小野伸二の言葉に泣き崩れた石川直宏。五輪への真摯な思いは生き続けた

小野伸二の言葉に泣き崩れた石川直宏。五輪への真摯な思いは生き続けた

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  • 更新日:2021/07/24

五輪サッカーの光と影(3)~2004年アテネ五輪
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「谷間の世代」

大久保嘉人が「喧嘩腰」で挑んだリーガ。 相手の態度が許せなかった

2004年のアテネ五輪を戦ったメンバーは、そんな不名誉な呼ばれ方をしていた。1999年のワールドユースで小野伸二らは決勝に進出し、「黄金世代」と呼ばれた。直後には平山相太を中心にした「全国高校サッカー選手権の最後のスター世代」がいた。ふたつの世代に挟まれ、「谷間」という不当な扱いを受けた。その決めつけが、図らずも彼らの反骨心を刺激し、成長の触媒になったのかもしれない。

2010年の南アフリカワールドカップで、日本は自国開催以外で初のベスト16に進出したが、アテネ五輪からは大久保嘉人、松井大輔、田中マルクス闘莉王、駒野友一、阿部勇樹、今野泰幸など、6人の主力、もしくはそれに近い選手を輩出している。彼らは「谷間」から出て、時代を牽引した。アテネのメンバーには入らなかったが、日本人史上最高のMFと言える長谷部誠もこの世代だ。

アテネ五輪で、彼らはどのような戦ったのか?

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アテネ五輪のパラグアイ戦、ガーナ戦でゴールを決めた大久保嘉人

結果から言えば、日本はパラグアイに3-4、イタリアに2-3と派手に打ち負けた。最後はガーナに1-0で勝利したが、すでに2連敗で大会敗退は決まっていた。つまり、結果は残せていない。

<攻撃にギアを入れ、守備のブレーキを失う>。

そんな表現がふさわしいか。戦術的に未熟で攻守のバランスが取れず、どうしても先手を取られた。

イタリア戦は典型だった。アルベルト・ジラルディーノひとりに翻弄され、前半途中で選手を交代させ、システムを変えるが、そのたびに流れを持っていかれた。単純にサイドを狙われているだけでも、有効な手を打てなかった。プレッシングやリトリートが曖昧で、フィーリングで攻め、守っていた。

しかし戦術面で過渡期の時代、選手たちは必死に食らいついている。

「アテネでゴールを決めていなかったら、海外移籍(マジョルカ/スペイン)もなかったかもしれん」

アテネ世代のエースといえる大久保嘉人は、拙著『ロスタイムに奇跡を』(角川文庫)の取材で語っていた。パラグアイ、ガーナを相手に得点を記録し、航路を開いた。

◆大久保嘉人が「喧嘩腰」で挑んだリーガ。相手の態度が許せなかった

「イタリアが強いとかなんとか言われていたけど、俺は(前評判は)そこまで関係なくて、自分がゴールを決められたら、それでチームは勝てると思っていたし、世界からも注目されると思っとって。タカさん(高原直泰)がオーバーエイジで来る話やったけど、誰がきても自分が出て、点を決めることしか考えてなかった(高原はエコノミー症候群でメンバー入りしなかった)。やってやるっていうのしかなかったよね」

大久保はいつだって、その気概で突っ走っていった。二度のワールドカップに出場し、Jリーグで3年連続得点王を受賞。強敵と戦うたび、彼は強くなってきた。

「サッカーは成功した時には、驚くほど達成感がある。ダメやったら、ずしっと重いもんが心に覆いかぶさってくる。そのどっちかよ。でも、難関を超えることで俺は強くなってきた。その瞬間が楽しいんよ。だから、サッカーをやめられん」

39歳になった今も、大久保はセレッソ大阪に在籍し、リーグ歴代最多得点記録を更新している。

アテネ五輪では、激情を持て余した男もいた。気鋭のサイドアタッカーとしてメンバー入りした石川直宏は、パラグアイ、イタリア戦と出場機会がなかった。すでに消化試合となっていたガーナ戦は先発出場に燃えていた。

「出られなかった2試合分も走り切ろうと思っていました。自分の全てを表現する、と意気込んで。悪くない手応えもあったんですが」

拙著『アンチ・ドロップアウト』(集英社)の取材で、石川はそう回想していた。

「(後半18分)交代を命じられた時、自分でも制御できないような怒りが突如として湧き上がってきたんです。"なんで俺が交代に"って。(自分が)悪いとはわかっているんですけど、できていたつもりだったし、見てもらえなかったんだって。その気持ちが抑え切れず、頭が混乱して、誰と交代したかも覚えていないですね」

石川はロッカールームに戻って、わんわん泣いたという。自分が許せず、ロッカーを拳でひしゃげるほど殴った。いつも礼儀正しく、謙虚で、優等生然とした彼には珍しい。驚いたスタッフからシャワーを浴びるように命じられた。

<自分は必要とされないのか>

その思いに打ちひしがれ、シャワーに打たれながら、泣き続けた。自分がどうにかなってしまいそうだった。五輪という舞台、人生を賭けていたのだ。

しかし水に打たれる間、正気を取り戻した。「共に戦った仲間たちと、試合を見にきてくれた人たちに挨拶をしないといけない」。すぐに着替えてベンチに戻る。試合後、どうにかゴール裏で挨拶をすませた後だ。

ロッカールームへの帰り道、オーバーエイジでの参加で、酸いも甘いも経験していた小野伸二に声をかけられた。

「交代しちゃったけどさ。今日の試合では、お前のプレーが一番良かったよ。だから、自信を持てって! オリンピックは終わっちゃったけどさ、A代表がある。俺はそこで待ってるから!」

その言葉に、石川はどうしようもなく泣き崩れたという。自分のことを見つめ、認めてくれる人がいた。その喜びだった。

石川は2009年、Jリーグでベストイレブンを受賞している。FC東京の中心選手として16シーズン、戦いに挑み続けた。W杯には出場できなかったが、代表のユニフォームも身に纏っている。真っ直ぐに自分と対峙し続けたプレーは、見る者の胸を打った。

成功であれ、失敗であれ。五輪にかけた真摯な思いは、体の奥で生きることになるのだ。
(つづく)

小宮良之●文 photo by Komiya Yoshiyuki

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