【追悼】「肥後さんは本当のお笑い好きで全部考えているんだ」上島竜兵さんが親友に明かした“ダチョウ倶楽部への愛”

【追悼】「肥後さんは本当のお笑い好きで全部考えているんだ」上島竜兵さんが親友に明かした“ダチョウ倶楽部への愛”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/05/24

【上島竜兵さん逝去】「前を向いて逝ったんだと思いたい」ダチョウ俱楽部の初代リーダー南部虎弾が明かす《“一番やさしい男”の苦悩》から続く

「僕のなかでの彼は、芸人としての上島竜兵でなく、映画好きな役者を目指した『上島龍平』なんです。もう一度、会いたかった……」

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5月11日に急死した「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(61)を悼み、交流のあった芸能人らが連日追悼コメントを寄せている。

芸人として体を張り、これまで全国に笑いを届けてきた上島さん。しかし少年時代の友人たちは「真面目でおとなしいタイプだった」と口を揃える。その印象は、上島さんの著著やインタビューにたびたび“親友”として登場してきた後谷智明氏(62)に聞いても、変わらなかった。

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「おでん芸」を披露する上島竜兵さん

後谷さんは上島さんの母校、神戸村野工業高等学校の同級生だった。卒業後に東京の美術学校に入学した後谷さんは、俳優を目指していた上島さんと目黒川沿いのアパートで共同生活をしたこともあった。親友の突然の訃報に肩を落としながら、その胸中を語った。

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「上島と出会ったのは高校1年の頃。工業高校だけど僕らは普通科に通っていて、3年間ずっと同じクラスでした。第一印象は本当におとなしい感じで、ヤンチャな生徒が多いなか服装も乱さず、きっちりとして目立たないようにしていました。あえて人と関わらないようにしていたところもあったと思います」

上島さんは「週刊文春」(2018年3月8日号)で、同級生らと距離を置いて付き合っていたことを、ユーモアを交えてこう述懐している。

《当時は不良っぽい生徒の多い学校でね。ドラマ『西遊記』で西田敏行さんが人気の頃で、似ているってよく言われたんですよ。そこはおどけてものまねすべきだろうけど絶対にしなかった。「将来、俺は役者になって有名になる。だから仲の良かった友達が怖い人になって、週刊誌に交友関係なんて書かれたら大変だ」と本気で思っていたから》

そんななか、意気投合したのが後谷さんだったのだ。

田んぼ道で「俳優になる」夢を熱く語った

「元々席が前後だったのと、お互い映画好きのところから始まって話が合い、僕には心を許してくれました。なので上島とは、映画の話をすることが多かったですね。映画を観ては『自分が監督ならばこういう結末にした』なんて話したり、『スクリーン』や『ロードショー』なんかの映画誌を読んでいたから、掲載されている映画の話をしたり。あの頃、上島は洋画が好きで、ダスティン・ホフマンが大好きで『卒業』や『パピヨン』の話をよくしていましたよ。邦画だと西田敏行さんに憧れていました。男子ばかりの高校ですから彼女とかもいませんし、好きな女の子も洋画にでてくる女優さんだったと思います。それくらい、映画にどっぷりとはまっていました。

他のクラスメイトの前では寡黙だった上島さんだが、放課後、後谷さんと2人になるとジョークを言い合い、西田敏行さんのモノマネを披露することもあった。将来の夢も語りあった。

「休みの日はお互いの家を行き来していたのですが、高校2年か3年のとき、2人で彼の家に向かう途中の緑豊かな田んぼ道で、『役者になる』と夢を話してくれたのを今でも覚えています。話していくうちに熱くなって『何がなんでもなる』って意思が固くなり、燃えあがっていました。

これは、時代も時代ですし笑い話として聞いてほしいのですが、『役者たるものタバコを吸ってお酒を飲めなきゃいけない』といってよく酒を飲む練習もしていましたよ。強いわけでも好きなわけでもないのに、役者のまねごとをしたくて日本酒を頑張って飲んでね。タバコも格好つけて吹かそうとして、すぐゴホゴホしていました。

ただ、彼もインタビューで話していましたが、クラスメイトでは僕にしか夢について話さなかったようです。他の人に馬鹿にされるのが嫌だったのでしょう。目立つタイプではなかったので、役者という夢が自分の柄じゃないと思っていたのかもしれません」

高校を卒業した上島さんは、両親の勧めで地元の経理専門学校に入学。しかし夢を諦められず、資金をためて上京した。後谷さんが住む中目黒のアパートに居候をしながら「青年座」の研究所に合格し、研究生として役者を目指していたという。

いつ夢破れるか…ピリピリしていた“あの頃”

「僕は当事美術の専門学生で、住んでいたのは風呂なし共同トイレ、裸電球の古いアパートでした。上島は研究所にはいったことで吹っ切れたのか、がむしゃらさを隠さなくなりました。役者を目指す仲間にあって感化されたんでしょう。地元の時の大人しい上島から、大きく変わりました。

スーパーのレジ打ちバイトをしながら養成所に通い、夜にはよく酒を飲んで酔っ払って帰ってきました。自分のふがいなさとか、思うように前に出られない苛立ちを大声で語っていましたね。いつ夢破れてしまうか分からなので、ピリピリしていたのでしょう。しばらくしてから下の階に引っ越し、役者になろうと本当に真剣でした」

上島さんと後谷さんは、東京で夢の実現を目指す盟友だった。繊細な上島さんにとっては、数少ない胸襟を開ける相手でもあっただろう。しかし、そんな2人が「一度だけ本気の喧嘩をした」ことがあったという。

「理由は本当にくだらなくて。上島は食が細いのですが、一食でもタダで食べられたら喜ぶだろうと思って、メシを大量に作ったんです。お米と、野菜と肉を炒めて、ちょっと高い瓶に入ったソースで味付けしたおかずです。寝起きの上島に『さあ、食べろ』と言ったら、あまりにも多いもんだから『多すぎる。お前みたいにこんなに食わんわ』と怒り出しましてね。『お前金ないんだから、食える時に食わんと。親心やぞ』『そんなん無理やりで親心やないわ』と言い合いになりました(笑)。夕方には自然と仲直りしましたが、今思えばいい思い出です」

研究生として奮闘した上島さんだが、1年半後、家庭の都合で研究所を辞め、実家に戻ることになった。苦渋の決断に涙を流した帰省前夜、後谷さんがケーキを買ってきた。このエピソードを、上島さんは何十年と忘れることなく、後年にインタビューで語ったこともあった。

「実は僕はあまり覚えていないんですよ。でも、嬉しいですね。あのとき一度実家に戻ることになって、悔しかったんだと思いますよ。ただ、決して諦めてはいなかったと思います。その後、彼は再び上京したのですが、今度は自分が神戸に帰り疎遠になってしまった。それからはほとんど連絡も取り合っていませんでした。

上島をテレビで観たときは、驚きました。そこには僕の知っている夢の途中でもがいている『上島龍平』はいなくて、お笑い芸人として輝く『上島竜兵』でした。彼のそんな姿を見て、心からうれしかったです。でも、また役者の道へ行くんだろうなと思っていました」

約30年前、上島さんは後谷さんの自宅を訪れた。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ‼」(日本テレビ系・1989年)などに出演するようになり、若手芸人として頭角をあらわし始めた頃だ。頭を刈り上げ、金のスーツ姿という“芸人”らしいいでたちだった。それは芸能人「上島竜兵」だった。

「当時、小さかった息子に気を遣ってブロックのおもちゃを買ってきてくれました。『ダチョウ倶楽部』のことも話してくれて、『肥後さんは本当のお笑い好きで全部考えているんだ』と話していましたね。仲間を大切に思っているんだなという印象を受けました。ようやくテレビにでられて、楽しくて仕方がないようでした」

その後、上島さんのリアクション芸が見いだされ、1997年からは「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系・1986年)に出演するなど、芸人としての地位を確固たるものにしていった。後谷さんとは会わない日々が続いていたが、上島さんが自伝「これが俺の芸風だ‼―上島竜兵伝記&写真集―」(竹書房・2005年)を上梓する前に再会を果たした。

「出版社から自伝本に協力してほしいと連絡を受け、神戸まで行って上島と写真を撮ったり取材をこなしたりしました。学生時代の話やくだらない下ネタで盛り上がったのですが、時間もあまりなかったので、自分との絡みが終わったらすぐに別れてしまいました。忙しい彼のことを考えると僕からも電話かけないほうがいいのかなと遠慮してしまって。だから、これが上島に会った最後になりました」

その後、後谷さんが東京を訪れた際に上島さんに連絡をしたことはあった。

「でも忙しそうで、あまり長くは話せませんでした。きっと東京での暮らしを大切にしていたんだと思います。私はテレビで上島を見ながら『憧れの芸能界に入って楽しくやってるんだな』と思っていただけに、今回の件に関しては不思議でならない。可愛がってくれた志村けんさんが亡くなって、コロナ禍で竜兵会もできなくなって、心のよりどころが減っていくのが辛かったのかな。上島の夢は役者だったから、“役者の美学”として『自分の名が輝いている時に亡くなる』という選択肢をとったのかなとまで考えてしまいます」

上島さんが青年時代に夢を語り合った親友。上島さんは前述の「週刊文春」のインタビューで《後谷君だけには、東京で役者になると打ち明けました。「やった方がええよ」と本気で応援してくれて励みになりました》と語っている。

「こうなる前にもう一度会いたかった。自分は酒飲めないからコーラで付き合って、『上島龍平』とまた語り合いたかったです」

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【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前9時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)

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(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

「文春オンライン」特集班

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