将棋界の異端児・橋本八段が電撃引退した複雑な事情

将棋界の異端児・橋本八段が電撃引退した複雑な事情

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  • 更新日:2021/04/21
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(写真はイメージ)

(田丸 昇:棋士)

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「羽生キラー」として名をはせる

橋本崇載八段(38)は、竜王戦で最上位の1組に通算10期も在籍し、順位戦でも最上位のA級に昇級したことがある実力者。10年ほど前には名人時代の羽生善治九段(50)を竜王戦で連破し、「羽生キラー」として名をはせた。

橋本は2015年(平成27)にNHK杯戦の準決勝の対局で、秒読みに追われながら指した手が「二歩」(同じ縦の筋に自分の2枚の歩を置くこと)の禁手で、反則負けを喫した。

後日に写真誌の取材を受けた橋本は、「プロとして恥ずかしいですね。最近の座右の銘は《一手千金 二歩厳禁》です」と、苦笑しながら反省の弁を語った。しかし、その一件をきっかけにして、注目されるようになった。

金髪、高級腕時計・・・将棋界の異端児

「ハッシー」の愛称がある橋本は、棋士の中では異端児だった。金髪に染め、紫のシャツや高級腕時計を身につけるなど、派手な格好をしていた時期があった。一方で、池袋や新宿に飲みながら将棋を楽しめる「将棋バー」を開き、独自の普及活動に努めた。

公式戦で反則負けをした後、橋本は勧誘されて芸能事務所に所属し、タレント活動を始めた。あるゲームアプリのテレビCMにも登場し、将棋盤の前に和服姿で座っておどけたアクションを見せた。

自身のYouTubeで電撃引退を公表

橋本八段は昨年7月、B級2組順位戦で藤井聡太七段(当時17)と初めて対戦し、厳しく攻め込まれて完敗した。藤井の強さについては、「積んでいるエンジンが違う」と高出力の車にたとえた。

それから3カ月後、橋本は一身上の都合により、半年間の休場届を日本将棋連盟に提出した。休場が終わる今年3月には、公式戦復帰に向けて準備していた。しかし、思いも寄らない事態に至った。

橋本は4月2日、「令和3年3月31日をもって、20年間続けてきたプロ棋士を引退する運びとなりました」と、自身のYouTubeで電撃引退を公表したのだ。さらに「2019年7月に生まれれたばかりの息子を妻に連れ去られた」と告白して波紋を呼んだ。

長男を妻に連れ去られる?

橋本がYouTubeで語った内容や週刊誌の記事によると、2017年3月に30代前半の女性と結婚し、2019年3月に長男が生まれた。同年7月7日には長男を妻の両親に預け、妻の誕生日をフランス料理店で一緒に祝った。翌日に滋賀県の自宅から東京へ仕事で出かけた。10日後に帰宅すると、妻から離婚を要求する「書き置き」が置いてあり、妻と長男の姿はなかった。良好な夫婦生活を営んできたと思っていた橋本にとって、晴天の霹靂といえる事態となった。

橋本は「浮気やDVをしたことはなく、育児にもできるだけ協力した」と語り、思い当たるふしはないという。しかし、ふとした行き違いが知らずうちに亀裂になるのは、どんな夫婦にも起こりえる話で、生活をともに送っていても気づかないことがある。

その後、夫妻で何回か話し合ったそうだが、修復されなかった。現在は調停の場で、妻が申し立てた離婚について協議しているが、まだ決着していないようだ。

夫婦関係が悪化した場合、妻が子どもを連れて実家に里帰りするのはよくある話である(実は、私も35年前にその経験をした)。橋本がそれを「連れ去り」という強烈な言葉を使ったのには驚いた。

橋本は、長男にまったく会えないのが辛いと語った。それが原因で心身に不調をきたし、棋士として対局を行うことが不可能になったので、現役引退を決意したという。

いちど引退すると現役復帰できない棋士

将棋の棋士はいちど引退すると、現役に復帰することはできない。将棋連盟会長の佐藤康光九段(51)は懸命に慰留したそうだが、生一本の性格である橋本の決意は変わらなかった。

なお、引退ではなくて休場を選択すれば、橋本の場合は休場をずっと継続しても、規定によっておよそ15年間は現役棋士の身分を維持できた。その権利を放棄してまでも引退したのはなぜなのか?

橋本は今後、長男との面会や親権の確保を目指すために、子どもの「連れ去り」の違法化を社会に訴えていくという。ただ現実問題として、自身が望む結果を得る道のりは険しそうだ。

将棋のプロ棋士の世界は実力主義で、公式戦で一定の成績を収め続ければ、「生涯現役」を貫くことも可能である。

1992年(平成4)に大棋士の大山康晴十五世名人は、現役のA級棋士のまま69歳で病死したが、ガンを患わなかったら80代まで第一線で活躍したことだろう。

しかし、大半の棋士は年齢を重ねるうちに、実力が落ちて公式戦で成績不良となり、規定によって引退に追い込まれるのが現実である。40代で早期に引退した例もある。

棋士の引退を左右する「順位戦」のクラス

棋士が引退する主な事由は、名人戦の予選リーグに当たる「順位戦」のクラスが影響を及ぼしている。名人に次ぐ最上位のA級から、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5クラスがあり、最下位のC級2組から降級すると「フリークラス」に編入され、所定の年数や年齢によって引退が確定する(所定の成績でC級2組に復帰できる規定もある)。

「ひふみん」の愛称で知られている加藤一二三・九段は、2017年に順位戦でC級2組から降級し、規定によって77歳で引退した。フリークラスには65歳の年齢制限があり、加藤は編入されなかった。それでも14歳で棋士になってから、現役生活は64年間にわたった。まさに「継続は力なり」という棋士人生だった。

名人位に就いた大棋士の場合、A級から降級してB級1組に在籍するのは「プライドが許さない」などの理由で、フリークラスを経て(C級2組以外のクラスからも編入される)任意引退することがある。

中原誠十六世名人(73)は、フリークラス編入から7年後の2009年に62歳で引退した。米長邦雄永世棋聖(享年69)は、フリークラス編入から5年後の2003年に60歳で引退した。

大山十五世名人は生前、「A級から落ちたら引退する」と公言していた。1989年度のA級順位戦では降級の危機に陥ったが、最終戦で勝って残留した。大山の勝利が将棋会館での大盤解説会に伝わると、多くの来場者から拍手が巻き起こり、中には涙ぐんだ人もいたという。

私こと田丸九段は、フリークラスに在籍していた2016年10月、66歳で引退した。加藤九段にはとても及ばないが、45年間にわたった現役生活に悔いはなかった。ちなみに4月1日時点の年齢が基準なので、5月生まれの私は棋士生命が1年以上も延びたことになる。

引退時に退職金の代わりに「功労金」

棋士は公益社団法人・日本将棋連盟に所属する正会員だが、会社員ではなくて個人事業主である。引退時に退職金は支給されない。ただし、現役時代の実績などを基準にした「功労金」が支給される。その金額は、一般の勤め人の退職金の10分の1程度である。

棋士生命が順位戦のクラスによって影響を受けているのには、歴史的な背景があった。

戦後まもない1946年(昭和21)に順位戦が創設されたとき、当時はほかの棋戦はなかったので、順位戦の成績が棋士のランクや昇段、棋士生命の基準となった。それが現代までずっと引き続けられてきている。名人戦の契約金が、ほかの棋戦よりもかなり上回っていた事情もあった。

田丸 昇

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