「結局はカネと人事の問題だった」 7年目を迎えた山口組対立抗争 なぜ日本最大のヤクザ組織は分裂したのか? 対立の裏にあった「名古屋支配」と「上納金」

「結局はカネと人事の問題だった」 7年目を迎えた山口組対立抗争 なぜ日本最大のヤクザ組織は分裂したのか? 対立の裏にあった「名古屋支配」と「上納金」

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/06/23

「相手を撃ち殺せば無期懲役だが、車を使えば量刑はさほど重くない」 最終局面を迎える7年目の山口組対立抗争 事件続発の裏にある“高齢化問題”から続く

「大きな音がしますよ」

【画像】今年に入って日本で2番手の勢力を誇る住吉会の関功代表も死去。献花台には司組長をはじめ、多くの主要暴力団組長の献花と名札が

国内最大の暴力団「6代目山口組」が分裂することが決定的になり、離脱したグループが「神戸山口組」を結成することが明らかになった際に、6代目山口組系の幹部がその後の見通しを語った言葉だ。

ここで言う「大きな音」とは銃声のことを意味していた。

組織の規律を乱し、勝手に出て行った神戸山口組に対して、拳銃の使用をいとわない制裁が加えられるということだ。分裂直後は双方とも静観の構えだったが、次第に巨大組織同士の間で止まらぬ事件の応酬が続き、間もなく7年となる。

なぜ組織は分裂し、双方の組で8人もの死者を出すことになったのか。警察当局は「カネと人事の問題だった」と指摘している。

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©iStock.com

「上納金」に不満を募らせていた?

6代目山口組は2015年8月に分裂した。実はこの年は6代目山口組にとって創立100周年の記念すべきメモリアルイヤーだった。年始の1月25日、100周年を祝う行事が神戸市内の6代目山口組総本部で開催され、稲川会や松葉会、会津小鉄会など友好団体の代表者らが出席。この日は6代目山口組組長の司忍が73歳となる誕生日でもあり、それも相まってさらなる盛り上がりを見せていた。

だが、不満を募らせていた6代目山口組の一部の「直参」と呼ばれる直系組長たちはすでに離脱することを決めて、行動をともにする勢力の拡張を水面下で画策していたのだった。

不満とは警察当局が「上納金」と呼ぶ会費などカネをめぐる問題だった。毎月の上納金は傘下の2次団体で約100万円とされ、このほかに盆暮れや司の誕生日に、傘下組織全体で5000万円や1億円といったカネが贈られていた。

6代目山口組はツートップを弘道会出身者で独占

分裂前には約70もの2次団体が所属していたために、毎月の上納金だけでも莫大なカネが6代目山口組組長にもたらされることとなっていたのだ。

カネの問題のほかに指摘されていたのが、司の出身母体で名古屋市に拠点がある「弘道会」による強権的な組織運営だった。運営の実務を担っているのは、司と同じ弘道会出身の6代目山口組若頭の高山清司。それまでトップである組長とナンバー2の若頭は、別の組織から登用し権力バランスが取られてきたが、6代目山口組ではツートップを弘道会出身者で独占していたのが実態だった。

警察当局はこうした組織運営を「弘道会支配」「名古屋支配」と称していた。警察当局の幹部は、「先代の時代と違い6代目になってからカネがかかるようになってきたことで、直参たちは苦しくなってきたのだろう。さらに、人事でも弘道会優先となったのが実態だった」と指摘していた。

こうした不満が分裂という形で噴出したのだ。

分裂後、対立抗争事件が起きることが危惧されたが…

離脱グループに名を連ねたのが、5代目山口組時代の中核組織が多かったことも警察当局をも驚かせた。離脱グループは5代目組長の渡辺芳則を輩出した「山健組」や、5代目山口組若頭だった宅見勝が結成した「宅見組」など5組織を中核とした13組織だった。

6代目山口組の動向に詳しい指定暴力団幹部が分裂の実態について解説する。

「神戸山口組は親分の盃を受けながら、それを蹴って出て行った。これは逆盃だ。謀反だと後ろ指をさされるどころか、厳しく非難されることだ。ヤクザの世界では決して許されない」

当然、分裂後にはすぐさま対立抗争事件が起きることが危惧された。

警察庁長官の金高雅仁(当時)は会見で、「どのような事態が起ころうとも市民生活の安全を期する」と強調。「今回の離脱動向を捉え、山口組をはじめとする暴力団の弱体化、壊滅に向けた取り組みを一層強化する」と述べた。

しかし、しばらくは不気味なほどの平穏が続いた。一部で散発的な衝突はあったが、本格的な対立抗争事件の続発はなかった。

伊勢志摩サミット終了後に鳴り響いた「大きな音」

だが「なにが理由かは分からない」(警察庁幹部)が、分裂翌年の2016年2月以降は事件が続発。福井県敦賀市の神戸山口組正木組事務所への銃撃事件が「号砲」となったのか、抗争事件が毎日のように発生した。相手の事務所への拳銃発砲、火炎瓶の投げ込み、繁華街での集団での乱闘などが連日、全国各地で発生した。

全国から寄せられる抗争事件の報告に国家公安委員長の河野太郎はいら立ちを隠さなかった。会見で、「対立抗争状態と言わざるを得ない。市民に迷惑がかかることがないよう、しっかりと対立を抑え込みたい」と力を込めた。

分裂に伴う対立抗争が続くなか、2016年4月、熊本地震が発生し276人が死亡、約2800人が負傷する甚大な被害となった。さらにこの年の5月には伊勢志摩サミットの開催が決まっており、警察はテロ対策などにあたることになっていた。

6代目山口組分裂、熊本地震、伊勢志摩サミットと全国警察は3つの課題への対応を求められたのだ。

ところが、伊勢志摩サミット開催が迫ると不思議なことが起きた。抗争事件がピタリと止まったのだ。6代目山口組系の幹部は、「サミットでもオリンピックでも、国際的な行事が開催される際には事件を起こして警察に恥をかかせるようなことはしない。あの時期は『静かにしていろ。動くな』との指示があった」と述べる。

そのうえで、「当面は法令順守だった」と似つかわしくない言葉で振り返った。

しかし、伊勢志摩サミット終了後に「大きな音」が岡山市で鳴り響いた。

神戸山口組側を脱退する組織が相次ぐように

2016年5月、同市内に拠点を構える神戸山口組池田組の若頭・高木昇が射殺された。逮捕されたのは6代目山口組弘道会系の組員だった。池田組をめぐっては2020年5月にも高木の後任の若頭の前谷祐一郎が銃撃されて重傷を負い、6代目山口組系の組員が逮捕された。

2019年10月、神戸市の山健組本部事務所近くで、同組系の組員2人が同時に射殺される凶悪事件が発生。6代目山口組弘道会系幹部が逮捕された。

同年11月にはさらに凶悪な事件が発生。兵庫県尼崎市で神戸山口組幹部、古川恵一が自動小銃で数十発の銃弾を浴びて殺害されたのだ。逮捕されたのは6代目山口組竹中組の元組員だった。現場は商店街で多くの買い物客が行きかう夕方の時間帯で巻き添えの危険があった。

古川殺害事件は犯行形態の残忍さから、「抗争の潮目を変えるほどの事件だった」(警察庁幹部)とされ、この事件以降、神戸山口組側を脱退する組織が相次ぐようになり、6代目山口組側は抗争を優勢に進めるようになっていく。

事件が続発したのは、高山に向けてのアピールのため

警察当局の幹部は、「6代目山口組が攻勢を強めて行ったのは、何よりカリスマ性のある高山の出所の影響が大きい」と指摘する。

若頭の高山は2010年10月、京都府警に恐喝容疑で逮捕され、その後、懲役6年の実刑判決が確定。2014年6月から服役していたが、2019年10月に府中刑務所を出所したのだった。凶悪事件は出所を前後して発生していた。

この当時に事件が続発した背景について、警察当局の幹部は、「高山の出所の前後に各傘下組織が次々と事件を起こしたのは、高山に向けてのアピールのためだろう。そもそも分裂したのは、高山が服役中で不在のため、山健組などが決起したのだと考えられる」と分析。

「何もかも高山だ」と強調している。(文中敬称略、一部の肩書は当時)

「史上最悪の暴力団抗争」80年代「山一抗争」はいかにして収束したのか 山口組対立抗争の終結に足りない“ある要素”とは?へ続く

(尾島 正洋/Webオリジナル(特集班))

尾島 正洋

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