ボンズが「1メートル前を振った」 衝撃の三振斬り...メジャーの目に留まった宝刀

ボンズが「1メートル前を振った」 衝撃の三振斬り...メジャーの目に留まった宝刀

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  • 更新日:2023/03/19
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2000年11月の日米野球第3戦で佐々岡から本塁打を放ったバリー・ボンズ【写真:共同通信社】

首位快走も急失速…広島に蔓延した風邪

1996年のオールスターゲームは東京ドームでの第2戦(7月21日)で、全パ・仰木彬監督が打者・松井秀喜外野手の時にイチロー外野手をリリーフ投手としてマウンドに送り、これに憤慨した全セ・野村克也監督が松井に代打・高津臣吾投手を起用したシーンが有名だ(結果はショートゴロ)。その是非が大いに話題になったが、出場メンバーだった元広島投手で野球評論家の佐々岡真司氏にとって思い出深いのは、それとは別の試合だった。

三村敏之監督になって3年目、1996年の広島は4月こそ10勝11敗と負け越したが、5月は16勝7敗、6月は16勝6敗と大きく勝ち越し。抑えの佐々岡氏が6月終了時点で17セーブをマークするなど、投打ともに絶好調で首位を快走した。球宴にもファン投票選出の江藤智内野手、野村謙二郎内野手、前田智徳外野手、金本知憲外野手に佐々岡氏、紀藤真琴投手、西山秀二捕手を加えた7選手が出場した。

7月23日、全セが4-2で全パを下した富山アルペンスタジアムでのオールスター第3戦が佐々岡氏にとって忘れられない試合だ。「8回が大魔神(横浜・佐々木主浩)で、9回が僕だったからね」。野村監督は、日本球界を代表するストッパー・佐々木ではなく、自分に9回を任せてくれた。意気に感じないわけがない。3者三振斬りでセーブをマークし、優秀選手賞100万円を手にした。

その試合では金本が2回に逆転3ランを放ってMVP。ともに2安打のイチローと松井も優秀選手賞を受賞した。「(表彰式で)カネ(金本)がいて、イチロー、松井に僕。その写真はずっと置いてある」という。そんな球宴での活躍は後半戦への弾みになるはずだった。だが、優勝に向かって、再進撃開始とはいかなかった。「チームに風邪がはやったんです。僕も風邪を引いて、抑えがいなくなった」。先発要員の山内がリリーフに回ったが、好転せず、後半開幕3連敗だ。

96年秋の日米野球でボンズを三振斬り…MLB関係者の目に留まったという

三村カープは失速した。最大11.5ゲーム差をつけていた長嶋巨人にひっくり返される「メークドラマ」を許してしまった。最終的には星野中日にも抜かれての3位。佐々岡氏は「あの時、優勝しないといけなかった。打線もビッグレッドマシンと呼ばれて強力だったのにね」と悔しそうに話す。終わったことはどうしようもないが、振り返れば、やはりあの年はもったいなかったとなる。普通に戦えればVをつかめたのではないか。そう思うのも無理はないほど残酷な結果だった。

その年は11月に日米野球もあった。東京ドームでMLB選抜チームと対戦する全日本の一員だった佐々岡氏は、メジャー関係者の目に留まった。11月1日の第1戦では、バリー・ボンズ、アンドレス・ガララーガの大砲2人から三振奪取。3日の第3戦でも3三振を奪うなど快投を続けたからだ。「その時の僕は絶好調だった。全盛のカーブでボンズは三振。1メートルくらい前を振ったりしていたしね。当時の新聞には3年9億とか出ていたね」。しかしメジャーには全く興味がなかったという。

ボンズは2000年11月の日米野球でも来日。4年前にやられた佐々岡氏のことを覚えていて「今回は打つ、あのカーブを打つ」と息巻いていた。そして第3戦(2000年11月5日、東京ドーム)に先発した佐々岡氏から、予告通りカーブを狙い撃ちしてのホームランをかっ飛ばした。「本当に打たれたからね。それも印象に残っている」。2001年にはMLBでシーズン73本塁打をマークするなど、通算762本塁打のボンズとの対決もまた野球人生における財産のひとつだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

山口真司 / Shinji Yamaguchi

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