安倍氏“銃撃現場”に奈良市長がモニュメント設置構想 賛否両論で識者はどう考えるか

安倍氏“銃撃現場”に奈良市長がモニュメント設置構想 賛否両論で識者はどう考えるか

  • デイリー新潮
  • 更新日:2022/09/23

安倍晋三元首相(享年67)が奈良市内で銃撃された問題で、奈良市が事件現場に追悼モニュメントなど「事件の記憶を風化させない整備」を行うかどうか、検討を重ねている。

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安倍晋三元首相

【写真5枚】今も残る、首相だった原敬、濱口雄幸、蔵相だった髙橋是清の“襲撃現場”

9月14日にはテレビ朝日がニュース・情報番組「グッド!モーニング」(平日・4:55)で、仲川げん・奈良市長(46)の構想について放送した。

このニュースで奈良市の動きを初めて知ったという視聴者は少なくなかったようで、更に広範な議論を呼びそうだ。担当記者が言う。

「実は関西のローカルニュースとしては以前から報道されています。7月26日に仲川市長が記者会見で、『歴史的な事件が起きた場所として記録することは必要』という考えを示したのです」

8月3日には奈良市議会の建設企業委員会でも議論となった。市側は「事件を形に残すことは賛否両論ある」とした上で、「記録の形や財源などについて、市民の代表や有識者の意見を聞き、方法を検討したい」と説明した。

仲川市長は共同通信の取材に応じ、8月8日に記事が配信された(註)。記事のポイントを要約してご紹介する。

◆市長は演説中だった安倍元首相の横で事件の一部始終を目撃した。

◆市長は《事件を記録し後世に伝承する必要がある》との認識を示した。

◆市民からは「追悼のためのモニュメントや献花する場所を現場に設けてほしい」という声が多い。

Twitterでも議論

◆市長は《個人的な考え》とした上で、《現代アートなどの抽象的な芸術作品や花壇を設置すること》を挙げた。

◆一方、《「つらい思いを固定化することは避けてほしい」》など、現場の整備に反対する意見も少なくない。

◆市民や有識者から幅広く意見を聴き、9月に最終判断する。

ちなみに、奈良市役所に取材を依頼すると、9月9日現在、寄せられた市民の声は、賛成が16件、反対が43件だという。

Twitterで検索してみると大量の投稿が表示され、人々の関心は高いようだ。賛否両論の議論が起きているが、賛成意見と反対意見を、それぞれ1つずつご紹介しよう。

【賛成】
奈良の遭難現場にはプレートや銘板を設置すべきですし、銅像や記念館もあって当然です

【反対】
安倍晋三元総理が亡くなった事に個人がお悔やみする事は自由だけど、モニュメントはまずくない? 亡くなった根本は統一教会がどのような団体か分かってて利用してた事が事件の発端なんだから

防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏は、安倍氏との“縁”が深い。2007年、首相だった安倍氏の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員を務めたことはよく知られている。

試験では面接官

佐瀨氏は東京大学教養学部から社会科学研究科の博士課程に進み、1965年に東大教養学部の助手に就任した。

67年から成蹊大学で講師や助教授を歴任したが、その際、成蹊高校から成蹊大学への内部試験を担当、安倍氏の面接を行ったという。

「安倍さんは私のことを忘れているだろうと思っていたのです。ところが懇談会のことで対面すると、安倍さんのほうから『私の面接を担当されましたよね』と言ってくれました」(同・佐瀨氏)

佐瀨氏は奈良市とも縁が深い。生まれは旧満州だが、敗戦前に奈良市に引き揚げたのだ。当時の奈良女子高等師範学校附属国民学校(現・奈良女子大学附属小学校)に通い、5年生の時に終戦を迎えた。

「事件現場の周辺もよく歩いたことがあり、鮮明な記憶が残っています。とはいえ、当時は田畑が広がり、夏の夕暮れには無数のホタルが光を出しながら飛ぶような農村地帯でした。事件が起きてテレビに現場が映ると、あまりに都市化しているので驚いたくらいです」(同・佐瀨氏)

生前の安倍氏と親交があり、なおかつ奈良市を故郷とする佐瀨氏に、モニュメントの設置問題について見解を訊いた。

風化は敵

「賛否両論の議論が起きているわけですが、議論自体に価値があります。賛成派の『歴史を残すべき』という意見も、反対派の『つらい思いがするので残してほしくない』という意見も、どちらも傾聴に値します。だからこそ、徹底した議論が必要なのではないでしょうか」

佐瀨氏の“私見”を問うと、「何かの形で事件現場の状況を歴史に残すことは必要だと考えています」と言う。

「あのような事件は二度とあってはなりません。再発防止のためには、未来の日本人に事件の詳細を伝えることが何より重要です。風化が最大の敵なのです。そのためには、事件現場の記憶を、しっかり残すことは重要でしょう」

とはいえ、「ここが現場だと、未来永劫、残るのは、精神的につらい」という意見も説得力がある。どうすればいいのか。

「現場の整備は最小限にとどめるというアプローチは、検討に値するかもしれません。現場は小さな印とか、事件を説明する案内板の掲示だけにする。そして、現場から離れた奈良市内の郊外部に、しっかりとした資料館のようなものを建てる。事件現場と資料館の物理的な距離を離すことで、惨劇の生々しさを排除することができる可能性があります」(同・佐瀨氏)

東京駅には“印”

ヒントになるのは、原敬(1856~1921)、濱口雄幸(1870~1931)、斎藤実(1858~1936)という3人の首相経験者だ。

原は1921年、東京駅で男に刺され死亡した。浜口は1930年、やはり東京駅で右翼団体の男から銃撃され、重傷を負った。

浜口は奇跡的に一命を取り留め、31年1月に退院した。だが、体調の悪化を止めることはできず、8月に死去した。

共に事件現場となった東京駅では、現場の近くであることを示すプレートが床に埋められ、その脇に事件の概要を示すプレートが設置されている。“モニュメント”や“献花場”といった大がかりなものではない。

斉藤は1936年に起きた二・二六事件の際、東京・四谷の私邸で150人の兵士に襲撃され、無抵抗のまま殺害された。

この私邸は現存しておらず、現場には跡を示す印も事件を説明する案内板のようなものも整備されていない。

一方、斉藤の故郷である岩手県奥州市には「斉藤実記念館」が建てられた。館内では斉藤の生涯や二・二六事件の詳細などが展示されている。

「事故現場の場所に関して、緯度や経度などのデジタルデータをしっかり保存し、何十年経っても、『あそこが現場です』と伝えることが可能なら、現場の印や案内板も必要ないかもしれません」(同・佐瀨氏)

山口県も候補?

もしデジタルデータの永久保存が可能なら、資料館のようなものも、奈良市以外に建設することも可能だ。

「何らかの形で奈良市内の事件現場を後世に伝えることができるのなら、安倍さんの故郷である山口県に資料館のようなものを建てることも検討していいのではないでしょうか」(同・佐瀨氏)

註:記事のタイトルは「奈良市長『銃撃事件後世に伝承』 現場整備9月に結論、発生1カ月」。引用した記事はインターネットで無料公開されているものではなく、共同通信が加盟社に配信したもの

デイリー新潮編集部

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