【あの甲子園球児は今(2)PL学園・清水孝悦】清原、桑田も頭が上がらない熱血主将が語る「PL時代」

【あの甲子園球児は今(2)PL学園・清水孝悦】清原、桑田も頭が上がらない熱血主将が語る「PL時代」

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  • 更新日:2022/08/07

大阪桐蔭の春夏連覇に注目が集まる今夏の甲子園大会。かつて、それ以上の存在感を誇った大阪の強豪がPL学園だった。甲子園大会春夏通算96勝で計7度の優勝。その中でも「最強」とうたわれたのが清原和博(元西武など)、桑田真澄(現巨人投手コーチ)を擁したKK時代。清水孝悦(55)はKKコンビが2年時の主将だった。

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清原、桑田との思い出を語るPL学園元主将・清水孝悦さん

忘れられない光景がある。清水が主将になった新チームの初日。同部屋になっていた清原と桑田が揃って寝坊した。厳しい上下関係のルールがあったPL学園では、ありえない出来事だった。清水さんが確認にいくと、部屋で土下座する2人の姿があった。「すみませんでした!」と言う声と体が震えていた。注意して練習参加を認めた。

「桑田は手がかからない子だったけど、清原は体は大きいけど、心はまだ子供みたいな部分があった。嫌なことがあると顔に出て、態度にすぐ出る。そういうところは注意したことがありましたね」

1年夏からチームの主役に躍り出た2人。チームが勝つためには、やってもらわないといけない。一方で、主将としては甘やかすわけにはいかない。学校では普通の高校生だが、ユニホームを着ると、全国の注目を集める超高校級のスター選手。主将として先輩として、厳しく指導しながら、同時に守ってやらないといけないと意識していた。

「当時は大変でした。甲子園にも良い思い出はないんですよ。清原と桑田がいるから、優勝して当然だとみられる。負けられないし、試合が嫌でしょうがなかった。それが本音でしたね」

甲子園に出る各地の選手たちからは「練習はきついけど、試合は楽」という声を聞くことが多いが、PL学園の主将となると、過度のプレッシャーが肩にのしかかる。甲子園は勝利を期待する周囲の大人たちの思惑に、高校生が振り回される場所。清水にとってはそうだった。一つにまとまっていないといけないチーム内でも「なんであいつらだけ」とねたみ、やっかみが生まれる。「頼むから、黙っててくれ」と雑音を封じ込めるのも主将の仕事だった。

だから、試合では捕手として桑田をリードすることだけで力を使い果たした。打席では「タコ(無安打)ばかりやった」と苦笑する。1984年の春は岩倉に、夏は取手二にともに決勝で敗れた。春夏連続の準優勝。見事な成績だが「それまでがしんどかったから、甲子園の決勝まできて、ホッとしていた。主将がそれだと勝てない。もう少し自分が打っていれば優勝できていた。でも清原、桑田と一緒にプレーできたことは、やっぱり財産」と振り返った。桑田の甲子園20勝は分業制、球数制限の中では、破られることのない記録だと感じている。

清水は同志社大に進み、卒業後はPL学園で14年間コーチを務めた。松井稼頭央(現西武ヘッドコーチ)、福留孝介(現中日)、平石洋介(現西武打撃コーチ)ら多くのプロ野球選手も育てた伝説のコーチだ。大阪・藤井寺で、すし店「ふじ清」を経営する今も多くのOB、野球関係者が店を訪れる。

PL学園は2016年夏を最後に休部し、活動を停止した。19年に桑田OB会長を中心にマスターズ甲子園に出場。スタンドでもOBによる人文字応援が復活し、懐かしい校歌が聖地に流れた。清水も35年ぶりに甲子園で桑田とバッテリーを組んだ。「このときの校歌は良かった。桑田の球も受けていて、あのころを思い出しました」。学校には野球部復活の動きはない。状況は厳しいと清水も感じている。全国に散ったPLの仲間はそれぞれの夏を思い出すように、熱血主将に連絡を取る。甲子園が始まると、清水さんの携帯電話の着信は増える。=敬称略=(鈴木 光)

◇清水 孝悦(しみず・たかよし)1967年(昭42)3月13日生まれ、大阪府藤井寺市出身の55歳。PL学園では3年時の84年に甲子園に春夏連続出場し準優勝。同志社大卒業後はPL学園でコーチ。現在は父の跡を継いで、藤井寺市のすし店「ふじ清」を経営。

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