「私は悪くない!」と言う人ほど損をする。自分のミスでないときほど、対応には注意を!

「私は悪くない!」と言う人ほど損をする。自分のミスでないときほど、対応には注意を!

  • mi-mollet(ミモレ)
  • 更新日:2022/11/25

何かトラブルが起こると、真っ先に「私は悪くない!」と言ってしまう人がいます。
責任を取りたくない気持ちは分かりますが、その一言で大事な関係が壊れたり、窮地に立たされたりすることもあるかもしれません。

「私は悪くない!」と言いがちな人が気づいたほうがいいこと

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「私は悪くない!」と言ってしまう人は、“自分にいっぱいいっぱいのタイプ”であることが少なくありません。だから真っ先に自己保身の態度をとってしまうのです。
でも、そういう人は気を付けないといけません。なぜなら場合によっては、「私は悪くない!=あなたが悪い」という意味につながることもあるからです。
それで相手を怒らせ、ますます状況が悪化してしまうこともあるでしょう。

相手のことを責めているつもりはないのだとしても、相手はどう捉えるのかは分かりません。だから、たとえ自分が悪くない状況なのだとしても、敢えてその言葉は口にしないほうがいいこともあるのです。

自分のせいでなくても、的確な対応を

トラブルが起こったときは、「誰のせいか」なんて犯人捜しは、後回しにしたほうが賢明。まずは状況確認して、「自分ができることは何か」を考えることが重要です。
そうしたら「建設的な行動」ができるので、トラブルを最小限にできる可能性もあります。

結局、起こったトラブルそのものよりも、「その後の対応の悪さ」によって、状況が悪化してしまうことが多いもの。
たとえるなら、マッチ1本の火が、ちょっと家具を焦がすどころか、家、近隣にまで被害を与えるような大火事になってしまうこともあり得ます。だから、早めに的確な対応が大切なのです。

もし“自分のせい”でトラブルが起こったのだとしても、誠意をもってきちんと対処することができたら、被害に遭った相手に「ここまでやってくれたのだから、もう大丈夫よ」と許してもらえる可能性だって高まります。
逆を言えば、自分が悪くなくても、「私は悪くありません。私は関係ありません」という態度をとることで、怒られたり、嫌われたりしてしまうことのほうが多いのです。そんな態度では、被害者による“八つ当たりのターゲット”にされてしまうことすらあるでしょう。

自分が単なる「通りすがりの人」でなければ、関係者であることには変わりません。ひょっとしたら、自分の対応次第で、未然にトラブルを防げた可能性だってあり得ます。また、関係者だからこそトラブルのときにできることもあります。
だから、トラブルのときに「私は悪くない」なんて他人事のようなことを言ってしまうのは、“残念な人”。その場でできることを探し、上手に対応できるようになったほうがいいのです。

トラブルが起こると、その対応をすることよりも、「自分が悪いか、悪くないか(&誰が悪いのか)」の次元で止まってしまう人がいます。そういう人は、なにが原因なのでしょうか?

「自分の非を認められない人」の傾向

「私は悪くない!」という人は、単に「責任を取りたくない」から言っているケースもあれば、「自分の非を受け止められない性格である」ケースもあります。
後者の場合は、自尊心が低いので、“欠点のある自分”を受け止められません。ミスを認めたら自分を許せなくなってしまい、苦しくなってしまうのです。だから、「責任転嫁する」「逃げる」という行動に出やすいタイプでもあります。

そもそも私たちはロボットではないので、完璧にはなれません。“ミスを犯す可能性のある生き物”なのです。それを前提に、理想ばかりを追い求めるよりも、“ありのままの自分”を受け止め、自分の至らないところは反省し、少しずつでも直していくしかありません。
でも、それこそが「自分を愛する」ことにつながります。そもそも愛は、無条件で無償のもの。「優秀な自分」しか受け止められず、「欠点のある自分」は拒否するようでは、“条件付きの受け入れ”なので、自分を愛せているわけではありません。

「責任から逃げる人」も、自分を愛せていない

「責任を取りたくない」という理由から責任転嫁する人も、本当の意味で自己を愛せているわけではありません。
本来、「自分を愛する」ことは、自己を成長させることであり、心の器を大きくしていくことだからです。

自分を愛している人ほど、人生において大切にしている「生き方の美学」があります。だから、多少やせ我慢をしても、それに近づくように努めていくことが多いです。それが結果的に、自己を磨き、自分を愛することにつながるからです。

逆をいえば、そういう美学を持つ人は、「私は悪くない!」なんてことは、かっこ悪いから言わないことも多い。むしろ、部下のミスで自分に落ち度がないような場面でも、「(上司である)私の責任です。申し訳ありませんでした」と潔く頭を下げられるでしょう。
その結果、周りの人からの評判が上がることも少なくありません。“本物のかっこ良さ”がある人には、ファンがつきますしね。

現代のように「責任逃れをする人が多い」背景には、世間が寛容でなくなってきたり、カムバックしにくい社会だったりするのも要因だと言えます。

“不寛容な社会”が人を許さない

日本人の多くは今、心に余裕がなくなってきています。それは、「ミスが許されにくい不寛容な社会である」ことが原因であることが、大いにあるでしょう。世間が、失敗した人に厳しすぎるのです。
「私、失敗しないので」というのは、ドラマの中だけの話。そんな言葉がもてはやされているようでは、日本はまだまだと言えるかもしれません。本来は、「失敗しても、みんなでカバーするから大丈夫」と言える世の中にしていかないといけないからです(※もちろん、ドラマのように命にかかわることでの失敗は許されないことですし、それ以外のことであっても、まずは「失敗した人が反省していること」は前提ですが)。

若者ですら、“失敗を恐れず、やりたいことにチャレンジする人”よりも、“失敗を避けて、無難に生きようとする人”は少なくありません。「失敗すること」に慣れていない分、この世知辛い世の中でミスを犯してしまうことを、必要以上に恐れているのかもしれません。
こんな風に「自分の不完全さ」を許せなくなってしまうと、他の人の失敗に寛容になれるはずはないでしょう。

不寛容な社会だからこそ、罠を仕掛ける人すら出てきます。もし正しい活動をしている人を邪魔だと思うような悪人がいたら、今の社会であれば、その正しい人にわざと失敗をさせて排除されるように仕向ける手段が簡単にとれてしまうのです。
それでは、ずる賢い人ばかりがはびこりやすくなってしまうでしょう。

みんなで「ミスをカバーしよう」と思える環境に

ただし、大人になったら、「そんな社会が悪いから、仕方ない」なんて言ってはいられません。社会は、私たちが変えていかないといけないですしね。
今後、寛容な社会にするためにも、私たちができることはなんでしょうか。

たとえば、この3つは必要かもしれません。
・ノーミスを求めるよりも、失敗する可能性があることも前提に、みんなでカバーできるようになること
・失敗して反省した人を、いつまでも責めないこと
・失敗しても、その後、成長した人には、「リベンジできるチャンス」を与えられるようになること

それが結果的に、「自分がミスをしたときも助けてもらいやすくなる」ことにつながります。
結局、どんなことも「明日は我が身」。自分がミスをしてしまい、困った状況から抜け出すときには、「手を差し伸べてくれる人がいるかどうか」が重要となってきます。

そういう救世主が現れるかどうかは、「日頃の自分の在り方」にもかかっています。
それで言うと、初めの話に戻りますが、トラブルが起こったときに「私は悪くない!」なんて言っている場合ではないのです。
少なくとも、ミスをしてしまった人に対しては「大丈夫。何とかしよう。私は何をすればいいかな?」とやさしく声を掛けられるくらいになったほうがいいでしょう。

「私は悪くない!」と言ってしまうのはかっこ悪いこと。だけど、そういう人を責められない社会的な背景も現実的にあります。謝れない人は良くないけど、“謝りにくい社会”も悪い。
少しずつ私たちが寛容さを取り戻し、フォローし合える環境にしていきたいものですね。

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コラムニスト・ひかり

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