「美女がいれば片っ端から声をかける」路上ナンパが当たり前だった古代中国の"恋愛事情"

「美女がいれば片っ端から声をかける」路上ナンパが当たり前だった古代中国の"恋愛事情"

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2022/01/15

古代中国の人々はどのような恋愛をしていたのか。早稲田大学文学学術院の柿沼陽平教授は「秦漢時代の中国では、路上でのナンパから恋愛に発展することは少なくなった。美女を見つけた男性が路上で声をかけることもあれば、女性側からナンパするケースもあった」という——。(第2回)

※本稿は、柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/sanyanwuji※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sanyanwuji

古代中国では「恋」という字がほとんど使われていなかった

ここで庶民の暮らしぶりに目を移すと、午後2時頃ともなれば、農作業をしている者や、市場で商品を売買する者など、みなさまざまである。そうしたなか、ムラの外へつづく道を10代の男女が歩いているのがみえる。どうやらかれらは恋人同士のようである。

古代中国の文献には、じつは「恋」字がほとんど登場せず、数少ない事例もせいぜい「思う」や「しのぶ」といった意味である。「恋愛」という熟語も存在しない。「愛」字は古くから男女間の「Love」を意味するものとしてみえるが、やはり使用例は多くない。

西暦2世紀以降には、「情」字がいわゆる恋愛をさすようになるが、その使用例も多くはない。昔の儒者や歴史家は頭でっかちの者が多く、色恋沙汰(いろこいざた)にはほとんどみてみぬふりをしているようである。だがじっさいには、文字はみえなくとも、昔の人びとに恋愛感情がなかったわけではない(*1)。

むろん、ひとくちに「恋愛感情」といっても、その定義はたいへんにむずかしい。『日本国語大辞典[第二版]』には「特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕(した)うこと。また、その状態」とあるが、恋愛は異性間にかぎられるものではなく、「恋い慕う」という説明も「恋愛」の同語反復であり、あまり説明になっていない。

むしろ恋愛の定義にかんしては、2018年5月〜11月の小学館のキャンペーン「あなたの言葉を辞書に載せよう」で、一般人が寄稿した文のほうがよほど的(まと)を射ている。

たとえば、「一瞬で人生を苦しくさせるし、それ以上に人生を幸せにしてくれるもの」、「相手を通して、自分自身と向き合うこと」、「感情の汲み取り合戦」等々。おそらく本書読者の皆さんも、くどくど説明するよりまえに、恋愛のなんたるかを知っているであろう。定義にこだわるよりも、さっさと秦漢時代の恋のようすをみてみることにしたい。

美女がいれば既婚者であっても声をかける

恋はしばしば道ばたでのナンパではじまる。桑摘(くわつ)みの季節になると、女性たちは桑畑で葉を摘む。それはウメの実が落ちはじめる晩春である(*2)。そこに美女がいると、未婚か既婚かを問わず、男性陣はすぐに声をかける。

もし佩玉(はいぎょく)(アクセサリーの1種)をもらえればOKのサイン。ある男は妻とともに田畑に出かけ、近くの桑畑で働く美女を口説いている。だが失敗して田畑にもどってみると、妻は怒ってその場を立ち去っていた(*3)。

なかには数年間の単身赴任を終えて郷里に帰った者が、途中で美女に声をかけたところ、じつは自分の妻だったという、喜劇とも悲劇ともつかぬ説話もある(*4)。夫が道ばたで桑摘み中の美女をナンパし、振り返ってみると妻もべつの男性に言い寄られていたとの笑い話もある(*5)。

かの孔子さえ弟子をけしかけて、川辺で洗濯中の女性を口説かせ、失敗している(*6)。似たような説話は春秋時代から南北朝時代の史料に数多くみえ、古来どこにでもみられる風景であったらしい。

「イケメンを求めたのに、ガマガエルがきた」と嘆く女性

いざナンパをするときには、戦国時代以前の貴族社会であれば、男性が女性に歌をうたい、女性がそれに返歌をするというやり方がとられた。それによって恋愛感情をたしかめあってゆくことを歌垣(うたがき)とよぶ。

歌垣にさいしては、女性もドキドキしながらイケメンを求める。女性が「イケメンを求めたのに、ガマガエルがきた」と嘆く詩もあっておもしろい(*7)。

もっとも、うまく詩歌をよめる者など、周代の貴族くらいのもので、庶民はもっとダイレクトにナンパをしていることが多い。ともかくこのようにして人びとのあいだに恋愛関係が生まれる。なかには悶々(もんもん)とした日々を送る者もおり、ある男性は、城門を行き交う女性たちに目もくれず、好きな人に想いを馳(は)せている(*8)。どうやら奥手(おくて)らしい。

一方、恋愛関係は壊れることもある。城のはずれでは、ひとりの女性が「これであの人とももうお別れ。だれにもバレないうちでよかったのよ」と泣きながら、カンザシを燃やしている。どうやら失恋をして、彼氏にもらったプレゼントを燃やしているらしい(*9)。

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写真=iStock.com/Deep Art※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Deep Art

ほかにも尾生(びせい)という人物は、女子とデートの約束をし、橋のうえで待ち合わせをしたが、すっぽかされてしまった。しかしかれはたいへんマジメで、やがて水かさが増してきたにもかかわらず、その場から立ち去ろうとせず、とうとう橋にしがみついたまま溺死(できし)したといわれている(*10)。

ラブストーリーからストーカーまがいの事例まで

春秋戦国時代の『詩経(しきょう)』でも、漢魏南北朝時代の『玉台新詠(ぎょくだいしんえい)』でも、恋の場所として歌われているのは東門である。なぜ東かはよくわからず、後者は前者をマネたものであろう。

じっさいには、東門でのみ逢瀬(おうせ)がなされたとはかぎらないが、たとえば繁欽(はんきん)(?〜218年)の詩をみると、東門のそばで男性が女性をナンパし、そのまま女性のほうが恋慕(れんぼ)の情を抱いている(*11)。

いとしの男性からのプレゼントはたいせつにし、男性の置いていった衣服の残り香(が)をかいで、別離を悲しむ女性もいた。また城のそばで逢引(あいびき)する例もある(*12)。

ストーカーまがいの例もある。後漢末に郡太守の史満(しまん)のむすめが、父の部下に恋をした。そこで部下が手を洗った水をもってこさせ、それを飲んだところ、子どもを身ごもったという伝説がある(*13)。さも美しい伝説のように記録されているが、けっこうなヘンタイである。

結婚まえの男女の恋愛は、必ずしも法律によって罰せられるものではなく、そうした感情をおしとどめるのも、現実に不可能である。ただし、年若き未婚男性がいくら女性に手を出そうとも、それほど批難の対象とはされなかったのにたいして、女性に浮いた噂は禁物である。

身分を越えた結婚もむずかしく、金もちの貴公子に惚ほれてもつらいだけであろう(*14)。

“逆ナンパ”から集団プレイに発展する場合も

城外の小道を歩いてゆくと、小川が流れており、木漏れ日のもとで男女が愛を語らっている。手をつなぎ、つれだってここまでやってきたのであろうか(*15)。

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柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書)

春秋時代には、女性のグループが男性のグループに声をかけ、いわゆる「逆ナンパ」をして、川の岸辺で集団プレイにおよんだ例もあるので(*16)、上記の男女もそのまま人目のつかぬ川辺でイチャつくつもりかもしれない。

もっとも、秦漢時代には、未婚の男女の性交にたいする目も少しきびしくなっており、さすがに現場を押さえられれば罪になりかねない(*17)。しかも、なにごとにもタテマエとホンネがある。

婚前の男女関係には儒教的な制約がある。前漢後期になると、儒学はとくに官学として重んじられ、儒教によるタテマエは民間にも強い影響力をもちつつあった。儒教では夫婦でさえ、私室・衣服掛・タンス・お風呂はべつべつにすべきであるといったルールがあり(*18)、まして未婚の男女が手をにぎるなどもってのほかである。

川で溺れている兄嫁にたいして、弟が手をさしだしてよいかが話題になるほどの世界なのである(*19)。うら若き男女が、父母や媒妁人(ばいしゃくにん)のことばをまたずに、塀や壁に穴をあけて相互に覗(のぞ)きあったりするだけでも怒られた(*20)。やはり恋愛は隠れてするほうがよい。

(註)
(*1)張競『恋の中国文明史』(筑摩書房、1997年、11〜125頁)。
(*2)『玉台新詠』巻4鮑照「採桑」。
(*3)『説苑』巻第9正諫篇。
(*4)『玉台新詠』巻2傅玄「和班氏詩」、『玉台新詠』巻4顔延之「秋胡詩」。
(*5)『列子』説符篇、『列女伝』巻5節義伝9魯秋潔婦条。
(*6)『列女伝』巻6辯通伝6阿谷処女条。
(*7)『詩』国風邶風新台。
(*8)『詩経』国風鄭風。
(*9)『詩経』国風召南、『楽府詩集』巻16鼓吹曲辞1「漢鐃歌十八首之十二・有所思」。
(*10)『史記』巻69蘇秦列伝。『荘子』雑篇盗跖篇にも同文がある。
(*11)『玉台新詠』巻1繁欽「定情詩」。
(*12)『玉台新詠』巻7皇太子簡文「北渚」。
(*13)『搜神記』巻20第262話。
(*14)『詩経』斉風甫田。
(*15)『玉台新詠』巻3楊方「合歓詩」。
(*16)『詩経』国風鄭風。
(*17)劉欣寧「秦漢律令中的婚姻与奸」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第90本第2分、2019年、199〜249頁)。
(*18)『礼記』内則。
(*19)『孟子』離婁章句上。
(*20)『孟子』滕文公章句下。

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柿沼 陽平(かきぬま・ようへい)
早稲田大学文学学術院教授
1980年生まれ。東京都出身。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年に博士(文学)学位取得。中国古代史・経済史・貨幣史に関する論文を多数発表。中国社会科学院歴史研究所訪問学者、早稲田大学文学学術院助教、日本秦漢史学会理事、帝京大学文学部専任講師、同准教授等を歴任し現職。2006年3月に小野梓記念学術賞、2016年3月に櫻井徳太郎賞大賞、2017年3月に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。著書に『中国古代貨幣経済史研究』、『中国古代の貨幣 お金をめぐる人びとと暮らし』などがある。
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柿沼 陽平

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