「性の問題提起をする人は過去に何かあった人」という偏見が示すもの

「性の問題提起をする人は過去に何かあった人」という偏見が示すもの

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/01/14
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未だに行きにくさを感じる人が多い産婦人科

若い世代が産婦人科に行くと、「ちゃんと自分の体のこと考えて偉いわね」と肯定されるよりは、「若いのに産婦人科に来るなんて、何があったのかしら」と勘ぐられる社会的風潮が日本ではまだ消えていない。

実際、現在集計中の緊急避妊薬へのアクセスに関する約1万人への調査でも、こんな声が寄せられている。

「産婦人科やレディースクリニックに行きづらい空気が日本にはある」(19歳 大学生)

「院内での周りからの目線が厳しい」(19歳 大学生)

「病院に行くのが恥ずかしい。一人で行って、自分だけが責められるかもしれないのが怖い」(19歳 大学生)

「自分がアフターピルを貰いに行った時、産婦人科にいた年配の方々に『あんな若いのに妊娠かしら』と聞こえる声量でヒソヒソ話をされた。私はとても居心地が悪くなったと共に、悲しい気持ちになった」(20歳 大学生)

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周囲の目が気になって行きたいのに産婦人科に行きにくいと感じる女性たちが日本ではまだまだ多い。photo/iStock

このように、健康を守るために当たり前に必要なはずのケアへのアクセスが、性に関わるヘルスケアへのスティグマによって阻まれている。

こういった産婦人科への行きにくさが変わって欲しい、性教育や避妊の選択肢、性の健康と権利がもっと日本でも広がって欲しい、という思いで私が始めたのが『#なんでないのプロジェクト』だ。今年5月でスタートしてから早3年目を迎える。プロジェクトを始める前は、大学で長らく日本の遊廓について研究したりその歴史を伝える活動をしていたため、「性」に関わることを人前で話す経験は、足掛け7年ぐらいになるだろうか。

性の問題に取り組むには「理由」が必要?

その中でありがたいことに、私の取り組みについてインタビューを受ける機会も頂いてきた。その際、必ずと言っていいほど聞かれるのが「そもそもなぜ性に関わることに興味関心を抱いたのですか」という質問だ。もちろん、こういった質問が出るのは自然なこと思う。

私が吉原遊廓に興味を持った発端は、着物好きに始まる。なぜ着物が好きかと言われればそれこそわからないが、18歳の頃、成人式で花魁風の衣装が流行っているというニュースを見て、「遊廓って何?」とその存在を知り、気づけばそこで生きた女性たちの昔の手記を読むことに没頭していた。

その後、大学在学中に交換留学で訪れたスウェーデンで、性に関わる部分でも若者を守ろうとする環境の手厚さに驚愕し、感銘し、それがきっかけとなり、日本で起こっている性教育や避妊に関する問題に向き合うことになった。もちろん、そこで受けた衝撃の大きさは、その前から性を通じて苦しむことの意味を、遊廓で生きた女性の手記などからも学んでいたからこそであっただろうとは思う。とはいえ、それ以上でもそれ以下でもなかったりする。

こういった説明をすると、「そうなんですね」で終わる方ももちろんいるが、中には「でもなぜ手記に没頭したのですか、性や避妊という話しにくいことになぜそんなにこだわるんですか?」「ご自身で実際になにか、つらい経験をされたこともあったんですか?」と、質問を繰り返しされることが多々ある。

私はその度に、いつも複雑な気持ちになる。自分の健康について、権利について話すことは、そんなにも奇異なことだろうか? 何か特別な理由や体験がなければ、話すのもおかしいことなのだろうか?

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性を語る人は特別、他と違うという見方は、偏見的な思考を産んでしまうことも。photo/iStock

性の問題を語る人=特別な人が性教育を妨げる

日本では性というと性行為そのものばかりがイメージされやすいが、それだけでなく、性教育や避妊なども含み、これらは25年以上も前から全ての人にとって重要な「性と生殖に関する健康と権利」(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(SRHR)として世界的に認められている話のはずだ。

要は「性なんていうタブーを話すんだから、性暴力や中絶、性産業への関与など、性に関して何かしら経験をしているはずだ」言い換えれば、「何か相当な経験がなければわざわざ性に関することなんて話さないだろう」「“普通”は性に関して深く知ったり考えたり発信したりなんてしないはずだ」という考えが、無意識の中に刷り込まれているのではないかと思う。

だから私が、ひと通り活動のきっかけを話してもなお「なにかもっとあるのでは?」と質問を浴びせされ続けると、居心地が悪くなると同時に、これこそ変わって欲しいところだなあとつくづく感じてしまうのだ。

もちろん、性に関して取り組む人の中には、実際に暴力を受けた経験や傷を抱え、他の人には同じ思いをして欲しくないと活動する人も大勢いる。私はそういった方々を心から尊敬している。

とはいえ、誰も性を通じて傷つくことがないように、誰もが自分の体を自分で決める手段を持てるように、と動くことは、傷ついた経験がある人に限らず、誰にとっても重要なことのはずだ。それなのに、「性について真面目に考えるのはよっぽど何かがあった/ある人」という考え方があることで、様々な面で、私たちの健康、権利が害されているように思うのだ。

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もちろんつらい経験から性問題や避妊問題の活動を始める方もいる。でも、そうでなくても性と健康の権利(SRHR)を語れる社会に変えていかないと。photo/iStock

レッテル貼りなしで性を語れる世の中に

最近、それを特に実感する出来事があった。私は現在、様々な避妊法を実際に使っている人たちの経験談を紹介する『#なんでないのRadio』 というPodcastを公開している。その第1回目のゲストは、日本でIUS(子宮避妊具)を使うEmiさん(仮名)だった。

彼女が、アフターピル(緊急避妊薬)を使ったときのことを回想しながら、こんな話をしてくれたのだ。

「やっぱりアフターピルの処方を受けるってすごい勇気がいって。『そこまでのことじゃないんじゃないか』とか、『そこまでするか?私』、みたいな。『そこまで?』っていうのが今となっては意味がわからないんですけど、そのときはものすごく敷居の高いものだと勝手に思ってるんですよね」

私は、Emiさんが言う「そこまで」という言葉に、強く共感してしまった。私もそう思っていたひとりだからだ。性行為をものすごい数重ねているわけでもないし、安全かわからない相手とワンナイトを繰り返すといったリスクの高い状況にいるわけでもない。性的関係を含むパートナーがいたとしても、ピル、IUSを使った避妊やアフターピルでの緊急避妊は、どこか他人事の気がしていたのだ。正確にいえば、「他人事でなければいけない」ような気がしていた。そうしなければ、自分の意思にかかわらず様々なレッテルを勝手に貼られてしまう気がして、怖かったのだ。

しかし、Emiさんも続けるように、たった1回の性行為でも妊娠するときはするし、子どもが欲しくない限り、その1回のために確実な避妊をするのは、自分の心や体を大切に思えばなんら過剰なことではない。むしろ、なんの心理的ハードルもなく当たり前にできていいはずのことだ。

様々な場所で「自分を大切に」と声高に叫ばれる一方、実際に自分を大切にしようと動こうとしても、自分の望まないレッテルを勝手に貼られるのではという不安から、自分を守りにくくなってしまう状況。本当にこのままでいいのだろうか?

冒頭では紹介しきれなかった21歳女性の言葉を最後に紹介しよう。

「17歳で妊娠、18歳で出産しました。コンドームの破れが原因だと思いますが、それぐらいで病院に行っていいのか?高いのでは…?という心配と恥ずかしいという気持ちが勝ち、緊急避妊薬を処方してもらいませんでした。

専門学校へAO入試で入学しようとオープンキャンパスなどに通い、あとは願書を出すだけ、というところで妊娠が発覚し、そこで学歴も止まり夢や人生の方向が大きく変わりました。就職しようと思っても学歴や資格の無さから難航しています。

子供を産んだことは全く後悔していませんが、あのときもしも緊急避妊薬が手軽に手に入れられていれば、違った人生になっていただろうなと感じます。出産後は、家族計画を立て自分の意思で今はIUD(子宮内避妊用具)を装着して避妊率を高めるようにしています」(21歳女性)

性に関することを発信する人も増え、性について知ったり話したり、自分で体を守ろうとする人への偏見は、かなり減ってきているように思う。

始まったばかりの2021年だが、自分の心、体、健康、権利、ライフプランを守ろうとすることが、当たり前に、ポジティブに捉えられる社会になってほしいと心から思う。それがたとえ、性に関わることであってもー。その積み重ねの先に、ひとりひとりが望む人生の実現があれば、何よりだ。そんな願いを込めて、今年最初の記事を終わりにしたい。

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性別関係なく、性や健康に関することを誰もが当たり前に発信できる社会になってほしいと願っている。photo/iStock

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