
「オズボーン・レポート」から10年
今年2月、アメリカの法曹界を揺るがす大きな事件が起こった。ある著名なエンジニアが、弁護士業務を代行するAIの開発に成功し、「法廷で史上初のAIロボット弁護士を登場させる」と発表したのだ。
AIを利用したアプリの開発が盛んなアメリカ。AIが不動産屋との家賃交渉を行ったり、文章を打ち込めばそれに沿った動画をAIがあっという間につくってくれたり、といった魔法のようなサービスが日々生まれているが、ついに弁護士業までAIが代行できるようになったのだ。
「この『弁護士AI計画』は最終的に弁護士会の猛反発にあったため計画の延期を余儀なくされましたが、アメリカでは、人工知能の進化の速さを象徴する出来事としてとらえられています」(在米ジャーナリスト)
AIは人間の仕事をどこまで奪うのか。仕事を奪われた人間はどこに向かえばいいのか。

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並大抵の人間ではこの難題に答えを出すことはできないだろうが、一人、適任者がいる。オックスフォード大学で人工知能の研究を行っているマイケル・A・オズボーン教授だ。
いまからちょうど10年前のこと。オズボーン氏は、同大学の研究員だったカール・フライ氏と共同で一本の論文を発表した。「未来の雇用」と題されたこの論文でオズボーン氏は「今後10年から20年でなくなる仕事」を予測。各仕事に必要なスキルを仔細に調査したうえで、そのスキルがAIや機械技術の向上によってどんな影響を受けるかを検討したのだが、その結果、「702の職種のうち、47%がAIに代替される」と発表し、世界中に衝撃を与えたのだ。
その47%の一部を列挙すると……「レストランの案内係」「スポーツ審判」「レジ係」「弁護士助手」「ホテルの受付係」「簿記・会計・監査の事務員」「電話のオペレーター」など。当時、オズボーン氏は週刊現代の取材にこう語っていた。
「コンピューターの技術革新がすさまじい速さで進むなかで、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がAIやロボットに取って替わられるでしょう。たとえば『医療診断』。過去の何百万件という診療データを分析して、患者に合った最良の治療計画を提案することができるようになる。
また、無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡りますから、タクシーやドラックの運転手は仕事を失うのです」
AIに取って替わられたもの
世界に衝撃を与えた「オズボーン・レポート」が発表されて今年で10年。その間に、テクノロジーは一層発展し、人類の「職を失うことへの恐怖」は以前にも増して高まっている。
そんななか、「10年後になくなる仕事」の論文を書いた張本人は、何を思うのか。人間の仕事は、やはり予測通りになくなってしまうのか。本人を直撃取材した。
「あの論文を発表して10年が経ったいま振り返ってみると、予測の中には当たっていたものもありますし、間違っていたこともあります。結論からいえば、仕事がなくなるスピードは、そこまで早いものではありませんでした。
一例を挙げれば、自動運転についての見通しは強気すぎました。自動運転の技術そのものは向上しましたが、まだ街中で無人タクシーが走り回るほどではありません。当時の私は、技術の進歩に過大に期待していたかもしれません。
しかしながら、実際にAIやロボットが人間の仕事を奪う場面は数多く出てきました。たとえば倉庫や埠頭、工場や空港、それにホテルといった場所では、すでにロボットが多く使用されています。無人のコンビニエンスストアも登場していますし、日本のレストランでも、配膳をするロボットなどが話題になっているでしょう。
イギリスのある大型スーパーでは、倉庫で働いていた従業員がロボットに代替されてしまいました。今後、さらにロボット技術が発展していけば、機械の点検やメンテナンスといった仕事は、100%代替されるでしょう」
さらにオズボーン教授は、「予測が最も的確に当たった領域」として、「ファッションモデルなどの仕事」を挙げた。
「当時私たちは『モデルの仕事は98%の確率でなくなる』と予測していましたが、これは完全に正しい予測でした。近年、AIによって実際の人間と変わらないレベルの『人工モデル』が出現し、企業のCMやファッションブランドのサイトなどで起用されるようになっています。
人間のモデルの魅力が失われたわけではありませんし、まだまだ優位性がありますが、すでに、人間と置き換わってもおかしくないレベルには到達していますよね。今後、コストを考えて『AIモデルを起用したほうが安上がりだ』と判断する企業は次々現れるはずです。
このように、世界を一変させてしまうような大胆な変革は起こっていませんが、確実に人間の仕事が奪われる領域は増えています」
自殺願望のある人は救えない
オズボーン氏は10年前の予測通りにはならなかったことを認めたものの、しかし、氏のいう通り、一部の分野では急速に人間とAIの「置き換わり」が進んでいる。一方でオズボーン氏は、「どれだけAIが発達しても奪われない仕事」もわかってきたとして、その事例を挙げる。
「医療の世界、特に心療内科の仕事はAIには代替されないでしょう。
心療内科に来る患者は、そもそも医師との心の交流を求めてやって来る。医師は患者の心に寄り添い気持ちを理解し、心を込めたケアをする必要があります。どれだけAIが完全な受け答えをするようになったとしても、患者が『これは機械が出した答えで極めて無機質だ』と思えば治療には結びつかない。つまり、自殺観念をもった患者をAIが救うことはできないのです。
この心療内科をモデルにすれば、ほかにも生き残る仕事が類推できます。たとえば、クライアントの心に寄り添いながら案件を取ってくるような仕事ですね。どのような社会にも『コストのことは度外視して、この人だからお願いしたい』という仕事があるものです。一部の営業職や高級なサービス業などは消えることはないでしょうね」
また、大手企業が実際にAIを導入したものの、想定した成果が得られず撤退した分野も出てきている、とオズボーン氏は説明する。
「米アマゾン社は一時期、人材の採用にAIを使っていました。ところが、その判断基準に性差別的なものがあるとわかったため、2018年で活用を停止したのです。機械の判断は一見客観的に思えても、実はかなり偏っていたりする。公平な判断を機会に求めるのは、まだまだ難しいかもしれませんね」
AIの創作は人の心を動かせるのか
もうひとつ、人間が勝ち続けられる分野として教授が挙げるのが「創作」の分野。特に小説だ。
「たとえばAIに小説を書くように命令すれば、もっともらしい小説は書けるでしょう。しかし、それは『AIがここまでのモノを書けるのか』という感動にはなっても、真の意味で人の心を動かすまでの作品にはならないと思います。AIは過去のデータの蓄積をもとに作品を作り出すのであって、そこに独創性はありませんから。
先日アメリカの有名なSF雑誌が、『読者からの投稿の募集を停止する』と発表しました。これは一部では『人間の手で書かれた作品を凌駕する可能性があるからだ』と解説されましたが、私はそうは思いません。ただ単に、AIに書かせたという点だけが唯一のウリである小説のようなものが大量に送られてくることを恐れたからでしょう(笑)」
こうして見ていくと、一部の仕事を除けば当分の間は人間の優位が続きそうだが、しかしオズボーン氏は「奪われるとまではいかなくとも、ほとんどの仕事が今後AIの影響を受けるのは避けられない。その覚悟は必要だ」として、こう続ける。
「今の私の見通しでは、ほぼすべての労働の最低10%はAIによって代替されると予測しています。ある特定の職業がいきなり消えるという単純なことではなく、レポートの要約だったり、アイデアの抽出だったり、報告書の作成だったり、仕事のどこかの部分をAIが奪っていく。そういう世界になっていくのです。
この時、AIをうまく使って仕事の効率化に成功する人もいれば、業務の9割が報告やまとめなどである人は、仕事のほとんどすべてをAIに替わられて、失業してしまうでしょうね」
自分の仕事はいつかAIに代替されるかもしれない――この話を聞いて危機感を抱いた人は、ただ茫然とその時が来るのを待つしかないのだろうか。オズボーン氏はこう言う。
「まずやるべきことは、自分自身がAIを使ってみて、いまの自分の仕事にどのように活用できるかを試してみることです。ChatGPTのようなツールは誰でも使えますので、これらを利用して、自分の仕事のうちどの部分がAIでも代替できそうか、あるいはすべてが取って替わられる可能性はないかを自分なりに検討してみるのです。
そういう作業をしているうちに、自分自身がAIを使いこなせるようになっているでしょう。それがあなたのひとつのスキルになり、仕事を効率化させたり、あるいは新しい仕事を見つけることにつながるはずです。
まずはAIに退屈な業務を引き受けてもらうこと。そして、その時間で自分の創造力を磨いたり、新たなことを学ぶ時間に費やせばいいのです」
オズボーン教授はまた「AIは人類の未来にも貢献してくれるはず」と期待を込める。
「AIは気候変動や経済格差の拡大などの問題について、人間では出しえない解決方法を提案してくれると思っています。たとえば、太陽光発電について、いつ強い日が照り、電力を最大限に利用できるかを予測するなど、エネルギーの効率化を進めてくれるはずです。同様に、新しい健康管理の手段も教えてくれるはずです。
未来を悲観的にとらえるのではなく、AIを活用すれば、新たな仕事や新たな社会を生み出すことができる、と楽観的に考えるとよいのではないでしょうか」
AIは「仕事を奪われる」と思う者の仕事を奪い、「新しい仕事が生まれる」と思う者に新しい仕事を与える――それが、世界に衝撃を与えた論文を書いた研究者の「10年後の結論」だ。