頭の良い弟と比べられる。親戚の集まりでは、隅に隠れていた

頭の良い弟と比べられる。親戚の集まりでは、隅に隠れていた

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/06/10
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両親は弟を「頭の構造が違う子」という

私の母方の親戚は、全員出来がいい。

普通なのは私と、そちらとは血の繋がりはない私の父くらいのものだ。

運動、勉強、音楽、絵画、語学、文筆、それぞれ皆得意なことがあり、複数できることもザラで、ほぼ全員が勉強は出来る。

特に何も出来ず、ごく普通に大学に進学し、社会人になっただけの人なんて私くらいのものだ。そしてそれをやめ、バイト生活なんていう人も。

同年代は本当に、頭がいい人しかいない。

私の分まで持って行ってしまったのか、弟はその中でも特に勉強ができる。

そんな弟のことを両親は、頭が良い子とは言わず、「頭の構造が違う子」という。頭の良さなど個性に過ぎないということか。

確かに、ちょっと不思議な失敗をすることもあるから、そもそも少し人とズレているのかもしれない。

物心ついた時から異様に記憶力が良く、なんでもすぐできるようになった弟を見て、幼いながらに私も、生まれつき違うものを持っている人はいるのだと理解した。そして私は、自分は勉強ができるタイプではないのだと悟った。

弟は高校受験までほとんど勉強をしなかったが成績が良く、そのためか特に生意気な態度もとっていないのに、内申点は極端に低かった。

舐めていると言うより、何もしなくても理解できたのだろう。

そんな弟がたまに成績を落とすと、父は弟を叱った。「成績が下がったことを怒ってるんじゃない。努力しないことを怒っているんだ」と言っていた。

父は、息子はもう自分には手に負えない、なぜこんないい成績をとった息子を叱っているのかわからない、と嘆きながらも、世の中を舐めたダメな人間にならないよう、謙虚さを失わないよう躾けた。

おかげでその点は心配はないのだが、生活力が全くない人間になってしまった。しばらく訪れていないのでわからないが、きっと今でも下宿先はとっ散らかっているんだろう。冷蔵庫の中身など、想像したくもない。

「子供にそんな姿見せるなら別れろよ!」父親にそんな言葉をぶつけ、私は部屋に逃げた

いつしか弟だけ出来るようになってしまって、疎外感を覚えた

弟は勉強が好きで楽しいらしく、本人は無意識だろうがにこにこしながら勉強をしていることがある。

数学がきれいだとか、この解き方が素晴らしいとか私にはよくわからないけれど、弟は幸せなのだろうと思った。

そんな弟も、小さい頃は私と同じように、何もできない子として扱われてきた。それでも当然親戚の一員として扱われてきたし、両親はなんとも思わなかったようだ。

それでも親戚の集まりの中、成績やとった賞の話になると、私はこっそりと弟と隅の方で座っていた。

それなのに、いつしか弟だけ出来るようになってしまって、疎外感を覚えた。

弟が急にできる子になったわけではない。最初から弟はできる子だった。それが今、わかりやすい形で現れただけに過ぎない。そしてそれまで、それを分かっていたはずの両親や祖父母が何も言わなかっただけだった。

家族の前でも弟は、異常な記憶力や理解力を発揮してきた。私も見てきた。だけど誰も、だからなんだということは言わなかった。私もそれを当たり前だと思い、弟の学力をただの個性として捉えてきた。

でも、周りの人はそうは思わない。

弟の頭が良いことが周りに知れて、出来ないのが私一人になってから気がついた。

ほとんどの親戚が気にせず過ごしているけれど、能力や出来で判断する大人もほんの少しはいることを。そして世間で考えたら、そういう人の方が多いくらいであるということを。

頭の良い親戚達の話を聴き、別にだからなんということもなくその場にいる出来の悪い私に、水を差すようなことを毎回言ってくる人はいた。

その人はとても頭の良い人だ。それだけがその人の価値ではないのに、そんなことを気にしているんだ。かわいそうだな。と私は思った。

そして頭が良く、そつがない人だから、なんとなく私は自分の方が悪い気がしてしまっていた。

でも、私はなにも悪くはないし、その人はかわいそうだけど私には関係のないことで、その人のことでいちいち心を痛める必要はない。

そしていまだに両親は、そのまま大企業に内定が決まり、肩書きだけは立派になった弟のことを、だからなんだとは思っていない。

私と弟の扱いは、小さい頃から全然変わっていない。

それが世の中の普通ではないのかもしれないけれど、我が家にとってはこれが普通だ。

誰かのために生きる必要はない。このままの私で堂々と生きる

「全ての人に長所と短所があるから、全て人が必ず何かの才能を持って生まれてくる」だから腐らず頑張れと以前母から言われた。

私はその才能らしきものを、あっさり捨ててしまった。両親はそれをどこまで知っているのかわからないが、「向いていなかったんだよ」と言ってくれた。

しかしどんなに私が気にしなくても、周りが私を苦々しく思う。そのことがずっと引っかかっていた。まるで私が悪いようで、私がダメでなければならないようで、もやもやしていた。

しかし父の知人で、海外で活躍する頭脳派の人は「どこの大学を出たなんて、気にするのは日本人と中国人だけ。ヨーロッパでは、『何が出来るか見せてください』と言われるだけ」と言っていた。

これからは日本もきっと、そういう時代になる。頭が良いことは素晴らしいことだけど、それだけが社会に必要なものではないし、活かせてこそ社会から求められるものになるんだろう。

誰かのために生きてやる必要はないのだから、このままの私で堂々と生きればいい。

きっと私にちくちく言ってきた人は、自分の価値基準に合わない私が怖かったんだろう。そしてその価値基準に合わせてびくびくしながら生きてきたんだろう。そんな寂しいことはしなくていい。人間、生きているだけで価値があるはずだ。

なんとなく、出来が悪いのに幸せになっちゃ悪い気がして、縮こまっていた私とは今日でおさらばだ。とことん幸せになってやろう。

頭が良くても良くなくても、同じ人だ。お互いを尊重し、楽しく生きていけたらいい。

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くじら

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