問題議員続出の原因は、「なりたい人がなる」公募制度にあるのかも

問題議員続出の原因は、「なりたい人がなる」公募制度にあるのかも

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/04/07
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その言動がますます厳しく見られるようになっているのに、コロナ禍でも政治家は会食をやめない。ある著名政治記者が「政治家は会食するのが仕事」とテレビ番組で発言したところ、視聴者から質問が殺到したという。たしかに一般の感覚からは、そういう疑問を持たれるのは当然だろう。本当に会食しないと政治家は仕事にならないのか。政治家のことは秘書がいちばんよく知っている。長年、国会議員秘書を務めている畠山宏一氏の著書『プロ秘書だけが知っている永田町の秘密』(講談社+α文庫)から教えてもらおう。国難のときこそ政治家の仕事が重要なのだから。

出世の道が断たれて自民党の公募で国会議員に

ある代議士について書こう。仮にA先生とする。A先生は、ある省庁に勤めるキャリア官僚だったが、あるとき大臣秘書官に任命された。厚生労働大臣や防衛大臣といった国務大臣には、それぞれの省庁の役人が大臣秘書官として任命される。大臣秘書官に任命されるのは、省庁のなかでも出世コースの人間だ。

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つまり、A先生は「その時点では」出世コースに乗っていたということだ。いずれ秘書官の任を終えれば、省の課長として役所に戻り、官僚のなかでもトップである事務次官のポストを目指す。そんなキャリアも夢ではない位置につけていたはずだ。

A先生の経歴を聞いた私が最初に感じたのは、「なぜ国会議員に?」という疑問だった。官僚出身の国会議員には出世が叶わなかった人間がいるというイメージを持っていたからだ。どうしても気になった私は、リサーチをはじめた。選挙区である地元での評判を聞き、A先生がいた役所のつてを頼り在職中のことを調査したところ、「なるほど」と納得した。A先生は、大臣秘書官を務めていたときに「大きなバツ」をつけられていたのだ。

ことの成り行きはこうだ。A先生は大臣秘書官になった途端、同じ省庁の人間に威張り散らしていたという。後輩はもちろん、役所では上役にあたる人間に対してもだ。官僚のトップとされる事務次官だろうが、局長クラスの官房長だろうが、平気で呼び出して、しかも一分でも遅れると怒鳴りつける。気にくわないことがあれば、「君、何やってるの?」なんて言い草だったという。

役所というところは上下関係を重んじるため、A先生がそんな態度を取るのは、にわかには信じ難い。役所の人間も驚いたのだろう。「あいつ何様のつもりなんだ」という声が広がりはじめた。A先生がついていた大臣から見ても、A先生の態度は異常に映っていたようだ。「いつか役所に戻るんだから、もっと考えて行動しなさい」とアドバイスしたこともあったという。

大臣の助言を素直に受け止めておけばよかったものを、A先生の態度は最後まで変わらなかったという。何か大きな勘違いをしていたとしか思えない。

その後、大臣秘書官の任が解けたA先生は、もともといた役所に戻ることになる。予想できることだが、そのときにはもう、A先生は役所の人間からまったく相手にされなくなっていたという。出世の道はすでに閉ざされていたのだ。おそらく彼は、そのときに、「国会議員になろう」と志したのだろう。それから数年後、自民党の公募に申し込み、議員になった。

「なんでオレの秘書官がノンキャリなんだ!」

目下の人間に対する態度ほど、人間性を表すものはない。A先生は当選後、ある省庁の大臣政務官になった。各省庁の大臣、副大臣、大臣政務官(以下「政務官」)という、いわゆる政務三役に任命されると、各人に秘書官がつくことになる。

大臣や副大臣には、通常、キャリア官僚の秘書官がつくことになっているが、政務官の場合はキャリア(国家公務員採用総合職試験合格者)とは限らない。A先生についた秘書官はたまたまノンキャリ(=ノンキャリア。おもに国家公務員採用一般職試験合格者)だった。A先生はこれに激怒した。「なんで自分につく秘書官がノンキャリなんだ」と言い出したのだ。いくら説明しても納得しない。

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それから、A先生による秘書官いじめが始まった。A先生自身が過去に大臣秘書官だったときのことを引き合いに出し、「こんなこともできないのか」と、秘書官をしかり飛ばす毎日。恐れをなした秘書官は、A先生の前に出ると怯えるようになる。そんな秘書官に対して、他の人間がいる前でも平気で怒鳴りつけていたようだ。

良い政策をつくる仕事なのに役人を敵に回すとは

A先生のように怒鳴らないまでも、陰湿な嫌がらせを言うタイプの代議士もいた。やはり元官僚である。彼は、かつての同僚を呼びつけて、延々とダメ出しや嫌味を言っていた。同じようなことが何度も続くため、役所の人間は、その代議士のもとには行きたくないとこぼしていた。

国会議員の主な役割は、政策を考えることだ。自分が知らないことがあれば、政策に関連する省庁から役人を呼び説明を受ける「レク」という場を設ける。つまり、議員が役人に「教えてもらう」(レクチャーされる)場だ。本来、国会議員にとって、霞が関の官僚は敵ではない。議員の出自はさまざまであり、知識や経験が乏しい分野も必ずある。そこを専門的なエリートが占める霞が関の官僚にフォローしてもらい、より良い政策をつくっていくことになる。

国会議員としていい仕事をするには、役人ともうまく付き合う必要があると思うのだが、官僚出身議員の一部は、自分の考えを役人に押し付けようとする。まるで「俺のほうこそ霞が関」と言わんばかりだ。

秘書は「雇ってあげている」使用人?

遡ると、「小沢ガールズ」や「小泉チルドレン」といった、話題を集める新人議員たちがいた。既存の政治を打破する勢力として期待を集めながら、何の実績もないままに、スキャンダルを起こしては消えていく。何度同じことを繰り返せばいいのだろうか。

問題の原因のひとつには、彼らが「自分の力で国会議員になった」という大きな勘違いをしていることがあると考える。秘書にせよ、支持者にせよ、自分の考えを受け入れるのが当たり前だと思ってしまう。この考えがいき過ぎると、家庭問題であれお金の問題であれ、自分の好きにしていいのだと軽く考えるようになるのだろう。

勘違い議員を見分けるのは、私たち秘書にとっては簡単である。秘書のことを「雇ってあげている」使用人だという態度を示しはじめるからだ。そんな彼らも、国会議員になった最初の頃だけはおとなしい。右も左もわからないわけだから、先輩議員や秘書の言葉にも素直に耳を傾ける。ただ、人間の性というべきか、国会議員への特別扱いに慣れた途端、態度が変わるのだ。国会議員には金銭的な厚遇があり、周囲の人間からも祭り上げられるようになるからだろう。

問題議員増殖は公募制度のせい

ひとつ例を挙げてみよう。国会議員は電車に乗るときに切符を買わなくてもいいことはご存じだろうか。国会議員なら誰でももらえるパスを提示するだけで、いつでも改札を通してもらえるのだ。慣習なのだろう、パスを見た駅員は、議員に向かって敬礼する。乗る車両も当然のようにグリーン車だ。このような特別扱いが続くと、今どきの国会議員は、「自分が偉くなった」ように感じるらしい。偉い自分だからこそ、特別扱いに値するのだと。

国会議員は「自分の力でなる」ものではなく、「選ばれてなる」ものだと思うが、資質のない人間が国会議員になると、おかしな勘違いをしてしまうようだ。

では、どうしてこれほど問題議員、勘違い議員が増殖したのか。それは公募制度のせいではないかと、私は考えている。今の時代、「政治家になりたい」と思ったら、やることはシンプルだ。インターネットでどこかの党の公募情報を見て、記載されている手続きを進めていけばいい。期限までに履歴書など書類を提出して審査を受け、何度かの面接をクリアすれば、党の公認候補となれる。やることは一般的な就職活動と何ら変わらない。

なりたい人が議員になるのが公募制度

公募制度が一般的になるまでは、国会議員になるには複雑なルートを辿る必要があった。そもそも、「自分から手を挙げる」こと自体許されないという空気があった。「私は政治家になりたい」なんてことを言おうものなら、周りから「生意気だ」と言われて潰されてしまうだけだった。

それでは、政治家を志す人間はどうしていたのか。地元の人から信頼を集めて、「私たちの代表として立候補してください」と推挙されるのを待つしかなかったのだ。それでも一旦は、「私では力不足です」と断るのが常識とされた。

私がかつて仕えたH先生は、もともとはある国会議員の秘書だった。その議員が引退するに当たって、H先生の働きぶりを買っていた議員の親族から、後継として推薦されたのだ。それまでH先生は自分から「後継者になりたい」とは絶対に言わなかった。推薦を受けても、やはりH先生は、「家も貧しいし、兄弟が多くて大変だから」と断ったそうだ。そこを、周りの人間が「俺たちが資金の面倒を見る」と説得し、ようやくH先生は立候補を決断したのだ。

優秀な官僚に立候補を説得するのは昔は大変だった

官僚あがりの人間も、今のように簡単に国会議員になっていたわけではない。さきほど、元官僚の国会議員には出世コースを外れた人間が混じっていると書いたが、それは現在のことであり、昔の状況は真逆だった。

これは今でも変わらないが、公務員が国会議員に立候補するためには、役所を辞めなくてはならない。しかも、落選したからといって再び公務員に戻ることはできない。立候補すると、一気に無職になってしまうリスクをかかえるわけだ。役所としても、優秀な人間であれば手放したくないのだから、官僚から国会議員に立候補するのは大変なことだった。

当時は、もし官僚のなかに立候補してもらいたい人間がいれば、党として、本人はもちろん、役所を巻き込んで説得工作に動いた。事務次官や官房長といった省庁のトップの人間に、「うちで彼を推すから、ぜひ役所から出してくれ」と了承を得なくてはならなかったのだ。

役所から了承を取ることができても、最後まで当の本人を説得しきれないケースも少なくなかった。順調に出世コースを歩んでいる人間に、無職になるリスクを背負わせて立候補してもらうわけだから、落選した場合の再就職先まで確保して説得に臨むのが普通だった。

このように、元秘書にせよ、元官僚にせよ、国会議員を志し立候補するまでには、複雑な過程を経ていたから、そのおかげで立候補する人間は国会議員として求められる最低限の素養は身につけていたように思う。本人の覚悟も決まっていた。今はむしろ、自分から手を挙げて国会議員になっている人間しかいない。公募制度がある限り当然だろう。

世襲議員に対する批判から生まれた公募制度なのに

もちろん、公募にもメリットはある。世襲議員などに固定化されがちな候補者を、広く一般から募ることで、より公正な政治になる意義はあるだろう。ただ、そうした建前はわかるが、結果として問題のある国会議員を大量生産したことは否めない。小沢ガールズや安倍チルドレンなど、ここ十年ほどの間に問題を起こしてきた国会議員の多くは、公募を経て当選してきた人間だ。

何度かの面接があるとはいえ、公募で人間性まできちんと見抜けるわけがない。「不倫はしていませんか?」「秘書にパワハラしませんか?」なんて聞けるはずもなく、数分の面接で、何がわかるというのだろう。

議員本人にとっても不幸な結果に

私は、公募制度のあり方を考え直す必要があると考える。そうしないと同じ問題を、これからも繰り返してしまう。私の知る自民党の職員は、「公募制度は間違いだった」と認めている。しかし今さらやめるわけにもいかないようだ。もともとは政治の質をあげるという大義で取り入れた公募制度。これをなくしてしまうと、「世襲議員を優遇するのか」という声が出かねない。最近の議員を見ていると、世襲議員のほうがむしろ良い働きをしているわけだから、皮肉なものだ。

資質に欠ける人間が有権者の代表として国会議員になることは、国民にとっての不幸だが、当の議員本人にとっても、いずれは不幸な結果になってしまう。若い人であれば、落選後に新たな仕事を探さなくてはならない。そうすると、国会議員だった経歴が書かれている履歴書を見せることになる。私なら、そんな面倒な人間は雇わない。いったん落選してしまえば、もう取り返しがつかないのだ。

国会議員として、ひとたび「自分は特別なのだ」と思った人間が、再び一般人に戻って地道な仕事をしていくのは、大変なことだと予想する。ある元国会議員は、落選後の仕事探しに困り、結局議員秘書に雇われることで落ち着いたという。その元議員は、どんな気持ちで日々の仕事をしているのだろうか。

国会議員のバッジをいったん外すと世の中は知らん顔。これは昔から変わることのない現実だ。

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