M-1騒動に学ぶ、「評価のデザイン」一番のポイント

M-1騒動に学ぶ、「評価のデザイン」一番のポイント

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2022/08/08
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さてこれまで、”評価システムをどうデザインするか”について、基礎的な要素をお伝えしてきましたが、ここで一旦一区切り。

ちょっと引いた視点で”評価デザインの価値観”について考えながら、全体を振り返ってみたいと思います。

若手漫才師日本一を決める超人気TVイベント、M-1グランプリの話をさせてください。僕も毎年楽しみにしていますが、この連載でお話してきた観点で見ると、あの採点システムには気になる点がいくつかあります。

M-1の採点システムは、”面白い”と思ったら高得点をつける、という極めてシンプルな作りになっています。”技術点”とか、”芸術点”という、細かい項目は一切ない。これ自体は別にいいのです。以前話した通り、細かければいいということではありませんから。

ただし、”面白さ”の定義が不明瞭なのです。果たして誰にとって面白いか、という点に関して説明がありません。

これは多分、審査員一人一人にとって、ということなのだと思うし、”笑い”がとても感覚的であることから考えても、それが分かりやすい基準。

でも2018年には、上沼恵美子さんが自分の感情で採点していると一部で批判されて、物議をかもしました。

それの何が悪いのでしょうか。もし、それは困る、ということであれば、世の中一般の人にとって面白いかどうか、で審査されるようにしなければならず、そのことが明確に伝えられていなくてはいけません。

そして、この場合にはやはり、面白さを”分”けて”析”することが必要になります。例えば暴力的であったり、品がなさすぎたりすることがないか。ネタの題材が限定的すぎて、ごく一部の人にしか分からないといったことはないか、なども評価の対象になるでしょう。

また、”点数”の基準も謎です。何を以て100点として、何を以て80点としているのか。今まで説明があったことはありません。

例えば、その2018年。最高点と最低点の差が一番小さかったのは中川礼二さんと富澤たけしさんで(6点差)、続いてオール巨人さん(9点差)、逆に差が一番大きかったのは塙宣之さんでした(16点差)。立川志らくさん、松本人志さん、上沼恵美子さんも差が大きくて、14点差。結果的に、かもしれませんが、一人一人の評価が平等であるように見えて、塙さん以下後者4名の評価は、前者2名の2倍以上の重みを持っていたことになります。

果たして、評価の物差しは統一されていたのでしょうか。もしそうでなかったとすると、基準が定義されていないシステムに問題がある、ということになります。

ここまで読んで、こう感じる人もいるかもしれない。何をめんどくさいことを言ってるんだ、と。そんなに”笑い”を四角四面に考えたら、ちっとも面白くなくなってしまう。楽しけりゃいいんだよ、と。

その通りなんです。楽しけりゃいいんです。ただただ漫才を見て、面白かったとか、そうでもなかったとか、それぞれが好き勝手に言っていればいい。僕も毎年観ています。だって漫才が面白いから。まさかテレビの前で「この漫才コンテストの評価システムのデザインに問題が...」なんてぶつぶつ言ってたりはしません。

でも番組を”競技”として笑いに順番をつける、という道を選んだM-1グランプリには、何千組もの漫才師たちが評価されたいと応募し、視聴者もそれを観たいとテレビの前に集まる。優勝者には1000万円が贈られるし、優勝したり上位になった漫才師たちが、急に世間中の注目を集めたりもする。

もし評価システムの問題で、本来ならば決勝戦に進出してもおかしくなかったのに、日の目を見ずに敗れていくコンビがいたら──? 彼ら、彼女らの人生は変わっていたかもしれません。面白さに点数をつけることがいかに難しいことであったとしても、正直にその難しさをさらけ出しながら、最大限の努力で向き合っていく必要があります。

そして、評価対象に対して向き合うことは、その評価対象に対する自らの価値観に向き合うことと同義です。

会社が社員の人事評価をする時、そしてそのために評価のデザインをする時、人間性という価値観を根幹に置くのか、会社の売上への貢献を重視するのか、それともその中間か、あるいは全く別のことを大事にするのか。その会社の人事部や、社長や、ひいては会社全体が、自分たちはどういう組織でありたいか、という根源的な問いを突き付けられているのです。

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wan wei / Shutterstock.com

逆に、なんのための評価であるかという点がしっかり考えられていれば、細部にあまりこだわり過ぎる必要はありません。僕が評価をデザインする時にも、「評価項目がAからZまであって、その計算式はこう、基準の定義はこう...」といった、システムのプログラムを書いていくようなことに囚われるより、ちょうどよくゆるやかな”ビジョン・指針”を作っていくことのほうを重視しています。

つまり、デザインされた評価システムにおいて、ある人は72点、もう一人は74点と評価された時に、後者が絶対に優れているという結論を導き出せるようにしましょう、ということではなく、その点数の違いについて、評価者が皆で議論しあって、その二人(具体的な評価対象)についてだったり、評価という行為自体についても理解が深まっていくような礎、土台を作っていきましょう、ということなのです。

何かを評価して優劣をつけるという行為は、現代社会において我々の生活を多少なりとも支配している資本主義経済の宿命かもしれないし、そもそももっと根源的な人間の性かもしれない。

いずれにせよ、大なり小なりの選択が続く人生において避けて通れない”評価”という行為について、こんなふうに考えてみることが少しでも皆さんのヒントになればいいな、と願っています。

>> 連載:メジャーリーグで学んだ「人を評価する方法」

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