「帽振れ」で見送った特攻機 14歳が見たあの時代 語り継ぐ戦争

「帽振れ」で見送った特攻機 14歳が見たあの時代 語り継ぐ戦争

  • 朝日新聞デジタル
  • 更新日:2023/05/26
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"取り壊し前に公開された旧鈴鹿海軍航空基地の格納庫=2011年2月20日、三重県鈴鹿市白子町"

■落合郁夫さん(92)=津市

1945(昭和20)年5月、いまの三重県鈴鹿市の第二海軍航空廠(しょう)に動員された。旧制高田中学3年の14歳の時だった。職場は海軍航空基地の二つの飛行場に挟まれた格納庫だった。職長の指示で戦闘機の脚の収納、翼のフラップの作動などの調整、修理をした。胴体の中に入り、ワイヤをつなぐ。汗だくだった。毎日2時間の残業をした。

ゼロ戦も修理した。操縦士が愛機をなでていった。新しい戦闘機や偵察機の話をしてくれた。すごいなと思った。7月、滑走路に呼び出された。「帽振れ」。ゼロ戦が1機飛び立った。特攻だった。風防を開け、白いマフラーをなびかせていた。

寮で生活した。食事の量が少なく、いつも空腹だった。夜に食堂に忍び込んだが、何もなかった。4時間残業すると、夜食が出るという。志願してみたが、薄いおかゆが出ただけだった。

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