【追悼】ボビー・コールドウェル「坂本九さんに親しくしてもらいました」

【追悼】ボビー・コールドウェル「坂本九さんに親しくしてもらいました」

  • デイリー新潮
  • 更新日:2023/03/19

次々と大物ミュージシャンの訃報が続く。3月16日、訃報が伝えられたのはボビー・コールドウェル。AORの代名詞のような存在のシンガーソングライターで、名前は知らないという方でも、CMなどで必ず彼の曲を耳にしたことがあるにちがいない。
日本にも頻繁に来て公演を行っており、大物日本人歌手との交流もあったのだという。
生前の彼に2回インタビューした音楽ライター、神舘和典氏がその業績と素顔について寄稿してくれた。

***

No image

ボビー・コールドウェルさん

Mr.AOR逝く

“Mr.AOR”ボビー・コールドウェルが3月14日に亡くなった。享年71。死因は明らかにされていないが、2017年からずっと闘病を続けていたそうだ。

1951年にニューヨークで生まれたボビーは1978年に、そよ風のようであり同時にアンニュイさも感じられる「風のシルエット」でメジャーデビュー。後にセルフカバーした、ボズ・スキャッグスへの「ハート・オブ・マイン」、ピーター・セテラへの「ネクスト・タイム」「ステイ・ウィズ・ミー」はどれも洗練されたサウンド。ライヴでは、歌うだけでなく、ギターやキーボードを演奏し、マルチプレイヤーぶりを発揮していた。

AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)を代表するアーティストの1人として日本でも人気に。1980年代のバブル期にぴったりのサウンドは、夜のドライヴや間接照明の部屋でおしゃれな恋人たちに愛されていた。

近年、再評価の気運が高まっているシティ・ポップにも多大な影響を与えたといっていいだろう。

坂本九との交流

ボビーには2度インタビューしている。

1度目は2012年。アルバム「ハウス・オブ・カーズ」をリリースし、東京と大阪でライヴを行ったときだった。会場に入ると、背中が広く開いたドレス姿の女性ファンがたくさん集まっていて、ボビーの歌と演奏に合わせて踊っていた。タイムマシンで1980年代に戻ったように感じたものだ。

インタビューのときも、ステージと同じように上下黒のスーツで現れた。

「僕は1979年からずっと日本に来ています。日本では、生前の坂本九さんに親しくしてもらいました。彼は10歳年上で、感情を歌に込めることにかけて素晴らしい才能の持ち主でした。僕は彼を真似て、『上を向いて歩こう』を歌ってみました。でも、彼のようには歌えませんでしたね。僕は彼の亡くなった年齢をはるかに超えました。ステージにいる僕と客席にいるみんなが仲よく歳を重ね、今は時間と感情を分かち合っています」

うれしそうに語っていた。

このときのライヴで印象的だったのは新曲の「ゲーム・オン」。日本語に訳すと“イッチョやってやろうか!”という意味になる。自称・愛妻家で、食事の後には進んで食器を洗っていると自慢していた。そのときに叫ぶ言葉が“Game On!”だとのこと。妻はどう感じたかはわからないが、ユーモアのあるアーティストだった。

目の前で熱唱してくれたボビー

2度目のインタビューは2014年。カバーアルバム「アフター・ダーク」をリリースしての来日公演だった。1940年代のスタンダードナンバーを中心に歌い、自分の代表曲の1つ、「風のシルエット」も新しいアレンジで披露した。

「魅力あるスタンダードナンバーを100年後、200年後まで伝えるのも、僕にとってはオリジナルの曲を歌うのと同じくらい大切な役割」

キャリアを重ねたアーティストならではのことも話していた。

「どの曲にも、僕の心に深く突き刺さるメロディや歌詞があります。リスナーの皆さんと喜びを分かち合いたい」

そう語っていた。
ボビーはとにかくサービス精神あふれる人だった。

このインタビューの後、部屋から出ようとすると、彼に呼び止められた。
ふり向くと、思いもよらぬ提案をされた。

「今、ここで僕が1曲歌いましょう」

にっこり笑っていた。自分の耳を疑った。
彼がその部屋にあったオーディオの電源を入れると、管楽器のイントロが流れる。
「瞳は君ゆえに」
「アフター・ダーク」に収められているナンバーだ。

ボビーはソファに腰掛ける僕の目の前に立ち上り、首でカウントをとる。身体を揺らして歌い始めた。
歌うボビー。聴く僕。アーティストと客は1対1。
極上のエンタテインメントの空間になった。

「ラウダ―(louder)! ラウダ―!」

2コーラス目に入ると、腕を上に振り上げながら叫んだ。

もっとヴォリュームを上げるようにという指示だ。レコード会社のスタッフが慌ててオーディオに駆け寄り、フェーダーを上げる。

ボビーの体中に力がみなぎっていくのがわかった。後で聞いたら、アルコールをやめ、大好物のチーズバーガーをひかえたら、身体が絞れてきて、強く歌えるようになったという。

音量が上がり、ボビーのテンションもどんどん上がっていく。このときばかりは、AORのシンガーというよりもラウドなロックヴォーカリストという感じだった。

数多くのアーティストに取材してきた僕にとっても、忘れられないインタビューになった。

今もこの人の歌を聴くと、日本が豊かだった1980年代がよみがえる。
ご冥福をお祈りします。

神舘和典(こうだてかずのり)
1962(昭和37)年東京都生まれ。ライター。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数。

デイリー新潮編集部

新潮社

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加