ポラロイド写真に“性器と女の顔”が...疑惑のウディ・アレンはなぜ恋人の養女と性的関係になったのか

ポラロイド写真に“性器と女の顔”が...疑惑のウディ・アレンはなぜ恋人の養女と性的関係になったのか

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/06/10

「精神病院に入れてやる」養母にいじめられていた10代少女が“性的虐待疑惑”ウディ・アレンと出会うまでから続く

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アカデミー賞では監督賞と脚本賞など4度受賞し、映画監督として50年以上のキャリアを誇るウディ・アレン(85)。しかし彼は、世界中に広がった#MeToo運動により1992年に告発された性的虐待疑惑(証拠不十分で不起訴)が再び問題とされ、ハリウッドから消えつつある。

ウディは50歳の頃、女優ミア・ファローと交際していたにもかかわらず、ミアの養女で韓国出身のスンニの部屋に頻繁に訪れるようになった。のちに結婚することとなる2人の性的な関係はどのように始まったのかーー。L.A.在住映画ジャーナリスト・猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)から一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/#1を読む)

惹かれていく気持ち

しかし、ミアは何の疑いも持たなかった。それどころか、2人が初めて一緒に外出するきっかけは、ミアが作ったのだ。心理カウンセリングが大好きなウディは、ある時、内向的に見えるスンニにもカウンセリングを受けさせるべきではないかと、ミアに言った。するとミアは、「それよりも、外に連れ出してあげてよ」と、ニックスの試合を見に行くことを提案したのである。プロバスケットボールチーム、ニューヨーク・ニックスの大ファンであるウディは、シーズンチケットを持っていたが、ミアはスポーツに関心がないため、一緒に行くことはほとんどなかった。それで、「あなたはいつも一緒に行ってくれる人を探しているじゃない?」と言ったのだ。

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誘ってみると、スンニはすぐに承諾した。そして、その後、2人は何度となく一緒に試合観戦に出かけるようになる。1990年1月には、ウディが、自分の恋人の娘である高校生と並んで試合を観戦する写真が初めてメディアに出回った。そうやって少しずつ一緒に時間を過ごしていくうちに、ウディは、スンニが、ミアの言うような「頭が空っぽの、遅れた子」ではないと気づいていくのだ(多少の学習障害があるのはスンニ本人も認めるところで、高校卒業まで特別な家庭教師についてもらって勉強している)。それどころか、賢く、勇気があり、自分の意見がある、しっかりした子だと確信していき、この若い女性との会話をこんなに楽しいと感じるのは間違っているのではないかと思いつつも、惹かれていく気持ちは抑えようがなかった。

「朝からそんな格好をするなんて、娼婦みたい」

その年、ウディは、自分の監督作以外に、ポール・マザースキーが監督したベット・ミドラーとの共演作「結婚記念日」(1991)に出演した。映画の舞台はロサンゼルスのショッピングモール、ビバリーセンターだが、ロサンゼルスを嫌うウディの希望で、撮影のほとんどはコネチカットのショッピングモールとニューヨークのクイーンズにあるスタジオで行われた。映画には買い物客として多数のエキストラが必要だったため、ウディはスンニとフレッチャーに声をかけた。毎朝、リムジンは、まずイーストサイドでウディを拾い、次にウエストサイドのミアの家からスンニとフレッチャーを拾って、現場に向かった。その車の中で、ウディとスンニはおしゃべりに花を咲かせ、途中、しばしばウディはスンニの手を握ったり、太腿の上に手を乗せたりした。車には時々、他の人も同乗することがあったが、2人はその人たちの目を気にすることもなく、堂々としていた。

この映画の撮影が終わったあたりから、スンニは、週末になると、朝9時頃から夕方まで、一人で出かけるようになった。映画の現場で仲良くなった20代後半の女友達に会うとスンニは言ったが、毎回、妙におしゃれをして行くのを見て、ミアは不審感を持った。これまではスウェットシャツとジーンズ、スニーカーという、何も考えない服装だったのに、突然ミニスカートにパンプス、帽子、メイクまでばっちりする気合いの入れようなのだ。そんなスンニを見て、ラークやデイジーは「朝からそんな格好をするなんて、娼婦みたい」とからかったりした。ミアは、その女友達は誰なの、名前を教えて、一度家に連れて来なさいなどと言うのだが、その都度、スンニは機嫌を悪くし、答えなかった。またスンニはこの頃から、以前にも増して、ミアに攻撃的な態度を取るようになった。いつも冷たく、会話を嫌い、他人がいる前でも反抗的な態度を取るのだ。ティーンエイジャーにはありがちなことだと受け入れようとしつつ、ミアは、時折、ウディに、「スンニが大学に入って家を出たら私とスンニにとって良いことかも」とこぼした。ウディは、スンニからミアの言動について散々聞かされていたが、もちろんミアには話さなかった。

顔を引き寄せ、キスをした

高校を卒業し、ニュージャージー州のドリュー大学に進学してからも、スンニは週末になるとマンハッタンに戻り、ニックスのシーズンが始まれば、ウディと一緒に試合を見に行った。学校のある平日も、ウディは頻繁にスンニに電話をかけた。スンニは学校に馴染めず、孤独を感じていたのだが、そんな話はもちろんミアにはしていない。相談相手は、ウディだけだったのだ。そんな中で、スンニとウディの関係は、大人の男女のそれへと発展する。マンハッタンに戻ってきていたある土曜日、スンニは、仕事が休みのウディを訪ねた。自分と付き合う若い女性にいつもそうするように、ウディは自分が敬愛するイングマール・ベルイマンの映画を勧め、ウディの試写室で「第7の封印」を見ることになった。アメリカ育ちの女子大生にとって、時代物の外国語映画が心から面白いと思えるものだったかどうかはわからないが、スンニは真剣に見て、映画が終わった後も、ウディが細かな解説をするのを黙って聞いていた。そんなスンニがあまりにも健けな気げで、ウディはつい、顔を引き寄せ、キスをした。するとスンニは、「いつになったら行動に起こしてくれるのかと思っていたのよ」と言ったのだ。スンニの思わぬ反応に、ウディは、「行動に起こすだって? 待ってくれ。私はまだ一応、君のお母さんと付き合っているんだよ。私たちは今どんなところに入り込もうとしているのか」と動揺したが、走り出したら、もう止まらなかった。

だが、その頃の2人は、これが永遠の愛に繋がるとは思ってもいなかった。スンニはそのうち大学で同年代の男の子と出会い、普通の恋愛をするのだとウディは言い、スンニも漠然とそう思っていたのだ。秘密の火遊びであるだけに、その情事は、2人にとって、刺激的で新鮮だった。だからこそ、ある日、いつものようにウディのベッドに横になっていた時、ポラロイドカメラにふと目が留まると、危険な思いつきが浮かんだのである。

6枚のポラロイド写真

それは、新製品と呼ばれる物にまったく興味のないウディに、誰かがプレゼントした物だった。贈り主は「これは本当に簡単だから、あなたでも使えますよ」と言ったが、ウディは自分には扱えないからと、放っておいたものだ。だが、スンニはすぐに使い方を理解し、ウディに教え、そして、ウディがカメラマンに、スンニがモデルになった。ウディは、それらの写真を誰にも見られないよう引き出しにしまったが、何枚かは、撮影に夢中になるうち、うっかり暖炉の上に置きっぱなしにしてしまった。それが、よりにもよってミアに発見されてしまうのである。

ウディがモーゼスとディランの正式な父親になってまもない1992年1月13日、ミアは、サチェルを連れて、ウディの家を訪れた。この日は、撮影中の「夫たち、妻たち」でミアの出番がない日で、ミアは、サチェルのために子供の心理カウンセリングの予約を入れていたのだ。カウンセリング好きなウディは、まだ幼いディランとサチェルにも、定期的にカウンセリングを受けさせていた。ディランは空想と現実をごっちゃにしがちなこと、サチェルは白雪姫やシンデレラに憧れたり、女の子の服に興味を持ったりすることを、ウディが心配したからだ。ウディは仕事で留守だったため、ミアは、玄関の傘立ての下に隠してある鍵で家に入った。カウンセラーがやってくると、サチェルとカウンセラーは別の部屋に入り、ミアはリビングルームで終わるのを待った。本を読みながら時間を潰しているうち、ミアがそこにいると知っているウディから電話がかかってきた。電話を終え、受話器を置いたミアは、ふと、暖炉の上に目をやった。そこにはティッシュの箱があり、下から何かが覗いている。気になって、手を伸ばし、目に入った途端、ミアは凍りついた。それは6枚のポラロイド写真で、その全部に性器と、女性の顔が写っていたのだ。その顔は、紛れもなくスンニだった。

震える手でミアは再び受話器を取り、「緊急の用事」と言って、仕事場にいるウディを呼び出した。折り返しウディから電話があると、ミアは、「写真を見たわ。もう近寄らないで」と叫び、一方的に電話を切った。

「近い将来、君との結婚も視野に入れている」

次に自宅に電話をし、まだ冬休みで家にいたスンニが出ると、冷たい声で、「スンニ……」とだけ言った。それを聞いて、スンニはすぐに、ウディとの関係がばれたのだと悟った。ようやくサチェルがカウンセリングを終え、部屋から出てくると、ミアは写真を全部ポケットに入れ、急いでサチェルにコートを着せて、セントラルパークを横切って自分の家に帰った。家で最初にサーシャと顔を合わせると、ミアは「ウディがスンニとやっていたの。すぐアンドレ(編集部注:ミアがウディと付き合う前の1970年〜1979年まで結婚していた音楽家)に電話をして」と言いつけた。次にスンニの部屋に行き、ウディとの関係を問い詰めた。スンニが否定すると、ミアは「これがあるのよ」と写真を突きつけ、スンニを殴った。そして自分の部屋に入り、死ぬほど泣いた。泣いても、泣いても、涙が出てきた。アンドレと話したくて電話をするが、何度かけても出ない。そうしていると、慌ててウディが駆けつけてきた。ミアの部屋に入ってきたウディは、「私はスンニを愛しているんだ。結婚するつもりだ」と言ったかと思うと、「いや、私が愛しているのは君だ。これをきっかけに、愛をより深めよう」と言ったりして、支離滅裂だった。ひたすら弁明する中では、「私はスンニに自信をつけてあげたんだ」「悪かった。自分を抑制すべきだった。もうやめるから」など、矛盾していることを言った。この12年、ミアがずっと聞きたかった、「近い将来、君との結婚も視野に入れている」ということも口にした。

そこへようやくアンドレから折り返し電話がかかってきた。ウディが「お願いだから、アンドレにはこのことを話さないでくれ」と言うのを無視し、ミアは、「ウディがスンニとやっていたの」とアンドレに伝えた。衝撃を受けたアンドレは、すぐそばにウディがいると知ると、「出ていけ!」と叫んだ。それでもウディは出ていかないどころか、堂々と子供たちと一緒に夕食のテーブルについた。サーシャは歳のいったきょうだいには何があったのかすでに伝えていたのだが、ウディはあくまで平気を装い、あまりの気まずさに、子供たちは次々にお皿を持って自分たちの部屋に下がった。残ったのは、まだ小さなディランとサチェルだけだ。しかし、まだ4歳のサチェルも大人の会話に耳を傾けていて、その後しばらくベビーシッターに「パパがスンニとやっている」と言うようになった。

(猿渡 由紀/週刊文春出版部)

猿渡 由紀

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