
小学校の卒業式の時のようす
さまざまな領域で特別な才能を持つ「ギフテッド」の人たち。西日本に住む40代女性は、IQ130を超える知能を有し、耳が聞こえない「ろう者」でもある。持ち前の能力で勉強も日常生活も聴者と変わらないようにこなしてきた。それなのに、小学生時代にいじめの対象になった理由は、「聞こえないから」ではなく「聞こえないのにできるから」だった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集>
【40代になった現在の女性の様子】* * *
■本当はわかる答え、書かずに出した
2022年8月、一通のメールが取材班に届いた。朝日新聞デジタルの連載「ギフテッド 才能の光と影」を読んだ読者からだった。フォトグラファーの立花奈央子さんの記事に共感したと感想を述べ、自身の経験をつづってくれていた。以下がその文面の一部だ。
「なかなか他の人に話せないことですが、私自身、ろう者で、後にIQ130台だとわかった者です。小2から一般の学校に通いました。先生や周囲の話していることが聞き取れない自分はわかって、聞き取れるはずの同級生はわからないことがとても不思議でした。テストで、本当はわかる答えを書かずに出したこともあります。
『聞こえない人が聞こえる人に認められるためには、勉強ができていないといけない』と信じている親と、『できることでいいことがあったためしがないから、できない自分でいたい』と思う自分との間でとても苦しかったです。(中略) 障害と、学識における「才能」の組み合わせは、とても生きづらいと思います。こういう人たちの存在はどれほど認識されているのでしょうか」
才能と、身体障害と、生きづらさ。「できない自分でいたい」と思わせたものとは何だったのか。聴者の私にはおよそ考えつかない視点だった。
メールをくれたのは、西日本に住む40代の女性。教員をしているという。すぐに、詳しくお話を伺いたいと返信すると、「才能のある身体障害児者に関心をもっていただいたこと、本当に嬉しく思います。微力ながらお手伝いさせていただきたい」と返信があった。
女性が住む、西日本のある地方都市へ向かった。
待ち合わせたのは、図書館が併設された文化施設。あてにしていた併設のカフェがコロナ下で閉店しており、施設に机とイスを借り、空きスペースで取材することになった。
直前に私からメールで「施設の駐車場の前にいます」と居場所を知らせたので、女性はすぐに気づいて、会釈してくれた。身長150センチほどの小柄な女性。清潔感のある白いシャツと薄ピンク色のマスクが印象的だった。当たり前だが、外見ではろう者であるとはわからない。
■聞き取れなくても頭脳でカバー
女性は、先天性の難聴だ。3歳の時に「聴覚障害」と診断された。自身が初めてそのことを自覚したのは、4歳の時だったという。
「飛行機型のジャングルジムで遊んでいる時だったと思います。一緒に遊んでいる友達は、笑ったり、はしゃぎあったり、互いに反応しあいながら動いているように見えました。私は補聴器をしている間は少しの音は聞こえるけど、何と言っているかまではわからなくて。友達の相互作用の中に入れていない。ひとりぼっちになっているなと感じていました」
公務員だった両親は聴者だった。女性は幼稚園と小学校1年まではろう学校に通ったが、「聴者に慣れてほしい」という親の希望で、小2から一般の公立小学校へ転校したという。「体育館のステージに立ち、ろう学校と違ってたくさんの子どもが並んでいるのを見て、とてもワクワクしたのを覚えています。好奇心旺盛な子どもでした」
補聴器をつければ、少しの音は聞き取れた。先生や同級生が発する音と、相手の口の動きや表情、しぐさ、文脈などから意味を推し量り、少しずつコミュニケーションがとれるようになったという。
ただ授業中は、教壇から説明する先生の言葉は、距離があってほとんど聞き取れなかった。しかし勉強に関しては、あまり問題にならなかったという。学習の内容は、教科書を読めばほぼすべて理解できたためだ。
「ドリルやテストはだいたい満点でした。でも、テストは内容と時間を一方的に決められるので好きじゃなかった。夏休みの宿題は一日で終わらせていましたね。英語は、発音記号から(音を頭でイメージして)覚えていました」
■「聞こえる」のにできないのが不思議
小学6年の時の通知表を見せてもらった。ほとんど「◎」の中で、5カ所だけ1~3学期を通して「○」の項目があった。
例えば国語では、「聞き手にも内容がよく味わえるように朗読する」「細かい点に注意して内容を正確に聞き取り、自分の意見や感想をまとめる」の項目は「○」。音楽では、「音の響き合いを感じて歌ったり、音色の特徴を生かして演奏したりする」が「○」だった。いずれも、聴力や発話が必要な項目だ。
耳が聞こえず、話すことも難しいのだから、できないのは当たり前だ。それなのに他の聴者の子どもと同じ基準で「○」と評価するのは、あまりに機械的すぎないか。そう思い、「学校ってやっぱり硬直的ですね」と感想を言うと、女性は苦笑いしながら言った。
「先生から通知表のコメントで『学習意欲低下』と書かれたこともありました。それはその通りなのですが、なぜ自分が勝手に教科書を先に進めて読んでいるのかということを知ろうとしてくれなかった。『聞こえないから、今どこを学んでいるのかわかっていないのだろう』と思われて、注意されることもよくありました。そうじゃないんだけどなあって」
女性にとっては、勉強はがんばってするものではなかった。ただ単に、教科書を読んでいれば、内容を理解でき、テストもできただけ。それが普通のことだとも思っていた。さらに言えば、耳が聞こえる同級生は、耳が聞こえない自分よりも、もっと勉強ができるはずだと考えていたという。
「先生が黒板に板書をしますよね。あれは、耳が聞こえない自分がノートをとるためにしてくれているのだろうと思っていましたから」
だから、テストの点数が自分より悪い同級生がいることが不思議だった。先生の話す内容を聞き取れない自分が理解できていて、聞き取れるはずの同級生がついてこられない状況が、理解できなかったのだ。「聞こえる人ってバカなんだ」と思うこともあったという。
■ショックを受けたいじめの理由
そうこうしているうちに、同級生の目が冷たくなっていった。鬼ごっこで集中的にタッチされたり、集団無視されたりした。
「耳の聞こえる人たちって、なんでこんな効率悪いことするんだろうって不思議に思っていました」
5年生のある日。勇気を出し、学校のアンケートでいじめの被害を申告したことがあった。その後の保護者懇談で、担任の先生が、母にこう言ったという。
「聞こえないのにできるから、いじめられているようです」
女性はそれまで、同級生にいじめられるのは、耳が聞こえないからだと思っていた。耳が聞こえないから悪いのだと。それなのに、「聞こえないのにできるから」なんて、どう理解していいのかわからなかった。
「大ショックでした。それからです。障害者はバカでいたらいいのかな、そうすれば友達と仲良くなれるのかな、と思うようになったのは」
小学校の卒業式の時の写真を見せてもらった。同級生らと整列して後方を向いて立っている女性は、耳に補聴器をつけている。どこか、不安げな表情で斜め上を向いていた。
(年齢は2023年3月時点のものです)
※【後編】<「ギフテッド」で「ろう」の女性が教員になろうと思った理由 米国留学で出会った教授から伝えられた「救いの一言」>に続く