「おまえ、今、この時のように泣けるか」。恩師の言葉から生まれた、梅崎司の覚悟と自信

「おまえ、今、この時のように泣けるか」。恩師の言葉から生まれた、梅崎司の覚悟と自信

  • Sportiva
  • 更新日:2021/07/22

プロ生活17年目で初めてキャプテンとなり、2021年シーズンを迎えた梅崎司。

7月17日、電撃的に湘南ベルマーレから古巣の大分トリニータへの移籍を決めたが、湘南でチームの顔になれたのは2018年浦和レッズから湘南に移籍して完全復活を証明し、さらなる活躍を期待されていたからに他ならない。

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湘南ベルマーレではキャプテンを務めた梅崎司

浦和レッズからの移籍について、梅崎はこう語る。

「湘南への移籍が大きなターニングポイントになりました」

浦和では、入団して3年目まではケガなどで苦しみ、なかなか活躍することができなかった。だが、4年目の2011年にJ1残留に貢献すると2012年は左ウイングバックとして開幕スタメン出場を果たし、2015年までレギュラーとしてプレーした。しかし、2016年、左膝前十字靭帯を損傷し、2017年もその影響を受け、出場はわずか10試合に終わった。

「当時、レッズは3-4-2-1で僕は2シャドーと左右のウイングバックを任されることが多く、攻守にいろんな役割を求められていました。それができるようになったのは自分の成長だと思うんですけど、少し便利屋っぽい感じだったんです」

梅崎が試合に出始めた頃のレッズは、ペトロヴィッチ監督が指揮を執り、動きや役割がオートマティック化され、徹底されていた。それがミシャのサッカーの根幹となり、結果も出ていたので、選手はその役割を果たすプレーを求められた。組織の中でいかに個を出していくのかはいつの時代も選手が思い悩むところである。ましてや年齢が上がっていき、試合に出られなくなっていくと、「このままでいいのか」と思うことが増えてくる。

梅崎にとって、2017年は、そういうシーズンだった。

「年齢的に30歳を超えて、レッズで10年プレーさせてもらって、自分がやりたいゴールに向かって行くプレー、仕掛けていきたいプレーと、自分に求められているプレーにギャップを感じていました。でも、求められていることをやらないとサッカーで生きていけない。自分の生きる道を探した結果、その選択をしたので後悔はないんですけど‥‥やっぱり自分の本来のプレーで勝負したい気持ちはずっとあったんです」

思い悩んでいた時、湘南から声がかかった。

レッズ時代、梅崎が感じていた湘南のイメージは「アグレッシブなサッカーで、自分たちが体現したいものがはっきりしているチーム」という印象だった。そのチームを指揮していたのが、曺貴裁(チョウ・キジェ)だった。

この監督との出会いが、梅崎のサッカー人生を彩りのあるものにしていく。

「レッズではケガがありましたし、自分がやりたいプレーよりもチームに合わせていくことを選んだんですけど、そこへの葛藤が常にあって‥‥。それを曺さんに会った時に、いきなり指摘されたんです」

曺は、梅崎に会うなり、こう言った。

「おまえ、本当は攻撃的なプレーをしたいんだろ? 俺はおまえがそういうプレーを体現できる選手だと思っている。うちに来たら、それを伸ばすことができるし、うちのチームにとってもプラスに働くから一緒にやろう」

曺の言葉は熱く、梅崎の心を読んだ鋭い指摘だった。

「会ったこともなかったのに僕の心理を読まれて、『なんなんだ、この人は』って思いました。でも、そう言われて、ズキューンでしたね(笑)。話を聞いて、ほぼ即決でした」

決断しても心の中にはレッズへの愛着が残っていた。10年も在籍したのだ。ACLのタイトル獲得などにも貢献、サポーターの応援やサッカーの環境もすばらしかった。

「正直、レッズに残りたいなっていう気持ちもありました。残留して、もう1回勝負したいと。やっぱりあれだけのサポーターがいる中、すばらしいスタジアムでプレーできるのは選手冥利に尽きるなと思っていましたから。そこを蹴って湘南に行くことを決めたので、自分の中ではやるしかないという気持ちでした」

湘南に来て、面食らったのは練習だった。前線から激しいプレッシングをかけ、アグレッシブに動く。曺のサッカーは走力と強度と連動が求められた。

「練習は、めちゃキツかった。レッズの1.8倍キツかったですね。レッズの練習はクオリティが求められ、攻守の良さをどう出し合うかにフォーカスされていたんですけど、湘南はプレッシングの強度をぬかりなくやる練習で、とにかくハード。しかも、練習でのプレッシングを試合にどうつなげていくのかという難しさがありました」

曺からは、強度の高いプレッシングで相手に襲い掛かる守備を徹底するように言われた。だが、自分のやり方が染みついているので、それを優先させてしまうところがあり、曺の戦術を理解し、体現するのが難しかった。それでも梅崎は、チームメイトとコミュニケーションを取り、他の選手の動きを見ながらプレッシングのタイミングを調整し、自分のものにしていった。

「最初はプレッシングも含めて、いろんなことがうまくいかなくて、曺さんによく怒られました。その時に言われたのは、『合わせるな』ということです。『司は、人間的に優しいから人がどういうことを望んでいるかというところに目が行きがち。でも、本来のお前は人に合わせるんじゃなくて、自分のプレーで周囲を引き上げていくことだ』と言われました。それはあるなって思いましたね」

ある時、曺に呼ばれるとU-20W杯カナダ大会の映像を見せられた。ベスト16でチェコにPK戦で敗れ、号泣している自分の姿が映し出されていた。

そのシーンを見て、曺は梅崎に聞いた。

「おまえ、今、この時のように泣けるか。この時はチームの中心でやってやろうという思いがあったからこれだけ泣けるんだろ。今のお前は、泣けるぐらいやってるのか」

梅崎は、その通りだなと思ったという。

「曺さんと日々、コミュニケーションを取っていく中で、ヒントとなる言葉をもらえるんですけど、『えっ、それ、違うんじゃない』という言葉もあるんです。でも、自分のプレーが良くなっていくと、曺さんの言っていたことと合致することが増えて。この人は、本当に先のことが見えているんだなって思いました」

2018年、梅崎は3-4-2-1の左の2シャドーのポジションを確保し、29試合4得点2アシストを残し、自分を取り戻した。チームもルヴァン杯で優勝を果たし、リーグ戦は最終節までJ2降格争いに巻き込まれたが最終的に13位でJ1残留を決めた。

「2018年は、自分にとって成長の1年になりました」

梅崎は、笑顔で、そう言った。

だが、梅崎を湘南に呼び、鋭い牙を取り戻させた曺は2019年、パワハラ問題でチームを去った。

「寂しかったですね。僕は曺さんがいたから湘南を選びましたし、2018年はチームが成長した結果、ルヴァン杯で優勝できた。2019年はさらに、その上を目指そうと考え、少しずつ形が見えてきたところだったので、すごく残念でした」

曺は、チームを去る際、梅崎にこう言葉を残したという。

「司は、司らしく頑張ってくれ。まだまだだからな」

その「まだまだだから」という言葉が今も梅崎のやる気を駆り立てている。

いよいよ東京五輪が始まる。

吉田麻也、遠藤航らOAの選手に加え、久保健英らタレント揃いのU-24日本代表は、過去最強とも言われ、メダル獲得への期待が高まっている。

梅崎自身もかつて北京五輪を目指して戦った。

その代表チームは2005年ワールドユース・オランダ大会、2007年U-20W杯カナダ大会に出場した2つの世代の選手で構成されていた。梅崎はカナダ大会に出場した世代で、彼らは突き抜けた明るさから「調子乗り世代」と呼ばれ、小野伸二や稲本潤一、遠藤保仁らの「黄金世代」のように注目された。

「調子乗り世代と言われて注目されましたけど、その中心は森島(康仁)、槙野(智章)、柏木(陽介)、安田(理大)たちで僕はそっちのほうには行っていない感じでした(笑)。一つ学年が上だったので、調子乗り世代を見守りつつ、たまにパフォーマンスに参加するみたいな立ち位置でしたね」

梅崎のいうパフォーマンスとはゴールパフォーマンスのことだ。ゴールを決めた後、この時代に当時流行っていた「ビリーズブートキャンプ」のトレーニングの真似をしたり、侍が抜刀するシーンや相撲、ドラゴンボールのかめはめ波と多様なゴールパフォーマンスで試合を盛り上げた。チームは、梅崎曰く「U-18 からほとんど変わっていなくて積み重ねて強くなっていった」ということで地力があった。U-20W杯はグループリーグでは下馬評を覆して2勝1分けでトップ通過を果たし、ベスト16でチェコと対戦した。2点リードするも追いつかれ、最後はPK戦で屈するのだが、梅崎はこのチームで主力としてプレーした。

「U-20W杯ではチェコに負けたのはすごく寂しかった。もっと上にいってスペインやアルゼンチンと戦いたかった。でも、この大会を通して地道にやっていくこと、夢を持つことの大切さを学びましたし、世界を肌で感じて五輪やA代表につなげていくんだという気持ちになりました」

梅崎は残念ながら北京五輪を戦う日本代表に届かなかった。

今回の東京五輪では湘南からU-24日本代表のメンバー入りを果たした選手がいる。GKの谷晃生だ。まだ、20歳と若いGKだが、梅崎の目から見た谷はどんな選手なのだろうか。

「若くて、サイズもあるし、あれだけの安心感とダイナミックさを兼ね備えたGKは、周作(西川・浦和)以来というか、なかなかいないと思います。五輪では日本の盾になってくれると思うので、楽しみですね」

谷が大舞台で活躍し、成長すればチームにとって大きなプラスになる。メキシコ五輪以来53年ぶりとなるメダルへの期待が膨らむばかりだ。

東京五輪が終われば、リーグ戦が再び始まる。

梅崎は、大分でリスタートを切ることになる。前半戦、湘南では試合に絡めなかったが、7月に行なわれた天皇杯3回戦のヴァンラーレ八戸戦でゴールを決めるなどコンディションが上って来ており、「調子はかなりいい」という。大分では、中断明けからチームで自分らしさを発揮していくだろう。そうして自らの価値を高めていくことで、大好きなサッカーをより長く続けていく道が開けていく。

「引退のことも考えたりしますし、僕自身もキャリアの終盤に差し掛かっているのはわかっています。ただ、今年、湘南ではリーグ戦に絡めていなかったので、このままで終われないという気持ちが強い。自分に手応えを感じていますし、日本サッカー界にまだ自分がいるんだ。まだやれるんだというのを見せていきたい」

まっすぐな視線の奥には10代の時のようなギラギラしたものが見て取れる。大分では、あのU-20W杯の時のように泣けるぐらい自分を出し切れるだろうか。J2降格の危機にさらされている大分を残留に導くことができれば嬉し涙ではなく、大きな笑みが梅崎の表情に広がるはずだ。

佐藤俊●文 text by Sato Shun

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