年収100万の貧困家庭で育った私が、「穴あき下着」で過ごした青春時代

年収100万の貧困家庭で育った私が、「穴あき下着」で過ごした青春時代

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/16
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私は家賃1万5千円の地方の県営住宅、父の年収が100万円という家庭で育った(母もパートタイマーをしていたが、年収は把握できていない)。父は精神障害があり、複数回の事故や病気で体が弱い。そんな状況で、姉を含めた4人で暮らしていた。

物心がついた時から父はアルバイトや障害者雇用を転々とし、どれも長く続かず時折無職になった。それゆえ我が家は慢性的な貧困状態にあった。

幼少期から、“お金がない”ことがデフォルトであり、それを受容して生きてきた。そこに反発する気力は初めからなかったように思う。学習面や人付き合いなど、あらゆる面で選択肢の無い悔しさや、明日の見えないどうしようもない不安を味わってきた。

有り余るエピソードの中から、今回は衣食住の「衣」の部分に絞って、自分の経験を切り取ってみようと思う。

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私の家と友人の家の「違い」

周囲との違いを感じ始めたのは、小学生くらいだろうか。周りの友達は市外にあるイオンなんかで季節ごとに服を新調するらしかった。一方、私は地味な使い古されたお下がりの服。

いつも少し汚れていたのを覚えている。幼いながらにおしゃれに敏感だった私は、毎シーズン入れ替わる友達の服が正直羨ましくて羨ましくて仕方なかった。

友達の家に遊びに言った時のこと。私のお下がりのTシャツが、フックに引っかかって穴が空いてしまったことがあった。すると後日、その友達のお母さんが、お詫びの意味も込めてあたらしい服を買ってプレゼントしてくれたのだ。それは憧れのイオンの子供服売り場にあったカラフルな洋服だった。

新品で可愛い服を着れる、それだけで舞い上がったものだ。普段服を買ってもらうことなどほぼなく、お下がりばかり来ていた私は、友達のお母さんは当たり前に新品の服を他人にプレゼントできる、その事実に心底驚いたものだ。

「可愛い制服」なんて夢のまた夢

また、七五三やクリスマス、誕生日と言った行事でも、格差は如実に表れていた。

お宮参りや七五三はもちろんしたことなんてないし、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントももらわなかった。また、親戚との交流、お年玉をもらう、という文化もなかった。

友達がお年玉の使い道を話しているのを聞いて、お年玉を毎年もらうのが“普通”だと知った。また、それを小学生の時から「貯金」しているというのも、本当に私にとっては衝撃的な事実だった。

友達の家にはゲームがあり、子ども部屋があり、立派な車があり、両親もこぎれいな服装をしていた。一方、私の父はいつも同じくたびれたシャツにゆるんだ短パン。とても人に会える恰好ではなかったが、同じ服しか持っていなかったようだった。ちなみに両親とも超貧困家庭出身で、父親も幼少期はつぎはぎの服を来ていたそうだ。

中学・高校とあがると、制服や体操服などを買いそろえなければならないという問題に直面する。

私は知り合いからもらったお下がりの制服を来ていたのだが、それがタイトかつ寸足らずで、意図せずミニスカート状態であった。高校は進学校で校則が厳しかったので、スカート丈の検査で引っかかって怒られてしまったこともある。

また、上着は腕を上げると胸のボタンが外れそうになるほど窮屈だったため、さらに別の人に丈の長いお下がりをもらった。すると、今度は横幅がデカく、なんとも言えない昭和の女子高生のようなダサさがにじみ出ていて、それはそれは不格好だった。

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JK向けの雑誌を立ち読みなんかして、「可愛い制服」に憧れを抱いていたが、最後までサイズの合わない制服で過ごしたのは、今でも少し胸がちくりとする思い出である。

ユニフォームや合宿代がかかるという理由で運動系の部活はさせてもらえなかった。バイトが見つかると退学、部活動は強制の進学校だったので、書道部や美術部、ESS(英会話クラブ)なんかを転々として、半ば幽霊部員として過ごし、放課後はひたすら市立図書館にこもって自習をして時間を潰していた。

そんな私ではあったが、受験勉強のかいあって関西の公立大学に合格。母が入学金を知り合いから借金してくれ、なんとか大学生になることができた。地元を離れ、憧れの関西でのキャンパスライフをスタートできる。そんな喜びも束の間、入学した時にハードルとなったのが、私服を買い揃えることだった。

胸の「カップ数」なんて測ったことない

高校生の時は私服はほぼ持っていなかった。友達と遊ぶ時も制服で出かけたりしていた。しかし大学では毎日私服を着なければならない。

一つのコーディネートを完成させるだけでも、例えば2000円のトップスとボトムス、それから靴を買うと6000円もする。正直私にとって目眩がするような金額だった。

トータルコーディネートなんて夢のまた夢。とにかく1000円以下のトップスとパンツを2つずつ買い、1000円以下の底が薄い靴を1足だけ買った。そしてそれを毎日着回し続けた。これが私にとっての“大学デビュー”である。

その後、徐々に服を揃えていったが、最後までお金をかけられなかったのが下着類だ。ブラジャーとキャミソールを別々に買うと高くつくので、高校の時から同じブラトップを紐が伸び切り、ちぎれるまで着続けた。ショーツも3枚組580円のものを穴が空くまで履いていた。

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そんなある日、ゼミで強制参加の合宿があった。お風呂で私がヨレヨレのブラトップを着ているのが見つかり、全員に盛大に囃し立てられるという事件が発生する。

「なんなんそれ、かわいそうな下着やわ。ありえへん」
「いい年やし、いつ彼氏ができるかわからんやん?」
「緊急搬送でもされたら、コードブルーみたいに山Pが駆けつけて服裂くかもよ?そのときヨレヨレのブラトップやったらどうすんねん」

そんな感じで、全員に総ツッコミを喰らったのだ(もちろん本人たちは愛あるいじりのつもりである)。

話はさらに続く。

「ってか、ヒオカ何カップなん?」
「え、カップ?測ったことなんてないよ」

そうなのだ。下着屋に行くことがなかった私にとって、「カップ」なんてものは想像したこともなかった。

みんな、それぞれ自分に合う下着を求めて下着屋で採寸してもらうらしい。勝負下着という概念すら知らなかった私は、心底驚いたものだ。

その後もみんなにネタにされいじられ続けた。貧困家庭出身であることは隠していたので、ズボラで男っ気がないだけの娘、と思われていたらしい。自分もいじられキャラであることは自覚していたので、ただ明るく返していた。人生色々あり過ぎで、ネタにするしかなかった。ネタにしていじられて笑いに変えて、それが周囲との対比を薄め、「普通の子」に擬態する唯一の方法だった。

振り袖は着れない、でも成人式には出たい

私にとって衣類は贅沢品で、優先度はかなり低くかった。というか優先できなかった。

奨学金を借り、バイトもしていたが、1年生の夏に劣悪な環境のシェアハウスのストレスから急性胃腸炎になった。その後、3年間原因不明の慢性胃腸炎が続き、普通食がたべられないという経験をしている。ひどいときは豆腐1すくいですら吐きそうになり、体重は身長170センチで47キロほどであった。

また親をはじめ頼れる親類は誰一人としておらず、生活費や学費、教材費など、すべてを奨学金とバイト代でまかなっていた。体調が悪化し、バイトがままならない時期もあり、医療費もかさんで、かなり経済的に困窮していた。

そして二十歳の冬。私は成人式を迎えた。

式の半年ほど前からだろうか、みんなの話題に「前撮り」や「振袖レンタル」というワードが出始めた。みんなにとっては、好きな色を決められて、前撮りで一番美しいを笑顔を残せる、それが当たり前のようだった。

しかし私にとっては、最初から振袖を着るなんて選択肢はなく、前撮りも予算的に難しいというのが現実だった。家族で写真館など行ったことはない。友達の家に行くと必ずスタジオで撮った写真が一枚や二枚あるのだが、写真に1万円かけるだなんて、私には信じられなかった。

振袖が着られないなら、参加しないという選択肢もあったと思う。しかし、経済的理由で人生に一度きりの行事へ参加できないのはおかしいと思った。また、会いたいと言ってくれる友人が何人もいたため、参加を“決意”した。

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式当日。色とりどりの晴れ着を身にまとった同級生のなか、私はしまむらで3点セット7000円のリクルートスーツで出席した。それでも自分的にはかなり高い買い物だった。唯一、左耳につけた300円のイヤーカフが、二十歳という人生の節目を迎えた自分への、最大限の祝福だった。

後に「はれのひ事件」が世間を騒がせた時、楽しみにしていたハレの場を奪われた子達を思うと胸が痛かった。しかし、初めから、晴れ着を借りる選択肢がない子供達もいる。そんな事実が、もっと世間に知られて欲しい、なんて思ったりもした。

今この記事を書きながらも、人生で一度も晴れ着を着たことがない。この事実と冷静に対峙した時、やはり涙は抑えらない。

貧困を告白した先に「誹謗中傷」

社会人になってからも、しばらくは、中古でもらったスキニーパンツを仕事で履いたら股が裂けたり、2000円以下のパンプスを買うもあまりに足にフィットせず、中敷を買ったりして結局最初からいいものを買ったほうがよかった、と思ったり、100均のベルトを買ったら1週間で壊れたりと、相変わらず「安物買いの銭失い」のループから抜け出せなかった(最近になってようやく普通に服を買えるようになった)。

貧困家庭出身であることを隠し続けた私だったが、25歳になり、自分のバックグラウンドを記事にしたことをきっかけに、一部の昔からの友人にカミングアウト(という表現が正しいかわからないが)した。

すると、みんなにかなり驚かれ、「え、下着買わなかったんじゃなくて買えなかったの?」「ただのズボラやと思ってた」と言われ、笑うしかなかった。

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幼少期からの貧困の体験を書き綴ったnoteを出した時、バズって応援の声が数百件集まると同時に、誹謗中傷もやまなかった。

「大学に行けたのに貧困を語るな」
「スマホと通信環境があるならいいだろう」
「普通に働いていれば簡単に抜け出せるはずだ」

あらゆる方向から繰り出される誹謗中傷に、心を削ぎ落とされ、ナイフを突きつけられているような緊張感に支配された。

貧困について語ると、本当に叩かれやすいという現実を知った。「貧困は恥」という文化や風潮があるからこそ、理解されにくく、また発信されてもかき消されてしまう。

その結果、本当はそこら中に存在しているものでも、“普通”に育ってきた人たちには新鮮なものとして映ってしまうのだ。そう、子どもの貧困は存在しないのでは無く、見えないだけなのだ。見えない貧困は、無いものにされてしまう。

「普通」じゃないことへの想像を

国民を可処分所得の順に並べ、その中央の人の半分以下しか所得がない状態を指す言葉である「相対的貧困」。年収でいえば約122万円以下の人たちを指す。現在日本では、18歳未満の子どものうち、7人に1人が相対的貧困の状態にあるとされている。(平成28年 国民基礎調査の概況より)

“貧困家庭”の当事者たちが、その事実を把握し、抜け出すことを試み、適切なアプローチをして連鎖を断ち切ることが容易ではないことを、私自身25年という人生で痛感している。

「貧困」とは単純に収入の違いだけではない。教育、知識、経験、文化がそもそも違うのだ。親から継承される文化や知識に圧倒的な違いがあり、そこには途方もなく埋めようもない格差が存在する。それゆえ「知る機会」「脱却しようと思う機会」がそもそも生まれないのである。

あなたにとっての「普通」を手にいられない子供たち、負のループから抜け出せない若者が大勢いる。成人式に振袖を着て参加している女の子達の傍らで、スーツや私服で参加している人がいるということ。ほぼ全員が手にできるものを、生まれによって手にできない人がいるということ。

もしかしたら、いまも貧困に直面する子どもがあなたの近くにもいるかもしれない。どうかそんな子供の貧困に、少しでも思いを馳せてみて欲しい。

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