松尾潔「世界がそのセンスにひれ伏した」YMO高橋幸宏を悼む

松尾潔「世界がそのセンスにひれ伏した」YMO高橋幸宏を悼む

  • RKB毎日放送
  • 更新日:2023/01/25
No image

YMOのドラマー・高橋幸宏さんが1月11日に亡くなった。音楽プロデューサー・松尾潔さんは、1月23日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「世界がひれ伏したセンス」と高橋さんを称賛し、“おしゃれすぎる耽美的な生き方”を振り返った。

◆子供たちが熱狂したインスト

YMOの高橋幸宏さんが1月11日に70歳で亡くなりました。50代以上の方にとっては、歌謡曲以外で初めて触れたポップミュージックがYMOという方が多いですよね。日本人ミュージシャンのバンドでありながら「洋楽の入り口になった」という声をよく耳にします。

現在55歳の僕もその1人で、個人的な思い出でをお話すると、YMOが出てきた当時は小学生の終わりぐらい。佐賀県唐津市の高島という島に、父親と海釣りに行く車の中でよくYMOを聴いていましたね。それくらい日常に根ざしたインストゥルメンタルミュージックでした。

考えてみるとそんなこと、後にも先にもあまりないんじゃないかと思います。クラシックが好きな人はいつの時代もいますし、ジャズが好きな早熟な子供もいます。でもYMOの場合は、歌モノと同じように子供たち、少年少女が熱狂したんです。そういう熱狂の「仕掛け人」としてのYMOについて、お話をしたいと思います。

◆YMO以前にも海外ツアーを経験

YMOは、音楽業界で天才と言われているベーシストでありマルチインストゥルメンタリストである細野晴臣さんの構想を具現化したバンドです。少し世代が下にあたる坂本龍一さんと高橋幸宏さんという、当時の売れっ子セッションミュージシャン2人が加わって、3人で結成しました。

坂本龍一さんはすでにその頃から「教授」ってニックネームでした。東京藝大の作曲科を出て、大学院にも行ったという、わかりやすくアカデミズムとの接点があったから「教授」という呼び名は日本中が受け入れました。今考えてみると、まだ若かった坂本さんのことを日本中で「教授」って呼んでいたなんて、すごい話ですよね。

その教授、大学院に在学中にサーカスの「アメリカン・フィーリング」でレコード大賞編曲賞を受賞しました。しかし、高橋幸宏さんの方が実は早熟でした。お兄さんもミュージシャン、そして立教大学の附属校に中学から行っていて、同世代の人よりちょっと先に大人っぽい文化に触れていたこともあって、高校生のときにプロミュージシャンとしてデビューを飾っています。

YMO以前に「タイムマシーンにお願い」で有名なサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとしてロンドンでツアーをやっていて、YMOの中で唯一、結成する前に海外ツアーを経験していました。

◆YMOのイメージを形成

「細野さんは天才、教授は奇才」と評される中、高橋さんは自らについて「自分はその間を繋ぐ人間なんだ、凡人だ」と言っていました。でも、YMOのイメージ、実はファッションでも長けていた幸宏さんが作っていました。人民服を思わせるコスチュームやトレードマークだった髭。あと、もみあげを落とす「テクノカット」もそうです。僕も小学校の終わりにもみあげ落として母にずいぶん叱られました(笑)

そういう音楽を核として、それ以外の何か「音楽的」なものを教えてくれたのは、やっぱり幸宏さんだったなと思います。何よりドラマーとして優れていました。音楽のかっこよさと同時に「ミュージシャンとはこういうものだ」というかっこ良さを、わかりやすく体現していた方だったと思いますね。

◆世界がひれ伏したセンス

YMOの代表曲の最たるものである「RYDEEN」は、ベーシストの細野さんでもキーボーディストの教授でもなく、ドラマーの高橋幸宏さんの作曲だ、というのは、ファンの間では知られた話です。彼が鼻唄で作る曲のキャッチーさは、教授が鍵盤を押さえながら作曲するのとは違った魅力がありました。

そこがポップミュージックの担保にもなっていて、子供たちが熱狂した理由にもなっていたのかなと思います。もっというと、高橋幸宏さんのセンスに、日本中、そして世界のちょっと感度の高い人たちがひれ伏していたのかなという気がしますね。

◆おしゃれすぎる“耽美的”な生き方

高橋幸宏さんはYMOでリードボーカルを担当することが多くて、オリコン2位になった「君に、胸キュン。」もそうです。ドラマーでありながら、ちょっと個性的なボーカル。イギリスのバンド、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーのボーカルに近いと言われています。

「耽美的」という言葉があります。浮世離れして美を追求する姿勢、アートの香りを漂わせた、一番簡単な言葉で言い換えると「おしゃれ」。何をやってもおしゃれでした。ドラマーって、演奏するときに足元を動かしやすいように、バンドメンバーの中で1人だけスニーカーということが多いのですが、彼はレコーディングのときも革靴だったと言われています。とにかくダンディズムを徹底していました。

でも、それは周囲を緊張させるものではありませんでした。むしろ、気遣いの言葉を一番多くかけていた人だったと言われています。70歳で亡くなったのは、早過ぎました。細野さんのベース、幸宏さんのドラム、この組み合わせがもう聴けないのは残念ですが、作品は残ります。彼の「ドラミングの妙」をみなさんも楽しんでいただければと思います。

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加