球場で流しそうめん、金田正一伝説。元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話

球場で流しそうめん、金田正一伝説。元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話

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  • 更新日:2020/09/15

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元ロッテ応援団員が語る「あの頃のロッテ」 前編

今季のロッテは開幕から好調を維持し、9月15日時点で首位ソフトバンクと0.5ゲーム差の2位。今年で球団設立70周年を迎えた記念すべき年に、2005年シーズンぶりのパ・リーグ制覇、「最大の下克上」を果たした2010年シーズンぶりの日本一へ期待が高まっている。

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これまで、本拠地や名前を変えながら歴史を刻んできたチームを、あらゆる面から支え続けてきた男がいる。ロッテオリオンズの内野応援団から、ロッテ本社での営業職を経て、千葉ロッテマリーンズ球団職員として22年間勤務した横山健一氏だ。間近でロッテの変遷を目にしてきた横山氏に、今なお語り継がれる逸話の裏話を聞いた。

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観客席での流しそうめんなど、川崎球場にはさまざまなものが持ち込まれた photo by Sankei Visual

――横山さんが応援団員になったきっかけを教えてください。

「東京スタジアム(※)時代からずっとロッテを見ていたんですが、とにかく面白かったんですよ。金田正一さんが監督になってワーワーやっていたし、人気もありました。ただ、1978年に本拠地が川崎球場になったじゃないですか。当時はチームの調子も悪く、応援する人が少なくなって応援団員も来なくなっちゃったんです。

僕はずっと応援団の近くで試合を見させてもらったり、仲良くさせてもらったりしていた。本拠地が移った当時は中学3年生でしたが、『人がいないならやるしかねぇ』って感じで応援団員になったんです(笑)」

(※)1962年~1977年、東京都荒川区南千住にあった野球場。千葉ロッテマリーンズの前身にあたる毎日大映(以降は東京、ロッテ)オリオンズが本拠地として使用していた。

――東京スタジアムはどんな球場でしたか?

「狭いところもありましたが、すごく近代的でした。今でも日本ではあまり見られない、メジャーリーグの球場みたいな感じです。とにかくカッコよかった。入り口はスロープ式の通路で、中に入れば2階建てのスタンド。ゴンドラ席が内外野の端まであり、グラウンドは内野にも芝生が敷いてありました。球場周辺の下町の雰囲気とのギャップもあって魅力的でしたよ」

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ロッテ球団職員として22年間勤務した横山氏

――応援団員をされていた期間は?

「1978年から1992年までですね。本拠地が千葉に移転して、オリオンズからマリーンズに変わってからも千葉マリンスタジアム(現在はZOZOマリンスタジアム)の内野で1年間やっていました。『そろそろ応援するのも終わりかな』と思っていたのですが」

――昔の応援団は内野席に陣取っていましたね。

「昔のほうが今よりいろいろな野次が飛んでいたと思いますが、ベンチにいる選手たちも野次を言うので、それをサポートするのが後ろにいるファン、というスタンスでした。だから、応援団が内野に陣取るのは当然。そこでプレーのことや世の中で話題になっていることを落語のネタをもとに野次ったり、三三七拍子をしたり、チャンスになるとワッショイワッショイやったりしていた。でも、野次は面白いのを飛ばさないと周りから怒られますよ。

また、当時は外野から野次を飛ばすと『外野は黙ってろ』と言われましたね。今では考えられませんが、『高い金を払っていないのに文句を言うな』という考え方です。当時は、子どもなら50円くらいで外野に入れたのかな? とにかく、ファンならできるだけいい席で見たいというのが当たり前でしたね」

――横山さんと言えば、内野のフェンスの上に乗って応援していた姿が野球ファンに知られています。ファウルボールは当たりませんでしたか?

「1回も当たってないんですけど、よく当たらなかったと思いますよ(笑)。避けた記憶もないですし。当時、ロッテオリオンズに在籍していたレロン・リーさんのバットが近くまで飛んできて、すぐ下の金網にガチンと当たったことはありました。弘田澄男さんだけには注意されましたね。際どい球をカットするのがうまい右打者だったんですが、『カットした先にお前がいるから、オレの打席の時は(フェンスに)上らないでくれ』って」

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――川崎球場といえば、多くの逸話が残っています。観客が球場で「流しそうめん」をやっていた光景も有名ですね。

「僕も何回か出たことがあるのですが、『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』(フジテレビ系)の影響が大きいですよね。番組で『川崎球場は人がいない』とか、『カップルがイチャイチャしている』といった映像を流すので、目立ちたがり屋が球場に麻雀卓や七輪を持ち込んだり、わざとスタンドでキャッチボールするようになったんです。流しそうめんはその一種。僕は『(野球も見てないで)何しに来てんだ、この野郎!』と、それらをとがめる立場でした」

――逸話といえば、やはり金田正一さんは外せません。金田さんがロッテオリオンズの監督だった時、選手たちが自主トレをしている球場にヘリコプターで現われたという話は本当ですか?

「その件は、今年の8月22日にマリンスタジアムで開催された球団設立70周年の記念試合(70周年チャンピオンシリーズ)で、有藤(通世)さん、山崎(裕之)さん、村田(兆治)さんとも話したのですが、本当みたいですね。金田さんはスーパースターで、分単位でタレント活動もしていたらしく、ヘリコプターを使わざるを得ないくらい時間がなかったそうです」

――ヘリコプターで降りてくるって、ものすごいシーンですよね。

「ビックリしちゃいますよね(笑)。山崎さんには何回か『本当なんですか?』と確認したんですが、『ヘリから金田さんが降りてきた時はビックリした』と言っていました。それぐらいの方だったんですよ。今は、金田さんのような人はいませんね」

――ほかに、知っている金田さんの伝説はありますか

「冒頭でも触れましたが、1973年に金田さんがロッテオリオンズの監督に就任したとたんに、ガラガラだった球場が超満員になったんです。みんなが金田さん目当てで球場に来ていた。その年、前期優勝がかかった試合が神宮球場であったのですが、超満員。当時のパ・リーグからすれば考えられないことです」

――川崎球場は7回終了時点で球場スタッフが撤収してしまう」という話も聞いたことがあるのですが......。

「それは、球場の経費削減からですよ。できるだけスタッフを減らしたいから帰しちゃう。しかも、スタッフは帰りがけに指定席と自由席の間の柵のカギをご丁寧に開けていく。入口も解放されてたのかな? それでも、お客さんは来なかったんですけど(笑)。

指定席の券を買うのがばかばかしくなりますよね。例えば、当時は指定席の券を買っただけでスタッフのおばちゃんに『買うの?』と怪訝な顔をされたんですが、中に入ると席が「いろはにほへと」で表記されていてわかりにくいので『この席どこですか?』って聞くと、どう返されたと思いますか?『好きな所で見なさいよ!』と言われて、案内なんかしてくれませんでしたよ(笑)」

――そんな川崎から、1992年に本拠地が千葉に移転し、球団名もオリオンズからマリーンズに変わりました。横山さんは移転初年度も応援団員として活動されていますが、葛藤はありませんでしたか?

「どうしていいのかわからず、3日間泣きました。一番好きな『オリオンズ』がなくなってしまったわけですから。有藤さんも話していましたけど、球団名は残してほしかった。落合(博満)さんも、中日の監督としてロッテと日本シリーズ(2010年)を戦う際に『パ・リーグ代表のオリオンズと戦うだけ』と言っていましたが、名前はそれだけ大事なんですよ」

――川崎球場に対する思い入れも強かったんじゃないですか?

「それは何とも言えませんね。東京スタジアム、宮城球場(現在の楽天生命パーク宮城)を中心に主催試合を行なっていた仙台の時代(1973年~1977年)も見てきましたが、1988年に東京ドームができて、川崎球場はいっそう年季を感じる球場になった。同じプロ野球とは思えないほどで、『移転してきれいな球場でやれるようになるならいいな』と思っていましたし、千葉はすごく野球熱がある場所なのを知っていましたから。

移転する前年、ロッテオリオンズが千葉マリンスタジアムで試合をした際に僕も球場に行ったんですが、すごく手応えがよかったんです。お客さんに『(ロッテが)千葉に来るなら応援するから!』なんて言ってもらえたりして、『ここならいいな』と思っていました。でも、やっぱりチーム名が変わってしまうのはつらかったですよ。プレーする選手は同じなんですけどね」

【プロフィール】
■横山健一(よこやま・けんいち)
1963年生まれ。東京都出身。ロッテオリオンズ内野応援団を経て、1986年にロッテ本社に入社。1993年~2015年は千葉ロッテマリーンズ球団職員(スタジアム部部長など歴任)。2018年~2019年は日本プロ野球OBクラブ事業部部長を務めた。

(後編につづく)

浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

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