
『郊外の鳥たち』©️BEIJING TRANSCEND PICTURES ENTERTAINMENT CO., LTD. , QUASAR FILMS, CFORCE PICTURES, BEIJING YOSHOW FILMS CO., LTD. , THREE MONKEYS FILMS. SHANGHAI, BEIJING CHASE PICTURES CO., LTD. ,KIFRAME STUDIO, FLASH FORWARD ENTERTAINMENT / ReallyLikeFilms
“中国第8世代”の新たなる才能、チウ・ション監督による2018年の長編監督デビュー作『郊外の鳥たち』がついに日本に上陸した。地盤沈下が進み“鬼城”と化した中国地方都市の地質調査に訪れた青年ハオは、廃校となった小学校の机の中から、自分と同じ名前の男の子の日記を見つける。そこに記録されていたのは、開発進む都市の中で生き生きと日常を謳歌する子どもたちの姿だった。それは果たしてハオの過去の物語なのか、未来への預言なのか。やがて子供たちは、ひとり、またひとりと姿を消していくーー。海外メディアでは“『スタンド・バイ・ミー』meetsカフカの『城』”とも称された本作を手がけたチウ・ション監督に、自身のバックグラウンドや作品について、そして“中国第8世代”の当事者から見た中国映画の現状を語ってもらった。
参考:中国映画界の新たなる才能 チウ・ション監督作『郊外の鳥たち』に込められたメッセージ
ーー監督は映画を学ぶ前、大学で生物医学を学んでいたそうですね。
チウ・ション:もともと清華大学で生物医学のエンジニアリングの研究をやっていたんですが、大学3年生のときに映画監督になろうと思って、卒業してから別の大学院に行って映画を学ぶことにしました。なぜ志を変えようと思ったかと言うと、生物医学を専攻するにあたって一番やりたかったのが、脳波を解読して人の夢を上映する機械を発明することだったんです。しかし、脳波で人の夢を分析して映像化するための機械を作るには、今の科学では最低50~60年かかるということがわかりました。今すぐにでも美しく神秘的なクリエイトをしたいという願望が私にはあったので、さすがにそんなに待つわけにいかず、映画の道に進むことにしたんです。
ーー映画を学ぶ動機としてはあまり聞かない壮大なバックグラウンドですね。もともと映画はお好きだったんですか?
チウ・ション:映画を観るようになったのは中学校に入ってからでした。中学時代から青年期にかけて、映画は趣味でよく観ていましたね。その趣味が高じて、映画の学校に行く前に、素人なりにインディーズ作品なども作っていました。一番最初に影響を受けたのは、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』です。それをきっかに、アルフレッド・ヒッチコックやデヴィッド・リンチの作品が好きになりました。特にアメリカ映画が好きで、よく観ていました。
ーー『郊外の鳥たち』からはタランティーノの影響をあまり感じなかったのですが、監督のスタイルはどのようにして生まれたのでしょうか。
チウ・ション:他の監督や作品、通っていた大学院というよりは、環境による影響が大きいかと思います。私は中国の杭州生まれなのですが、最初の大学では北京、次の大学院では香港に行きました。私が映画を学んだ地である香港は、みなさんご存知のように、狭い土地に人がひしめきあうように住んでいるので、映画を撮ろうとしても壮大なシーンはなかなか撮ることができません。特に学生の場合は、狭い部屋で、何カットも撮らないといけないわけです。そういった環境的な条件のもと、限りある空間や資源の中でどういう場面展開ができるのか、狭い空間の中でどのように豊かな映像を撮ることができるのか……というテクニカルな面を常に考える必要があったのです。なのでそのときに、アメリカ映画でよく観ていたような「スケールの大きな環境がないと映画は撮れない」という概念は大きく覆されました。あえて他の監督からの影響を挙げるとすると、ホン・サンス監督からは影響を受けています。
ーー撮影ではズームやパンが用いられていましたが、あれはホン・サンス監督からの影響なんですね。
チウ・ション:大学院に入ってから韓国映画を観るようになって、ホン・サンス監督の作品が特に好きになりました。おっしゃっていただいたように、『郊外の鳥たち』ではズームインやズームアウト、パンなどの技術を頻繁に使っていますが、これは多かれ少なかれホン・サンス監督からの影響があったように思います。それともうひとつ、この映画にはズームの作用があって、それは“機械の目”ということなんです。主人公のハオは測量士で、彼が測量を行う様子が冒頭から描かれますが、測量機は定点観測することしかできないので、三脚で固定されたあとはそこから動くことができません。しかし、測量機はズームイン、ズームアウトすることで何かを捉えることができますし、定点ながらも360度回転することができる。なので、機械的な“測量機の目”という意味でも、ズームを使う必然性を感じて多用しています。
ーー先ほどの空間の話やズームの多用の話にもつながりますが、今回の映画では、4:3のアスペクト比が採用されています。その辺りも含めて、画作りのこだわりについて教えてください。
チウ・ション:まずアスペクト比についてですが、いろいろテストをした中で、子供たちが一番魅力的に見えたのが4:3だったんです。子供は大人と比べて身長が低いので、身長が低い子供の上半身を4:3のサイズで撮ることで、彼らをある種彫刻的と言いますか、物質的な質感で捉えることができました。色彩の部分でも、子供たちのパートは回想の記憶でもあるので、8mmフィルムのような色合いや質感にこだわりました。逆に大人パートでは、色彩がない灰色をベースに、なるべく開けたロケーションで、都市建設において人々に忘れ去られてしまった都市の一角を選んでいます。
ーー脚本も監督自身が書かれていますが、この話は監督自身の実体験がベースになっているそうですね。
チウ・ション:私が小学校6年生のときに起きた実体験が元になっています。新学期が始まっても同じクラスの同級生の男の子がずっと学校に来なかったんです。先生に聞いても、その理由は教えてくれませんでした。彼がずっと学校に来ないので、心配になって、金曜日の午後に友達と一緒にその子の家に行って、「学校においでよ」と伝えようとしたんです。それで向かうことにしたんですが、彼の家は学校から遠く離れた村にあって、私たちはみんな彼の家がどこにあるのか具体的な場所を知りませんでした。1人だけなんとなく場所を知っていた子がいたので、その子について行ったんですが、その子も記憶が曖昧で、結局ある橋の下で完全に迷子になってしまったんです。私たちはその橋の下で大泣きして、そこから先に進むことができませんでした。そのことが、私の心の中にずっとひっかかっていたんです。なぜなら、私はそのときに初めて、時間や空間にも限りがあるということを学んだから。「彼はもう戻ってこない」「もう彼がいる場所に進むことはできない」ということを学び、その瞬間に少し大人になったような気持ちになったんです。
ーー『郊外の鳥たち』は2018年の作品です。それ以降も短編作品などを手がけられていますが、5年経った今、ご自身でこの作品をどう受け止めていますか?
チウ・ション:映画が完成して一番最初に上映したのがロカルノ映画祭だったんですが、私は上映時に数分でその会場から離れてしまったんです。海外の大きなスクリーンで作品を観たときに、数分のうちに自分の失敗を見つけてしまい、いたたまれない気持ちになってしまって……。半年後、別の映画祭では自分自身で最後までしっかりと観ることができましたが、あれから約5年経って思うのは、当時28歳だった自分自身の大胆さや、何か新しいものを作ろうという意欲、そういった挑戦が詰まった作品だということ。もちろん今も私自身は何か新しいものを作りたいという意欲がありますが、当時のような大胆さは今はもうないかもしれません。そういった意味では、あのときの私にしか撮れない作品だったと思います。
ーーあなたをはじめ、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』のビー・ガン監督や、惜しくも亡くなってはしまいましたが『象は静かに座っている』のフー・ボー監督など、近年、“中国第8世代”と呼ばれる若手映画監督が中国で台頭しています。その当事者として、現在の中国映画の状況や中国映画界を取り巻く現状について教えてください。
チウ・ション:確かに中国各地でそういったムーブメントがあることを私自身も実感しています。特徴的なのが、そのムーブメントの中に“地域性”があることだと思っています。例えば、私と同じ杭州地方であればグー・シャオガン監督(『春江水暖~しゅんこうすいだん』)がいますし、貴州であればビー・ガン監督、内モンゴルであればチャン・ダーレイ監督(『八月』)がいるんですが、私たちの世代の映画監督たちは、みんな“自分たちが慣れ親しんだ故郷を撮っている”ということが共通点としてあるように思います。細かく見ていくと地域によって色があるんですが、それがまとまって大きなムーブメントになっているのでしょう。ただ、ムーブメントと言っても、中国映画のマーケットの中で見ると、非常に小さなものです。中国の商業映画は、ヒット作ではなくても数億~数十億人民元の売り上げが一般的なのですが、この『郊外の鳥たち』の売り上げは50万人民元でした。商業映画と比べると、雀の涙のような金額ですよね。
ーー短編ではSF作品などを手がけられたりしていますが、今後商業映画に挑む予定はあるんでしょうか?
チウ・ション:脚本やストーリー構成がおもしろくて、実際にそういうお誘いがわたしに来れば、商業映画なのかアート映画なのかは関係なく、やってみたいとは思います。自分が惹かれるかどうかが一番大きなポイントですね。(取材・文=宮川翔)
宮川翔