エイサー祭りで「恥さらし」と叫ばれ...大阪市大正区の男性が「沖縄人として日本人を生きる」境地に至る道のり

エイサー祭りで「恥さらし」と叫ばれ...大阪市大正区の男性が「沖縄人として日本人を生きる」境地に至る道のり

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  • 更新日:2022/05/14
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金城馨(きんじょう・かなぐすく・かおる)/1953年、コザ(現沖縄市)生まれ。近著に『沖縄人として日本人を生きる』(解放出版社、2019年)/(撮影/編集部・渡辺豪)

横浜市鶴見区や大阪市大正区をはじめ、全国各地には働き口を求めて移住し、助け合いながら築いた「沖縄タウン」がある。そこで生きる人々の思いや「沖縄人」としてのアイデンティティーを取材した。AERA 2022年5月16日号の記事を紹介する。

【写真】横浜市鶴見区の沖縄タウンにある創業36年の「おきなわ物産センター」*  *  *

住民の約2割が沖縄出身者とされる大阪市大正区。その中心エリアにある平尾本通商店街には「めんそーれ」の横断幕やシーサーのフラッグが並び、沖縄食材を扱う商店もある。

この地で40年近く、「沖縄」のシンボル的存在として活動してきたのが、「関西沖縄文庫」を主宰する金城馨さん(68)だ。

■日本人になろうとした

1953年に沖縄のコザ(現沖縄市)で生まれた。1歳のときに両親と尼崎市へ移住。戦前から沖縄出身者が集まって暮らす地域で、「沖縄差別」を初めて意識したのは小5のクラス替えのあいさつのときだったという。

「出身は沖縄です」と自己紹介すると、教室がざわついた。「あいつ沖縄やで」。沖縄は日本と違う、違いが差別につながる、と知った瞬間、「違い」が恐怖になった。次第に出身は「尼崎」と言うようになった。

「友だちと会話をしていてもずっと神経を使っていて、この流れはやばいなと思ったら、さっと話題を変えるんです。子どもっぽくなかったと思います」(金城さん)

三線を弾いて沖縄民謡を歌い、沖縄の言葉で会話するのは「野蛮で下品なこと」と感じ、周囲の大人たちの生活スタイルを「恥ずかしい」と思っていた。

金城さんは高校時代に級友と「差別問題研究会」を立ち上げる。あえて差別に向き合ったのはなぜなのか。

「日本人ではない親たちをバカにして、日本人になろうとしていた自分は親たちを否定していたわけです。自分が差別から逃れようとすればするほど、自分も差別する側に回っている。自分の中にそんな、ドロッとしたものを感じていたからだと思います」(同)

金城さん自身も、「沖縄」から逃れられなかった。差別問題研究会で同年代の在日コリアンに講話を依頼することになり、定時制高校を訪ねた際、リーダーの一人の沖縄出身の生徒からこう言われた。

「お前ええかっこするな、沖縄人やろが。沖縄のことせんで朝鮮のことすんな」

「自分は何者なのか」と自問自答を続けていたとき、大阪市内のイベントで同年代の沖縄出身者たちと知り合った。彼らが中心になり、74年に結成した「がじゅまるの会」(現がじまるの会)に金城さんも参加。自分たちの文化への自信を取り戻そうと、同会が75年に大正区で開催したのが「エイサー祭り」だ。

■「リキジン」と呼ばれて

このとき会場から「沖縄の恥さらし」と怒鳴り、石を投げてくる人がいた。親世代の沖縄出身者だった。金城さんは、差別から逃れるため、「沖縄を隠してきた」世代との距離をあらためて感じたという。

だが、この言葉が先人の足跡をたどるエネルギーになる。

「最初は、沖縄人としての誇りを失っているのか、と反発を感じました。しかし、よく考えると、沖縄人としての自覚を失っていないからこそ、『恥さらし』という言葉が出てきたのだと気づいたんです」(金城さん)

28年に尼崎市で生まれた、金城さんの父親は、よりダイレクトに沖縄差別を体験した世代だ。「リキジン」と呼ばれていじめられた記憶を鮮明に焼き付けていたという。

「琉球人を縮めた言い方です。親父はそう呼ばれたときの悔しさをずっと抱えていました」

「琉球人お断り」の貼り紙が出され、就職もアパートを借りるのも差別を受けた。そうした日本人の差別にさらされ、助け合って生きるしかなかったため、各地に沖縄出身者のコミュニティーが作られたのだ。

■名字を沖縄読みに戻す

大正区で開いたエイサーに「恥さらし」と叫んだ親世代の沖縄出身者の内面は、日本社会の差別と暴力によって生み出されたものだ。その事実を踏まえた上で、先人たちの間違いを「違い」として受け止めていく必要がある、と金城さんは考えた。

沖縄出身者はかつて、沖縄固有の名字を日本っぽく改めたり、読み方を変えたりすることも少なくなかった。

金城さんは名前を変えるのはよくないと思っている。しかしそれを「間違い」だと否定するのではなく、それも生き方の一つとして受け止めなくてはならない。そう考え、「一歩一歩、自分たちが沖縄のままで生きる方向に進む」ため、自身の名字も、沖縄読みの「カナグスク」へ戻すことを決意する。とはいえ、日本人に同化している自分が名前だけ「カナグスク」と名乗っても通用しない。でもいつかは、「カナグスク」という自分の名字と身体を一致させたい。だから今は過渡期として「キンジョウ・カナグスク・カオル」と名乗り、自分と社会に変化を起こそうと考えている。

沖縄人の自分と、日本人の自分。そのどちらにも自信がもてず、沖縄人と日本人の二つを生きていた金城さん。還暦を過ぎてたどり着いたのは「沖縄人として日本人を生きる」という境地だ。関西沖縄文庫には日々、沖縄出身者や沖縄を知ろうとする人たちが通い、熱い議論を交わしている。金城さんは言う。

「ここは『日本の中の沖縄』の最前線だと考えています」

(編集部・渡辺豪)

※AERA 2022年5月16日号より抜粋

渡辺豪

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