傷もの野菜も捨てずに“見切り品”として売るワケ 日本一有名な八百屋の経営哲学

傷もの野菜も捨てずに“見切り品”として売るワケ 日本一有名な八百屋の経営哲学

  • 日刊SPA!
  • 更新日:2021/06/10

「今年は梅雨が早いので、玉ねぎとジャガイモが値上がりしてますねぇー」

季節の変わり目や天候不順が続くと、いつも決まってこの人の顔がテレビ画面に大きく映し出される。東京と千葉に計6店舗のスーパーや飲食店などを構えるスーパーアキダイの秋葉弘道社長だ。

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八百屋界で10年に一人の天才と呼ばれた男、スーパーアキダイ・秋葉弘道社長

高校時代のアルバイトで八百屋という「天職」と巡り合い、卒業後は東証1部上場企業に就職したものの、八百屋への愛情が断ち切れず、23歳で独立開業。笑顔の裏には、幾度もの倒産危機を乗り越えた苦労もあったが、彼の経営者としての顔はあまり知られていない。今や「日本一有名なスーパーの社長」となった秋葉氏の経営哲学を聞いた。

◆大学進学は断念して1部上場企業に就職

スーパーアキダイは'92年に秋葉社長が弱冠23歳で創業した。現在、東京と千葉に6店舗のほか、パン工房や居酒屋も展開。今や年商34億円と「街のスーパー」としては規格外の優良企業でもある。従業員180人を抱え、地元に愛されるスーパーに成長したが、経営者としての原点は、高校時代のアルバイトまで溯る。

――高校の頃は優秀な生徒だった?

秋葉:やんちゃでしたよ(笑)。学校で禁止されていたのに、茶髪にパーマを「地毛です!」って押し通していましたし。しかも生徒会長だったので、そんな頭でほかの生徒の頭髪チェックもしていました(笑)。

バイトを始めたのは親に負担をかけたくなかったし、自分のことは自分でやりたかったから。大型の青果店で働いて、モノを売る達成感や喜びを知りました。桃を一日で130ケース売り切ったときは嬉しかったなぁ。

市場では「八百屋界で10年に一人の天才」なんて言われて、当時の球界の大型ルーキー・清原和博選手にちなんで、「秋葉は八百屋界の清原だ!」なんて褒めてくれたんです。

可愛がってくれていたバイト先の社長が「原価を教えるから、好きな値段で売ってみな」って仕事を任せてくれたので、「もっと売りたいから、明日はプラス20ケース仕入れます」と、130ケース売った翌日に150ケースを仕入れました。でも、売れ残っちゃって、悔しくて、駅のほうまで出かけて売ろうとしたくらい(苦笑)。

ただ、一番大きかったのは、高校生なのに社会の一員として認めてくれたこと。バイト先の大人と対等に喋ったり、お客さんが俺を信用してくれて「今日は何がおいしいの?」って聞いてきたり、社会に参加している実感を得られました。

◆1部上場企業に入社も…

――では、高校卒業後はすぐに八百屋で働き始めたのですか。

秋葉:高校に東京電機大学への推薦枠があり、進学を勧められたけど、当時、妹が2人いて家計が大変だったので、そんな気にはなれなかった。なので、担任の先生に就職したいと相談したら、大崎電気工業から内定をもらえたんです。

東証1部上場だから親は喜んでましたね。いい会社で、俺が改造車で出社しても「えらい元気な高卒が入ってきたなァー」という具合で(苦笑)、上司も可愛がってくれた。

でも、大企業なので一社員の役割は代わりが利くし、自分を殺さなければならない……。やっぱり自分の力でモノを売るほうが、性に合っていると常に感じていました。

そんなとき、面倒を見てくれていた上司が、「来年はここをお前に任せて、実家に戻れる」と、近々退社しそうなのを知って、これはヤバい!と先に辞表を出して逃げたんです(苦笑)。

1部上場企業に勤めていたほうが安定するし、体裁もいいけど、八百屋をやっていたときのほうが自分らしく働いていたのを忘れられなかった。

◆すべては巡り合わせ。八百屋は俺の「天職」

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――せっかく大企業に入ったのに、1年ほどで辞めて八百屋になると言ったら、ご両親は大反対したのでは。

秋葉:母親には「せっかくいい会社に入ったのに……」って止められました。仮に、俺が大学進学を望んでいたら、父親は死にもの狂いで行かせてくれたはず……。

ただ、もし大学に行って就職してたとしたら、途中で「やっぱ俺、八百屋やりたい」なんて親に言い出せなかったと思うんです。母親は止めたけど、最後に父親が「やりたいことをやらせてやれ」と言ってくれましたね。

こうした偶然や巡り合わせで今やっているんだから、やっぱり八百屋は俺の天職(笑)。退社後、高校のとき、バイトしていた八百屋に入社しました。早朝、市場で仕入れを終えると、先輩たちが食堂で朝飯を食べている間に、仲卸さんに野菜の目利きを教わりました。

先輩たちが戻ると、運転しながら母親が作ってくれたおにぎりを食べる。昼飯は忙しくて、あまり食べる暇はなかった。一日に使うお金は、缶コーヒーを買うための100円だけ。そんな日々を3年間続けて、開業資金を貯めました。

――満を持して、ついに独立・開業したわけですか。

秋葉:いや、運送会社に転職しました。八百屋しか知らない怖さもあったんで、ほかの業界も知っとかなきゃって。でも、運転中に八百屋があると売れ行きはどうだとか考えちゃうし、「テナント募集」の看板を見ると気になって仕方ない(苦笑)。

やっぱり俺は八百屋が好きなんだと痛感して、独立を決意したんです。でも、現実はそう甘くなかった……。取材に来てわかるでしょ。商売やるにはすいぶん辺鄙な場所だなって。

◆23歳で独立開業するも店は連日閑古鳥が……

今でこそ多いときは一日に2000人の来店があり、活気に溢れているが、創業の地であるアキダイ関町本店は西武新宿線・武蔵関駅から徒歩3分ではあるものの、辺りは静かな住宅街。人通りは少なく、八百屋を開業するには好立地とは言い難い。

――ここに1号店を構えた理由は?

秋葉:23歳の若造が八百屋をやりたいなんて言っても、どの不動産屋も簡単にテナントを貸してくれない。それでいろいろ回って、やっとこさここに物件を見つけて、大家さんに頼みに行くと、息子さんと俺が同じ年で、応援するからと貸してくれたんです。

ところが今度は、開業資金を借りようとした青果信用組合に融資を断られる事態に……。立地調査したら、半日で通行人がゼロで、「仕事ができる若者とは聞いているが、この場所では商売にならない」って。

貯金の200万円を担保に融資を受けて、何とかオープンに漕ぎ着けたけど、とにかくお客さんが来ない……。前に働いていた青果店は、開店と同時にお客さんが来るのが当たり前でしたが、俺の店はオープンして2時間たっても誰一人寄りつかない。

精神的にズタズタになりましたね。「八百屋界で10年に一人の天才」なんてもてはやされてきたプライドもありましたから。店はバス通りに面しているので、乗客に閑古鳥が鳴いているのを見られるのが恥ずかしくて、バスが通るたびに背を向けたり……。あれほど好きだった八百屋なのに、やめたくて仕方なくなっていました。

◆お客さんが一人もいなくても大声で呼び込み

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――何がきっかけでお客さんが来るようになったのですか。

秋葉:正直、店を閉める決心もしていました。ただ、周囲に応援してもらって開業したからには、「あれほど秋葉が頑張ってもダメなら仕方ない」と言ってもらえなければ、やめるわけにはいかない。

だから、1年間だけやれるところまで頑張ろうと決めたんです。もうプライドとか、恥ずかしいなんて言ってられない。バスが通りかかれば「大根10円!」と大きく書いた紙を掲げたり、お客さんが一人もいなくても大声で呼び込みをするようになった。

そんな具合でがむしゃらに仕事をしていると、不思議なことに、たった一人のお客さんでも「この人は俺のことを認めてくれている」と感謝の気持ちが自然に湧いてくるんですね。接客しながら、「自分はこういう思いで八百屋をやっているんです」と話すと、「頑張っているんだね。今度、お友達も連れてくるわ」って言ってくれて……。

その友達がまた別の友達を連れてきて、ウチのお客さんになってくれたり、数年前、中小企業診断士に店を診てもらったら、「顧客の95%が知人の紹介なんて店、ほかにないですよ!?」って驚いていましたよ(苦笑)。

◆勤続20年のパートも!? 従業員はみんな仲間

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――従業員も秋葉社長に信頼をおいているように感じます。撮影中も若い女性スタッフから「よっ! 男前!」「かっこいいね、社長」と声がかかっていました。また、勤務中に従業員の皆さんがテキパキした動きで働いていたのが印象深いです。

秋葉:まぁ、みんなが言いたいことを言える社長ですから、俺は(苦笑)。従業員はアルバイトやパート、社員とか関係なく、みんな仲間という感覚。むしろ、俺のほうが気を使っていますね(笑)。

まぁ、気を使われるほうがイヤなので、それでいいんだけどね。確かに、パートさんの定着率はよくて、20年のベテランも珍しくないし、一度辞めても戻ってくる人もいる。

従業員の動きがいいのは、従業員一人一人が忙しいときに空気を読んでどう動けるかを考えているから。普段からみんなに言っているのは、「5人でやる仕事を3人でやろう」「3人でやる仕事を2人でやろう」ということ。

これがいいモノを安く売るためには重要で、まだまだ完璧じゃないから、日々成長しなきゃいけない。

◆傷ものも処分せず、「見切り品」として値引き販売

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――アキダイは、国際社会共通の目標で、昨今メディアなどでクローズアップされているSDGsにも取り組んでいるそうですね。

秋葉:通常、スーパーでは傷ものの野菜などは処分してしまうけど、もったいないのでウチでは「見切り品」として値段を割り引いて売っています。

多少見かけが悪くても味は変わらないし、小鳥などペットの餌にするというお客さんもいるので、需要はあるんですね。まぁ、毎日買っていくお客さんがいるけど、鳥はそんなに食わないだろうな(人間が食べているんだろうな)とも思いますが(苦笑)。

どんな形でも、無駄にならずに消費されればいい。だから、全店舗に、見切り品を絶対つくれと指示しています。ただ、実はこの取り組みは、SDGsが取り沙汰されるずっと前からやってきたことなんですよ(笑)。

大事なのは、商売人として嘘をつかないこと。ごまかさずに、「前日の売れ残り」と正直伝えているから、安い「見切り品」として納得の上でお客さんに買ってもらえるわけです。

◆コロナ禍でもきちんと経営していくことが最優先

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――なかなかコロナ禍の収束の兆しが見えないなか、今後はどんな戦略を考えていますか。

秋葉:ウチの店は開口部が広いので、夏は暑いし、冬は寒くて、お客さんに申し訳なかったんだけど、青空市場みたいなもので換気は抜群にいい(笑)。

瓢箪(ひょうたん)から駒だけど、「コロナでも安心」と言うお客さんも多いんですよ。こんな時代でも、30年前に創業したときと自分の夢は変わっていない。店舗を増やしたり、年商100億円という目標も達成可能だけど、アキダイではない店になってしまったら意味がない。母屋が骨抜きになっちゃいけないんです。

過去に何度かあった倒産の危機のときもそうでしたが、苦難を乗り越えたときに成長できるし、従業員との絆も深まる。人はジャンプするとき、一度沈んで弾みをつけて跳ぶじゃないですか。

それと同じで、成長のためには一度沈むことも必要。今はそういう時期と捉えるべきでしょうね。いつか吉祥寺あたりでアキダイの野菜やパンを提供するカフェをやりたいけど、今はコロナ禍でもきちんと経営していくことが最優先。従業員やお客さんみんながアキダイを好きでいてくれて、その上でタイミングが来たらやってみたいですね。

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アキダイの強みは、優れた目利きによる「仕入れ」と、複数の卸売市場に確保した「独自の仕入れルート」だという。だが、最大の武器は、顧客に喜んでほしいという気持ちだろう。そんな思いを胸に、今日も秋葉社長は笑顔で店頭に立つ。

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※6/1発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【Hiromichi Akiba】

’69年、埼玉県生まれ。アキダイ代表取締役。高校の3年間、青果商でアルバイトに励むが、卒業後は大崎電気工業に入社。退社後、青果商などを経て、’92年にアキダイ創業。現在、東京都内に5店舗・千葉県内に1店舗を展開し、パン工房や居酒屋も経営する

取材・文/齊藤武宏 撮影/浅野将司

―[八百屋界で10年に一人の天才と呼ばれた男]―

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