戦術がジャマだった銀河系軍団。レアルにデル・ボスケの凡人ぶりは必要だった

戦術がジャマだった銀河系軍団。レアルにデル・ボスケの凡人ぶりは必要だった

  • Sportiva
  • 更新日:2020/09/16

サッカー名将列伝

第15回 ビセンテ・デル・ボスケ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は、スペインのビセンテ・デル・ボスケ。"銀河系"と呼ばれた2000年代頭のレアル・マドリードや、スペイン代表の2010年南アフリカW杯優勝時の監督として知られている。いい選手が揃っていたから勝てたとも言われるが、はたしてそうだったのか。あれだけのスター軍団が「長持ち」した背景に、この監督の存在がある。

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<抜群の戦績だが...>

南に面して座っているだけで国が収まる。古代中国が理想とした皇帝の姿だそうだ。ビセンテ・デル・ボスケは、天子南面を思わせる監督だった。

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レアル・マドリード、スペイン代表を勝たせつづけた、デル・ボスケ監督

戦績は抜群だ。何度か監督解任後のケアテイカー(暫定監督) としてレアル・マドリードで短期間指揮を執ったあと、本格的に監督の座に就くや、4年間の在任中にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝2回、リーガ・エスパニョーラ優勝2回、インターコンチネンタルカップ、UEFAスーパーカップ、スペインスーパーカップも獲った。

スペイン代表監督としても、2010年南アフリカワールドカップで初優勝に導き、ユーロ2012も優勝。CLとW杯で優勝した監督は、マルチェロ・リッピ(イタリア)とデル・ボスケのふたりだけだ。

ところが、そのわりには名将感がない。

レアル・マドリードの監督の時は、"銀河系"と呼ばれたスター揃いのチームだった。ルイス・フィーゴ(ポルトガル)、ジネディーヌ・ジダン(フランス)、ロナウド(ブラジル)と、バロンドール受賞者を毎年補強しつづけていた時代である。選手が凄すぎるので、監督は誰でもいいんじゃないかぐらいに思われていた。

スペイン代表も、ユーロ2008優勝チームを前任者のルイス・アラゴネスから引き継いでいる。こちらもシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバ、フェルナンド・トーレスといった錚々(そうそう)たるメンバーが揃っていて、やはり監督の手腕のおかげで勝ったという印象はない。

たまたまスーパーチームの絶頂期に居合わせた幸運な監督というのが、当時の評価だったのではないか。もちろん、そんなはずはないのだが、まさにそうとしか見えないところが、デル・ボスケの面白いところだ。

そうは見えないが、デル・ボスケはレアル・マドリ―のスター選手だった。長身のプレーメーカーで、動きはもっさりしていたがテクニックがあり、安定感のあるMFだった。

引退後はレアルの育成チームを担当、実質Bチームのレアル・マドリード・カスティージャで指揮を執ったことはあるが、育成のスペシャリストと見られていた。93年にトップチームのベニート・フローロ監督(スペイン)が解任されたあと、暫定監督を4カ月 務めた。96年にもホルヘ・バルダーノ監督(アルゼンチン) が解任されて、1試合だけ指揮を執っている。

99年11月にはジョン・トシャック監督(ウェールズ)が解任され、デル・ボスケは3度目の監督就任。しかしこの時はCLに優勝して続投となり、その後4年間レアルを率いることになった。

レアルの監督としてのデル・ボスケの印象といえば、テクニカルエリアに出てきたまではいいが、とくに何もせず小首をかしげて佇んでいる巨体のイメージでしかなかった。練習場でも絢爛豪華なスターたちが、輪になってパス回しに興じているところから少し離れて、コーチ陣と並んで佇んでいた。見た目、ほぼ何もしていなかった。

銀河系レアルの絶頂期、GKにはデル・ボスケが育成で携わったイケル・カシージャス(スペイン)がいて、フェルナンド・イエロ(スペイン)が守備の重鎮だった。左SBは攻撃型のロベルト・カルロス、攻撃陣はジダン、フィーゴ、ラウール・ゴンサレス(スペイン)、ロナウドがずらりと居並ぶ壮観である。圧倒的な個人技を重ね合わせていくパッチワーク。戦術的な匂いはほとんどない。

<スーパースターを全部使って勝つ>

「戦術を重視する人物にしたい」

2002-03シーズンのリーガを制したあと、フロレンティーノ・ペレス会長はデル・ボスケとの契約を延長しなかった。その時に言っていたもっともらしい理由が「戦術重視」である。たしかにデル・ボスケには戦術が「ない」ように見えた。しかし、現場の意向などお構いなしにスター・コレクションをつづけてきた会長が、よくぬけぬけと言ったものだ。

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あの陣容で戦術的なチームなどつくりようがないし、それをやっても意味がなかった。高級マグロを煮て食うようなものだからだ。デル・ボスケのあと、ペレス会長が連れてきたたぶん戦術的なはずの監督5人が指揮を執った3年間は、惨憺たる結果に終わっている。

次々に投下されるスーパースターを全部使って勝つことが、デル・ボスケに与えられた使命だった。ロナウド、ラウール、フィーゴ、ジダンにロベルト・カルロスも加えた5人に、プラスひとりかふたりが攻撃していくのだから、どうしたって攻撃過多になる。

スターアタッカー全員を常に守らせるのは無理としても、ひとりやふたりは守備を手伝ってもらわないと、守備崩壊は必至だ。スターたちの背後でクロード・マケレレ(フランス)、イバン・エルゲラ(スペイン)が汗をかいていても、それではとうてい間に合わない。

だから、デル・ボスケはいつもぎりぎりのバランスを見ていた。スーパースターの誰かが適宜に「マケレレ」になっているかどうか。ただ、仮に全員守備をさぼったところで、デル・ボスケには実際のところどうすることもできない。沈没していく船と共にあるだけだ。けれども、デル・ボスケはレアル・マドリードの良心で、いずれ沈没していくだろう豪華船の船長としての威厳は備えていた。

デル・ボスケを失望させてはいけない。それは銀河系の終わりを意味する。現在、ジダン監督を本気で怒らせてはいけないのと同じである。

<偉大な凡人。静かな賢者>

スペイン代表でもデル・ボスケ監督の立場はレアルの時と大差ない。バルセロナのメンバーを中心としたスターたちをまとめ、気持ちよくプレーさせ、しかし決して越えてはならない一線は、身を挺して守る役割だ。

デル・ボスケはいつも淡々としていた。スター軍団を率いて勝ちまくっている時も奢りは微塵も見られず、黙々と仕事をこなしていた。ある意味、名将としてのカリスマ性がまったくない監督だった。

偉大な凡人、デル・ボスケがレアルを退任したのは、おそらく会長に意見をしたせいではないかと思う。デイビッド・ベッカム(イングランド)を獲得し、マケレレを放出した時に、もう無理だと言ったのではないか。

「デル・ボスケは疲れている」

これもペレス会長のデル・ボスケ退任時のコメントだが、疲れていると言えば、ずっと疲れているように見える監督だったのだ。静かな賢者の価値は失ってから気づくのかもしれない。

ビセンテ・デル・ボスケ
Vicente Del Bosque/1950年12月23日生まれ。スペイン・サラマンカ出身。1970年代から80年代前半にかけて、レアル・マドリードのMF、DFとしてプレーしリーグ優勝5回。スペイン代表でもプレーした。引退後はレアル・マドリードの育成組織の指導にあたる。99年からは4年間トップチームの監督を務め、「銀河系」と呼ばれたスター軍団を2度のリーグ優勝、2度のCL優勝に導いた。その後08年からはスペイン代表監督に就任。10年南アフリカW杯優勝、12年ユーロ優勝を勝ち取った

西部謙司●文 text by Nishibe Kenji

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