橋本、丸川といつも同じ顔ぶれが並ぶ女性登用の限界

橋本、丸川といつも同じ顔ぶれが並ぶ女性登用の限界

  • JBpress
  • 更新日:2021/02/22
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五輪相に就任しま丸川議員と小池東京都知事(写真:つのだよしお/アフロ)

森喜朗会長が女性蔑視発言を理由に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任した後、五輪相の橋本聖子議員が後任となり、橋本五輪相の後任は丸川珠代元五輪相となった。二つのポストが女性になったことは良いことだが、様々な批判や不満が渦巻き続ける印象で、内外メディアとも報道の切れ味が悪い。

その理由は、(1)森会長が今後も民間人として協力すると語ったこと、(2)橋本氏が清和会(旧森派)の議員で、今は自民党を離党したものの、五輪後には復帰する可能性が否定できないこと、(3)選ばれる五輪相がいつも日本の有力男性陣に顔が利く同じ女性であること(政治家においては顕著であるが、広く日本全国から選んでいるという印象がない)、の3つに集約されるようだ。

OECD諸国において、舌禍事件やジェンダー問題で退任するというのは日本以外にはあまりないため、他国の例を参考とすることは難しい。また、問題の根っこには、コロナ禍対応と東京五輪を実行するかどうかで世論から離れた意思を発信し続ける東京オリ・パラ委員会と、その背後にある日本政府に対する不満もあると感じる。

本稿では、森会長の女性蔑視発言とコロナ禍での東京オリ・パラ委員会の言動には科学的合理性と社会的合理性を持たないという点で類似性があることを明確にし、森前会長は完全に東京オリ・パラ委員会から去った方が良いと考えられる理由とともに、日本では女性一般に日が当たらない実態について論じてみたい。

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後任選びの本質は東京大会を実行すべきか

1月8日に出された緊急事態宣言は、当初期限の2月7日からさらに1カ月延長されてから約2週間が過ぎた。感染者数も重症患者数もこのところ減少している。しかし、緊急事態宣言の終了を模索する自治体が出てきている一方、各種世論調査は、コロナ禍を理由に東京五輪の中止または延期が過半を超えている。

にもかかわらず、政治家と東京オリ・パラ委員会、東京都知事は大会の実行を宣言し続けている。これに対して、バイデン大統領が「五輪の開催は科学的な根拠に基づいて判断すべき」という重要な示唆を投げかけた。どういうことか。

社会学の中にSocial Studies of Science(科学を社会的に考えるという発想の学問分野で、ここでは「科学社会論」と呼ぶ)という範疇がある。この1年間に日本で議論を呼んだことについての評価もできるので、バイデン大統領の示唆も手掛かりに、その手法を借りて、今後同委員会がなすべきことを考えてみたい。

これまで、日本政府のコロナ禍への対応に対して、世間は「科学的根拠が不明確だ」と批判してきた。その証左は、緊急事態宣言の発出理由が感染者数の急拡大などではなく、医療崩壊のリスクというインフラ問題に起因するところにも見て取れる。

これを科学社会論で考えると、日本政府が取るべき判断は、科学的根拠に基づいた合理性と社会的立場を意識した合理性の交わりの部分にあるはずだが、実際にはそこにないことを意味している、となる。

例えば、直近3カ月の一日当たり感染者数が全国で10人を下回り、ワクチン接種人数が1億人を超えれば、世間の誰もが科学的合理性として、東京オリ・パラ大会は開催できる準備ができたと理解するだろう。同時に、参加国すべての選手にワクチンの接種を義務付け、PCR検査での陰性を条件とすること、入国後の2週間の待機をすること──を求めれば、観客有りの大会とて納得するかもしれない。これが科学的合理性の意味するところだ。

一方、社会的合理性は、大会を実行してもコロナは再燃しないと人々が認識すること、大会中止の判断を日本側がすることによる膨大な額の違約金の支払いを避ける方が良いこと、および中止または延期とすることで日本人への心理的影響を小さくなることを回避すること、の3つとなる。

橋本新会長は、この科学的合理性と社会的合理性の交わる部分の中のどこかで解を選ぶことになる。例えば、大会参加選手に14日間の自粛を求めれば、彼らの記録を大きく左右することになる。それゆえに14日の自粛を求めないと判断することも可能だが、東京オリ・パラ委員会としてはその判断には勇気がいる。また、ワクチンの副作用が出た選手をどうするかという配慮もあらかじめ決めておかなければならない。

ところが、科学的合理性が明確でない中で、社会的合理性を考えるのが難しいのは、政治家でも与野党それぞれが自分たちの判断を正当化しやすい点だ。

与党自民党・公明党にとっては、7月の東京都議会議員選挙、および10月の任期満了までに実施される衆議院議員選挙にプラス効果を与えるために、国民に高揚感を与えることであろう。菅首相の言う「コロナを乗り越えた証としたい」との発言はここに当てはまると考えられる。

一方、野党が橋本新会長に自民党を離党させた理由は、実行するかどうかの判断のための社会的合理性を、与党の立場ではなく、純粋な東京オリ・パラ委員会会長として判断させるためだと考えれば納得がいく。それでも国会議員を続けるという兼職の問題は引続き残るのだが。

為政者によるマニピュレートが大前提の信じがたい国

コロナ感染症対策としては、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長がコロナ禍当初から一貫して情報発信を担ってきたが、それに対する「科学的根拠がわからない」という声もいまだに消えていない。

バイデン大統領の「科学的根拠のある判断」というのは、上述のような科学的合理性のことだが、日本政府も東京オリ・パラ委員会も、東京都も、これについては全く触れていない。

つまり、3つの組織は、日本国民に知らせるべき明確な予想(例えば、「3月末段階での過去3カ月平均の全国感染者数が10人以下に留まっていること」を条件に実行か否かを決める)を示していない。また、緊急事態宣言発出の時にも、将来コロナ禍(日本国内での感染状況だけでなく世界全体での感染状況)がどうなるのか、またそれに基づいて日本はどうすることになるか、との予見も発表していない。

彼らは、「密室政治」よろしく、自分たちが判断することを大前提に、そのお墨付きを自分たちが選んだメンバーで構成する専門家会議に与えてもらえばいい、と考えているのだろう。

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ジョンソン英首相と会談する前回の五輪相時代の丸川議員(写真:AP/アフロ)

日本の場合、科学的合理性が全くなくても何の問題もなく、社会的合理性は為政者によってマニピュレート(操作)されることを前提としている。世界の「社会科学論」の学者たちからすれば、またその手法が当然となっている欧米の政治家からすれば、信じがたい現実があるのだ。

例えば、以前から幾度となく日本で初の女性首相候補とされてきた東京都の小池都知事は、世論調査が今後も注視・延期で過半数を続けた場合、コロナ禍の終息が見え始めて科学的合理性が出てきたとしても、「都民を守るためとは言え断腸の思いだ」と語って大会を断念することができる。

メディアも、その時には選挙を考えた政治的判断と批判するだろうが、小池都知事が都議会議員選挙での都民ファーストの会の勝利と自身の衆院選出馬を考えることを、むしろ期待しているかもしれない。

繰り返すが、今のままでは、仮にこのような事態が発生した場合に、これ「科学的には開催が十分可能なのに」という批判ができない以上、真の正解は誰にもわからない。むしろ、ずっと当事者として考えてきた小池都知事こそが、問題の本質を理解して勇気ある判断をしたということになるのだろう。

なぜ日本人はジェンダー論を理解できないか

森前会長の女性蔑視発言は、女性蔑視の発想があるからこそ出てきたもので、そのような人に対して世界は「ノー」を突き付けたことを指す。女性の話が長いという科学的根拠など全くないのに、それを信じているからこそ使ったのだ。従って、そのような人間は二度と東京オリ・パラ委員会には関与すべきではない、というのが日本として取るべき態度だろう。

一方、30年以上も前から燻り続ける問題は、このような問題を起こすにもかかわらず、「常に同じ人々が持ち回りのように重要なポストに就いていく」という批判が水面下に存在することである。これは特に女性に当てはまると聞くことが、特に最近になって多くなったのではないだろうか。ようやく、正直な声が表に出られるようになったということだろう。

また、日本の場合、「日の当たる女性はずっと日が当たり続け、そうでない女性には日が当たらない」と、筆者は20年ほど前に大手メディアの女性記者から聞いたことがある。しかも、他の女性記者は「小うるさい女性は避けられる」と教えてくれた。まさに、森前会長の女性蔑視発言だ。しかも、それは女性の中でも存在する問題だというのが女性一般の意識のようだ。

今回の事例を参考とすれば、橋本新会長は役割を十分こなすことができるとしても、彼女が世間はまだ認知していなくても他の優秀な女性を推薦していたならば、新たにその人に焦点が当たり、新たに表舞台で活躍する女性が増えるということを意味している。これは、丸川新五輪相も同じで、大臣は民間人でもいいので、テレビ局で働いていた彼女なら、十分能力のある女性を知っているに違いない。

しかし、それは起こらなかった。今後はこうした状況を打破し、活躍できる女性の数を増やすことに注力すべきだろう。誤解してはならないのは、普通にポストに就く人材を選べばそうなるという点だ。

社会科学論からすると、女性の能力は男性と変わらない、というのが科学的合理性であり、女性が男性と同じ機会を与えられるべきだというのが社会的合理性である。残念ながら東京オリ・パラ委員会にも日本政府にもそれはなかったのである。

実際、政府批判が社是のような毎日新聞の記者(男性)でも、「橋本新会長への評価の際、ぶら下がりインタビューにも必ず対応する」など腰が低いという(本来の)会長の資質とは異なる点を評価している。これを隠喩だと考えた場合、毎日新聞の記者は実は橋本新会長を褒めているのかどうかさえわからなくなる。これが日本の現実だ。

そもそも、東京オリ・パラ委員会会長の選考委員は、自分の足で後任候補を探したのだろうか。報道だけを見れば、提案された候補が書いた紙の中から選んだという感じだ。自分の足と経験で後継者を選ぶことのできない組織ほどガバナンスにとって、不健全なものはない。

一方で、橋本新会長には会長としての十分な素養がある可能性も否めず、丸川新大臣も自民党の立場に影響されない判断をするかもしれない。一般人である筆者にとっては、ポジティブ思考でそれを期待することしかない。

小川 博司

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