信長の安土城を描いた屛風どこいった? 滋賀県、ローマなどで情報求める

信長の安土城を描いた屛風どこいった? 滋賀県、ローマなどで情報求める

  • 京都新聞
  • 更新日:2021/11/25
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建築史家の研究に基づく安土城の模型。建造時の全容が分かる資料は見つかっていない(近江八幡市安土町小中・安土城郭資料館)

織田信長の居城・安土城の当時の姿が描かれ、ローマ教皇に献上された後に行方不明になっている「安土山図屏風(びょうぶ)」の探索に、滋賀県が乗り出した。信長の命で狩野松栄が描いたとされる「幻の屏風」で、県による探索は約40年ぶり。多言語のホームページ(HP)を開設し、三日月大造知事もローマ教皇庁などに協力を要請するなど、世界中から情報提供を求める。

安土城は信長が1576(天正4)年に築き始めた。79年に天主(天守)を完成させて移り住んだが、本能寺の変直後の82年6月に天主と本丸が焼失した。

近江八幡市安土町の城跡には多くの観光客が訪れるが、当時の外観を伝える史料は乏しく、内部構造も諸説ある「謎の城」で、屏風が見つかれば重要な手がかりになる。

安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇グレゴリオ13世に献上された。バチカン宮殿(バチカン)に1592年まで存在していた記録があるが、その後約400年以上、行方不明になっている。

屏風探索は県が1980~87年に、旧安土町も2004~07年に探索し、バチカンやイタリアに研究者を派遣したが、重要な手がかりは発見できなかった。

今回、県が探索に再び乗り出すのは、築城450年となる2026年にCG(コンピューターグラフィックス)などを用いたデジタルデータ上での復元を行うため。屏風以外の新資料を探す目的も兼ねている。

県は、屏風探索を世界に発信するため、ホームページを10月26日に開設。屏風が移動した可能性が高い国々の言語であるイタリア語、ドイツ語など6カ国語で情報提供を呼び掛けている。三日月知事も東京都内のローマ教皇庁、イタリアなどの大使館を今年度内に訪問し、探索への協力を要請するという。

2006年には豊臣秀吉時代の大坂城を描いた「豊臣期大坂図屏風」がオーストリアの古城で見つかった事例もある。県文化財保護課は「安土城は日本を代表する城郭だが実像が未解明。インターネット時代だからこそできる形で探索する。屏風に限らず、城に関する新資料の発見につながれば」と期待している。

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