上島竜兵さんを偲ぶ 村野工業時代の「恩師」が語る後悔、旧友が思い出す“将棋とRX7”

上島竜兵さんを偲ぶ 村野工業時代の「恩師」が語る後悔、旧友が思い出す“将棋とRX7”

  • デイリー新潮
  • 更新日:2022/05/15

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんの突然の訃報が伝えられたのは11日。61歳だった。芸能界だけでなく、テレビを通してその姿に親しんできた幅広い世代に悲しみが広がっている。悲痛に暮れつつも、上島さんの生前の思い出を語りながら悼む高校時代の恩師は、マスメディアの取材を受ける中での苦しい胸の内を明かした。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

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高校時代の上島竜兵さん 村野工業高校のアルバムから

「ここは辛抱やで」

「私が上島君のことで取材を受けたテレビを見た80代の卒業生から電話があって、『なんでちゃんと話を聞いてやらんのや』と怒られましたよ」

神戸市北区の自宅で困惑気味にこう打ち明けるのは、上島さんが私立神戸村野工業高校(神戸市長田区)時代、3年間担任だった柏木冨士男さん(78)だ。

2020年11月11日の午前零時ごろ。たまたま起きていた。携帯電話が鳴った。耳を凝らすと「柏木先生ですか」と小声。「竜兵か?」と訊くと、「はい」と言った。家族を起こしてはいけないと思ってか、声を潜めていたようだ。

「自分からそういうことは言いませんでしたが、こちらが推し図って、『コロナで大変やろうけど、ここは辛抱やで』と言いました。近況なんかを少し話しました。たまたま村野工業の創立100周年の祝賀会がコロナで延期になっていたので、『また祝賀会とかを開催する時には協力してくれるな』と言うと、『はい』と答えていた」(柏木さん)

柏木さんが「何かあったら電話するよ」と言うと、上島さんは「企画とかがあったら太田プロダクションのマネージャーにお願いします」と言ったそうだ。

「でも、その日かかってきたのは、登録していた上島の携帯番号ではありませんでした。何か理由があって電話番号を変更したようですね」(同)

柏木さんは電話が終わってから、「なんやったんやろうな。何か訴えたかったのかな」と思った。

「そのままにしていたことを、今になってものすごく後悔しているんです。コロナで芸人仲間の会合とかも激減してしまったんでしょうか。華やかな世界にいただけに、ちょっと出番が減ったことなんかでも想像以上に不安になるのかもしれません」(同)

担任は3年間持ち上がり

2008年6月、NHK大阪局の番組で、上島さんは久々に母校の村野工業高校を訪れた。

「校内を移動するたびに生徒がきゃあきゃあ喜ぶ。そんな光景を見て何か思うところがあったのか、それまで出身校のことなどほとんど言わなかった上島が、それ以来、村野工業高校出身ということを前面に押し出すようになったんです。テレビ番組をきっかけに母校愛に目覚めたのかもしれませんね」(同)

工業高校ゆえペーパーテストばかりではなく工作や実験などの実技学習が多い。生徒の習熟度を見ていく必要性から、伝統的に担任が同じクラスを3年間持ち上がるという。それだけに生徒との信頼関係は緊密になるのだ。

「野球、ラグビー、柔道など、スポーツの得意な生徒が多かったが、彼は運動は苦手。それでもいじめられるようなことはなかった。なんでも丁寧にまじめにやる子でした。掃除当番なんてよくさぼる生徒がいるのですが、彼は絶対にさぼらず、丁寧に黒板を雑巾で拭いたりしていました。タバコを吸ったりなどの校則違反もまずない。ほっておいても全く心配のない生徒でしたね」(同)

2008年に志村けんさん主宰の「志村魂」の舞台が神戸であり、上島さんが「先生、来てください」と連絡してきた。

「妻と見に行きました。そのあと、楽屋にも招待してくれました。志村さんは上島のことを『芝居に魅力がある』と褒めてくれました。嬉しかった。本当に彼を買ってくれていたんですね。志村さんとのアドリブも面白かった。志村さんが『先生が持ってきたピロシキはおいしかったな』と言うと、ダチョウ倶楽部のメンバーが『オカンの持ってきた食べ物は、もう一つやった』なんて返していました。観客は大笑いでした」(同)

東京に行って俳優になる

上島さんは高校時代、周囲を笑わせるような存在では全くなかったという。

「そういう生徒は別にいたんです。上島はそんなことは全然せず、賑やかだったり目立つようなことはなかった。スポーツが苦手なせいか、クラブ活動もせず帰宅組でしたよ」と柏木さん。級友によると、運動神経はいまひとつで、体育の授業で勢い余って跳び箱に突っ込み、バラバラに崩れて大笑いになったという。

「わざとやったのではなく、跳べなかったんです」(同)

社会科担当の柏木さんは当時、世界史や政治経済など社会一般を教えていた。

「彼は理数系こそ苦手でしたが社会系は得意で、全体の成績も中の上のほうだったと思います。当時学校では『進級留め置き』といって一定の成績に達しない子は留年になるのですが、上島をはじめ私のクラスは成績がよく、幸いそういう生徒はいませんでした。ちょうど学校も、進学に力を入れ出した頃でした」(同)

卒業の時、上島さんの母親とともに「三者面談」を開いて進路を決めた。「芸能の道に進みたい」ということだった。

「お母さんも後押ししておられて、東京の俳優養成学校のようなところに入りました」(同)

志村さんを亡くして寂しかったのでは

最初の10年くらいは鳴かず飛ばず。東京で就職した仲のいい級友を頼って、よく下宿に転がり込んだりしていたと聞いた。心配していたが、何年か経って、ある教え子が「上島、結構売れてますよ」と言い出した。

「あれよと言う間にお茶の間の人気者になり、もうびっくりでしたね」(同)

1年半前の突然の電話に柏木さんには一抹の不安はあったが、まさかの悲報だった。

「飛沫が飛びまくるような舞台芸も多いので、コロナで制限もあったのでしょうが、今後もNHKのドラマの出演予定などもあり、仕事がなくなって困っているわけではなかったのでは。想像ですが、やはり一昨年の春に志村けんさんがコロナで亡くなったことを彼は引きずっていたのではないかという気がします。上島を一番買っていてくれた人なので、衝撃だったはず。志村さんも彼も酒好きで、よく付き合っていたそうです。志村さんが亡くなった後は、コロナの制限もあって、酒の相手してくれるのがほとんど奥さんだけになったのでは。愚痴なんかの聞き役になってくれていたのでしょうけど」(同)

近々、柏木さんは当時の級友たちを集めて上島さんを偲ぶ予定だそうだ。「スポーツ系で迫力ある級友たちの中にあって、上島は可愛い顔してますでしょ」と語りながら、恩師は「79」(1979年卒業のこと)と題された卒業アルバムに見入っていた。

在校生に「遅刻するなよ」のメッセージ

村野工業高校は男子校の名門校である。上島さんが在校中の1978年を含めて、春の甲子園に2回と夏に1回出場している。強豪ぞろいの兵庫県では甲子園に出るだけでも大変な快挙だった。ラグビーでも全国に名を馳せた時期があった。

現教頭の前田徳彰さん(63)によると、2008年6月にNHKの『あほやねん!すきやねん!』というバラエティ番組で母校訪問のコーナーがあり、上島さんが来てくれた。

「当時まだ校舎などは昔のままで、上島さんは『廊下なんかも昔のままや』などと言って本当に懐かしがっていました」(前田教頭)

前田教頭が世界史の授業をして、クラスの生徒に交じって上島さんも生徒役をするという内容での撮影だった。

「事前に私が古代世界史の講義をするといった程度の打ち合わせはしましたが、結構難しい質問にも上島さんが正答したので驚きました」と振り返る。

「さぞかし賑やかな芸人と思いきや、打ち合わせの時などは、すごく物静かな人だという印象で、テレビの印象とは全く違いました」(同)

それでも撮影に入ると、眉を細くしていたクラスの男子生徒に「どこで眉落してきたん?」などと突っ込んで、笑わせたり和ませたりしていた。

「生徒のために何か書いてくださいますか」と依頼すると、紙に「遅刻するなよ」と書いてくれたという。しばらく守衛室の前に貼ってあった。

将棋好きの一面も

前田教頭は「志村けんさんの『バカ殿』では、上島さんなしでは成り立たないほどの存在感を見せていましたね。今の在校生は、改めていろいろネットで調べたりしてすごい人気者だったことに驚いているようで、亡くなったことをとても残念がっていました。衝撃的な亡くなり方は、何が原因だったのかはわかりませんが」と語る。

級友だった坂口邦男さん(61)は「当時はヤンキーの学校で有名でしたが、上島は目立たないおとなしい男でした。といって、いじめられることもなかった。特別、親しかった友達もなかったかもしれない。僕も家に行き来したことがある程度です」と話す。

「上島は将棋が好きで、ものすごく強かった。当時、近くの滝川高校に将棋の谷川(浩司)さん=九段・永世名人資格=がいて、ある時、対局したそうです。『ボロンチョンに負けたわ』としょげて帰ってきました。僕と対局したら、向こうが二枚落ちとかで対戦するほど強かったのに。授業中でも、ポケット将棋やったり、詰将棋やっていましたね」(坂口さん)

車に興味を持つ年頃でもある。

「上島は『絶対RX-7が欲しい』と言っていた。おとなしい男があんな派手なスポーツカーを欲しがっていたのが意外でしたね」と坂口さん。

卒業の時、坂口さんが「お前、仕事どうすんねん?」と聞いたら、「劇団員になりたい。でも、劇団四季を受けたけど落ちたので、東京の専門学校に行く」と言っていた。

「その後、どうなったかもわからなかったけど、何年か経ってから、テレビに出ていてびっくりしました。俳優とかでなくコメディアンだったし。有名になってくれたのが僕ら同級生の自慢でしたけど、ある時、同窓会名簿を見たら住所も書いてなかった。芸能人としていろいろ制約もあったのかな」(同)

自慢の級友の突然の死に、坂口さんは「コロナで舞台芸もやりにくくなったんでしょうけど、最近も『真犯人フラグ』(日本テレビ系列)というテレビドラマにも出てたし、まだまだ売れっ子やったので、死ぬような理由があったとは思えない。いったい何があったのか、本当に残念です。今回の上島のことで、長年会っていなかった同窓生と連絡とりあったりしています。すごく寂しいけど、彼がつないでくれたのでしょうか」と話す。

コロナ禍や海外の戦争でモヤモヤした不安な時代、まだまだお茶の間に一服の笑いをもたらしてくれたはずの男の冥福を祈りたい。

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相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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