地震体験の園長「子供の命を守るのは現在の基準では難しい」日本海中部地震40年で下した決断

地震体験の園長「子供の命を守るのは現在の基準では難しい」日本海中部地震40年で下した決断

  • ATV NEWS
  • 更新日:2023/05/26

40年前のきょう、5月26日に発生したのが日本海中部地震です。青森県内では17人が命を落としました。当時、地震を体験したこちらの男性。

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いまは、鰺ヶ沢町で保育所の園長を務めています。避難訓練に力を入れながら子供たちの命を守るためある大きな決断をしました

鰺ヶ沢町の舞戸保育所です。日本海中部地震が発生した5月に毎年、避難訓練を実施していて、この日は3歳以下の園児と保育士が参加しました。

海沿いの保育所から避難するのは海抜20メートルほどの高台です。直線距離で約2.5キロもあるうえ、途中にあるのはこの坂道。

※保育士「疲れました。(Q.きついのは坂ですか?)坂です。ただ辛いです」

訓練を計画したのは吉田諭大園長(45)5歳のとき、日本海中部地震を体験しています。

※舞戸保育所 吉田諭大園長「津波の前兆の引き波になっていて、遠くまで海底が見える状態になっていて、子どもながらに大変なことが起こっているなと感じました」

1983年5月26日、正午ごろに発生した日本海中部地震。秋田県能代市沖合いを震源とするマグニチュード7.7の地震です。
当時の基準で深浦とむつで震度5を記録し日本海沿岸には津波が押し寄せました。多くの漁船が波にのまれて転覆したり岸壁に乗り上げたりしました。

※旧小泊村民「この辺は全部家の中に波が入ってしまった。田んぼのようになった。どうもならなかった」

こうした被害を目の当たりにした吉田園長は、東日本大震災で、再び津波の脅威を思い知らされ、大規模な避難訓練を実施するようになりました。現在の青森県の想定では、日本海で地震が発生してから鰺ヶ沢町に第一波が到達するのは17分後。

それまでに高台へ避難することを目指していて、達成できました。
ただ、今回の訓練に参加したのは3歳児以下と限られていて、全ての園児を避難させるとなった場合、現在の体制では人手が足りないといいます。

※吉田園長「4・5歳児は30人に保育士1人という基準になっていますけど、この基準では災害が起こったときに子供たちの命を守ることはとても難しい。津波・洪水のリスクそのものを減らすために、(保育所の)高台への移転を進めています」

保育所の高台移転が実現するのはこの秋。それまでに子供たちの命を守るためになにをするべきか。吉田園長はあらためて、見つめ直します。

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