は原価割れの設定です。ハードでは赤字でもソフトで回収する、というモデルでした。

販売目標を、2013年3月末までに550万台、ソフトウェアで2400万本と定め、Wiiの初年度販売台数の584万台、ソフトで2880万本と同等の規模感を実現すべく、Wii Uは発売を迎えたのです。

「ソフトの少ないゲーム機」に

Wii Uは好調なスタートを切ります。日本では発売2日間で約30万9000台を売り上げ、Wiiの2日間で約37万2000台という記録には及ばなかったものの、素晴らしいスタートダッシュで飛び出したのです。

しかし、発売から約2カ月が経過した2013年1月30日、岩田社長は決算発表の場において、任天堂の業績予想を従来予想の200億円の黒字から200億円の赤字に下方修正することを明らかにします。下方修正の理由は、1月に入ってからのWii Uの急激な失速にありました。発売直後こそマニア層がこぞって購入しましたが、検討者層が様子見のまま動かなかったのです。

販売不振の背景は明確でした。それは、ソフト数の少なさです。

任天堂のハード戦略には、ある方程式がありました。それはハードの魅力を十分体験でき、そのハードでしか遊べない「キラーコンテンツ」と呼ばれるソフトを初期段階で売り出すこと。ソフトの注目が高まればハードも売れ、ハードが売れれば外部のソフトメーカーも参入する。魅力的なソフトが増えれば、またハードが売れる……このような循環構造を初期段階で作れるかに勝負がかかっていました。

ちなみに先代のWiiはこのセオリー通りに売れたハードです。「はじめてのWii」や「Wiiスポーツ」といった自社開発ソフトを通じて、Wiiという新しいハードの魅力をユーザーに体感してもらい、「サードパーティ」と呼ばれるソフトメーカーの参入促進に成功したのです。

ところが、Wii Uではこのサイクルを生み出すことに失敗します。初期の自社ソフト「ニンテンドーランド」、「ニュー・スーパーマリオブラザーズ・U」では、Wii Uの魅力を拡散するまでには至りませんでした。

この初期段階でのもたつきにより、サードパーティのソフトメーカーは、Wii Uへの参入に躊躇してしまいます。さらに、任天堂にとってもHD画質対応のソフト開発は難しく、「ピクミン3」など有力タイトルの発売延期が続出。結果、Wii Uは、Wiiのソフト数の2割程度のラインナップしか取り揃えることができず、徐々に「遊べるソフトが少ないゲーム機」という位置付けになってしまうのです。

2013年度は販売計画900万台に対して272万台という大幅未達の結果で着地しました。プレイステーション4(1年で420万台)やXbox One(1年で300万台以上)と比較しても、Wii Uは一人負け状態でした。

翌2014年3月時点の連結業績では任天堂は営業利益ベースで464億円の赤字に陥ります。岩田社長は、この決算を受けて「Wii Uは想定したどんな状況よりも悪い」と危機感を露わにします。

その後も「マリオカート8」や「スプラトゥーン」、「スーパーマリオメーカー」といった自社開発ソフトのヒットによって一時的にハードの売れ行きが回復を見せますが、長期的な販売実績にはつながりませんでした。

2015年7月に岩田社長が胆管腫瘍のために逝去され、後を引き継いだ君島達己社長は2016年3月、Wii Uの生産を年内に終了予定と発表します。

Wii Uの累計販売台数は1300万台。Wiiが1億0163万台だったことと比較すれば、Wii Uの実績の厳しさは明らかです。任天堂史上2番目に売れなかった家庭用ゲーム機として、Wii Uはその幕を閉じました。

なぜ失敗したのか?

Wii U失敗の要因は、サードパーティであるソフトメーカーを巻き込めなかったことにあります。

サードパーティが収益性を高めるためには、過去に開発したソフトを可能な限り多くのゲーム機で展開するのが定石です。この「マルチプラットフォーム」戦略にのっとれば、本来Wii U版を開発しても良かったはずです。

しかし、実際にはWii Uの開発の壁は高すぎました。Wii Uのハードは複雑で、サードパーティ側に多くの工数を要求するものでした。さらに、任天堂の開発ツールはオープンに無償配布されるのではなく、審査があり、かつ有償配布になっていました。ソフトメーカーにとってはWii Uはコストがかかる面倒なプラットフォームだったのです。

この状況は、任天堂の独自の思想も影響しています。究極のゲーム体験を追求するため、ユーザー優先という秩序のもとに構築されたハードとソフトの高次元の融合モデルを目指す、というものです。

しかしこのモデルは、初期段階でうまくいかなければ自社だけで戦い続けなければならないことを意味します。実際にWii Uは初期の自社開発ソフトで失敗したことで、完全に孤立した戦いを強いられてしまいました。

プレイステーション4やXbox Oneがサードパーティを巻き込みながら「オープンな生態系」を作り、ヒット作を柔軟に取り込んでいるのと比較すると、とても対照的な構図でした。

スイッチはWii Uの教訓を生かした

ちなみに、Wii Uの後継機である「ニンテンドースイッチ」は、発売月の2017年3月だけで世界累計274万台に達し、わずか2年でWii Uの累計販売台数を超える売り上げを記録しました。この大ヒットの背景には、Wii U失敗で得た学習が反映されています。

スイッチの開発の中核を担った企画制作本部の高橋伸也本部長(当時)は、Wii U時代のサードパーティの開発のしづらさの反省を生かし、開発ソフトウェアの選定なども含めてサードパーティが開発したくなるような環境作りに尽力したと語っています。つまり、頑ななまでのユーザーファーストの姿勢を緩め、サードパーティとのバランスを取ったのです。

任天堂はWii Uの失敗により経営危機が囁かれましたが、一連の経験を総括して、今までの成功の方程式を素早くチューニングしました。その姿勢に、任天堂の強さの真の理由を垣間見ることができます。

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任天堂にとってWii Uの苦難は、プラットフォーマーとしてのバランスの取り方を考える機会として、決して無駄ではなかったのです。

ユーザー体験を高めるために、ハードとソフトが高い次元で連動するモデルを作ることの是非は、ケースバイケースであるため簡単に答えが出る問題ではありません。

しかし、もし先行きに不透明感があるのであれば、より多様な関係者が参加したくなる、もしくは応援したくなる枠組みを作ることは、成功確率を高める1つのカギとなるでしょう。

「ダイバーシティ」という言葉が語られて久しいですが、多様な人、多様なアイデア、多様なプレイヤーを受け入れられる枠組みを用意できることは、不確実な時代における競争力の源泉になります。

この事例をきっかけに、自社のビジネスを振り返ってみて、「不確実性と多様性のバランス」のあり方を考えてみてはいかがでしょうか。

(荒木 博行:学びデザイン社長)

荒木 博行

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