日本の存続を可能にした万世一系の天皇の存在

日本の存続を可能にした万世一系の天皇の存在

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  • 更新日:2021/07/23
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眞子さまの結婚問題は日本の歴史の大きな転換点となる(2020年2月23日撮影、写真アフロ/AP)

歴史の教えるところは、国家の存続を揺るがす状況が出現すると、日本の正統性を質す国史が編纂され、あるいは著述されてきたということである。

「日本の正統性」は、いうまでもなく天皇と皇室にかかわる問題である。

共産主義国家ソ連が出現し、コミンテルンが天皇制打倒を掲げると、日本は大陸で脅威を食い止めようと努力する。この理論的支柱ともなった一書が『日本二千六百年史』(大川周明著、昭和14〈1939〉年刊)である。

出版直後は軍部や右翼の一部から「国体違反」や「不敬」などと批判されて「不敬罪」部分の削除を迫られた。

戦後はGHQによって追放図書とされていたが、削除部分も復原した新書版が上皇陛下の譲位表明(平成28年8月8日)から1年余後の平成29(2017)年10月に発行された。

また御代替わりを前に『日本国紀』(百田尚樹著、平成30〈2018〉年刊)が上梓されてベストセラーとなり、今秋には加筆した文庫版が計画されているという。

上皇陛下が象徴天皇とは何かを考えつくされた挙句の「譲位」決意は歴史上の画期であり、国民が関心を抱いたのは当然であろう。

他方で、眞子内親王殿下と一般男性との過去に例のなかった結婚問題があり、皇室の将来と日本の正統性に危惧の念が上がっていることも関係しているに違いない。

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正統性確認のための国史などの編纂

以下、主として『日本二千六百年史』を参照しながら記述する。

乱世の世において、日本は国史を編纂して皇室の正統性を確認してきた。皇室こそが日本の芯柱と位置付けられてきたからである。

乱世の原因は外国との戦争もあり、また国内における豪族や武家の台頭などもあった。

国史の編纂という大作業を最初に行ったのは聖徳太子で、『天皇記』「国記』などであった。蘇我氏の台頭が国を誤らせる危惧からであったが、大化の改新(645年)によって蘇我氏と共に散失してしまう。

天武天皇の時に改めて国史編纂が始まり、約40年後の元正天皇の御代に完成したのが『日本書紀』(720年)である。この間には伝誦を撰録した『古事記』(712年)も完成する。

平安朝では蘇我を滅ぼすのに力を貸した中臣鎌足が藤原姓を賜り専横を極め、建国の精神や国体の本義を明らかにする国史の尊重を好まなかった。

しかし、天皇の復権を目指すために日本書紀の講義が繰り返し行われ、平安末期の白河上皇の時には一層盛んになり、新たに『本朝世紀』の撰述も見る。

また、広く膾炙されているのは後醍醐天皇の回天の事業としての「建武の中興」(1334年)である。

挫折はしたが日本精神の勃興を目指したもので、この時には北畠親房による『神皇正統記』が実を結ぶ。

応仁の乱((1467~77年)後は世が一層乱れる。ために後土御門天皇によって『日本書紀』の講義が再興し、親王・公家をはじめ、地方の豪族や学者も招聘して聴聞させられる。

徳川氏も史学を奨励し、水戸藩が『大日本史』を編集するなどして、明治維新を迎える。

日清・日露・第1次世界大戦と勝利するが、国家の存立を危うくする天皇制打倒をテーゼとした共産主義思想に立ち向かう必要が出来し、出版されたのが『日本二千六百年史』である。

改訂新書版が平成29年に出版され、その1年後には百田氏が『日本国紀』を世に問うた。

長く行われなかった譲位、そして一般の男子が皇室に入るかもしれない画期で、国家のあり様と皇室の正統性を改めて問うているようである。

苦闘の末の「万世一系」の維持

国家の草創期においては皇位の安定を豪族との姻戚関係で強化したが、豪族による簒奪の危惧は絶えなかった。

推古天皇の皇太子となった聖徳太子は、自身も蘇我の血を引いていたが、天皇中心に豪族を協力させるべく冠位十二階制を取り入れ、十七条憲法を制定された。

また先述の『天皇記』などのほかに、『臣連(おみむらじ)、伴造(とものみやっこ)、国造(くにのみやっこ)、百八十部(ももあまりやそとも)並びに公民(おおみたから)どもの本記』を撰集された。

しかし、蘇我稲目が娘たちを欽明天皇の皇后として送り、孫が次々に天皇位に就き、他方で蘇我は財政監督の任にあって、その下には出納記帳を取り扱う秦漢帰化人の子孫が多数おり、易姓革命の考えが蘇我に政権欲をそそり立てるようになっていく。

皇室の危機をとみた中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足と謀って蘇我の勢力を討って大化の改新が行われる。

奈良時代は仏教が栄え、僧侶の弓削道鏡が病気治療の孝謙上皇に接近したことから事件が起きた。

淳仁天皇が上皇と道鏡のただならぬ関係を諫めると、上皇は淳仁天皇を廃し称徳天皇として重祚される。

和気清麻呂の宇佐神宮から「天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という神託を持ち帰り解決したが、皇統存続の最大危機であった。

平安時代になると藤原氏を武士が支え、「藤原氏の爪牙たりし源氏一門の武威は、皇室をして深き警戒を加えしむるに至った」。

そして平安末期に木曽の山中で育った源義仲は北陸の野武士を従え京都に侵入し、あらん限りの乱暴狼藉を働き、挙句に御輿に散々矢を射るが「是は帝にて渡らせ給ふぞ」との一言に、悉く馬を下りて畏まったという。

「天皇法王の前には、唯だ拝伏する他、何事も為し得なかった」というわけである。

武家政治の棟梁として幕府を開く源頼朝は「美味を嘗めては先ず之を君に供えんと思い、珍貨を得ては先ず之を君に献ぜんと欲し、臣下に向かっては常に尊皇の大義を忘れてはならぬ」と訓戒していた。

国家的統一のなかった室町時代を経て世は戦国時代となる。

この間、御奈良天皇などは皇室の貧窮を顧みず、「万国治平・百蕃帰服・朝廷再興」「海内静謐・朝廷再興」などと日記に書きつけられたという。

そうしたところに「織田信長出でて皇室を再興し、天皇を奉じて天下に号令し、豊臣秀吉その後を承けていよいよ皇室を尊崇し、国民をして再び天日を仰がしめた」。

徳川氏も先述のように国史の研究を促し、「国民をして国体の本義を反省せし」めたことは言うまでもない。

こうして、日本においては長い歴史をかけて、天皇の権威が確立され、政治的混乱があっても国家の安泰と存続が維持されたのである。

占領行政に天皇を活用した米国

天皇が日本の権威であることを見ぬいたのは、マッカーサー(というより米国?)の慧眼であった。

そこで占領行政をスムーズに行うためにマッカーサーが「青い目の大君(タイクーン)」として君臨した。

戦力比に劣った日本ではあったが4年近くも健闘し、武運拙く敗戦して武装解除の段階に至ったが、いまだ300万超の兵力を温存していた。

タイクーンではあっても戦々恐々である。ここは日本軍の大元帥であった天皇を人質として利用しながら占領行政を行うしかないと見た。

マッカーサーの忠実な部下はバターン・ボーイズと呼ばれた7人であるが、その一人にエジプト大使館付き武官であったボナー・フェラーズ准将がいた。天皇・マッカーサー会談時に玄関先で天皇を迎えた人物である。

彼は「15年先、20年先に天皇制があろうがなかろうが、天皇個人がどうなっていようが関心はない。占領期間中は天皇制も存続すべきだ」と語っている。

実際、改正憲法案の押し付けに、天皇の安全を言葉にしたことが知られている。

天皇を利用して日本の骨格を形成していた憲法を改正させ、天皇・皇室のあり様を規定した皇室典範も改変させるなど、ハーグ陸戦規定が禁止していた国家主権を侵害するような変革を次々と行っていった。

僅かに6年余の占領期間であったが、改正困難な硬性憲法を押し付け、しかも自らが押し付けた憲法の各種「自由」にも反する統制を検閲で行うなどした結果、戦後75年を過ぎた今に至るまで、日本でありながら日本でない状況に置かれ、すっかり米魂米才の日本と日本人になってしまった。

日本が古代から続く心を取り戻すためには、今一度天皇を取り戻し、米魂米才をご破産して古代に芽生えた和魂和才を基底に置く必要があろう。

そうした意識の高まる時期に行われたのが譲位による御代替わりと、内親王の結婚問題の出現である。

臣籍降下と入内

増えすぎる皇族が臣籍降下して他家を相続し、また他家に嫁し、あるいは僧門に下ることはあった。

また一般女性が皇室に迎えられることもしばしばあるが、道鏡が退けられたように、一般男子が皇室に入ることは予測もされてこなかった。

GHQの政策がもたらした結果でもあるが、皇族に親王の誕生が少なく、皇位継承が危惧されている。

そのために、女性宮家(や皇女)の創設が案出され、後々これらから天皇が擁立されるとしても、万世一系に変わりなく、日本の国体(現在、この用語はないが)は維持されるとした。

この時点での女性宮家に入る婿は暗黙裡に旧宮家男子など皇族の血を引く男性とみなされていた。

ところが、旧宮家と縁もゆかりもない小室圭氏の登場で、女性宮家の創設は国体に変革をもたらしかねない危険になってしまった。

この男性を元衆議院議員で現在皇學館大学講師の村上政俊氏は「どこの馬の骨とも分からないもの」と呼び、東洋学園大学教授の櫻田淳氏は「田舎から京に上った〝下々の男″」の寓話を持ち出して語っている。

有識者会議の答申、それを受けた内閣の決意次第では悠仁親王殿下の後々の皇位に、何らかの事情によって、この男性の血筋からの即位がないとも限らない。

その時、何千年にもわたって姓がなく名に「仁」が付いた「万世一系の天皇」を頂いてきた日本の歴史は終わり、小室家天皇が誕生する。

フェニミズムや男女同権などという近代思想の産物で、日本の歴史になかった「女系天皇」を容認し、また目新しさに魅かれて「女性宮家」や「皇女」制度を創設していいのだろうか。

旧宮家の血を引く作家の竹田恒泰氏は「女性宮家を吹っ飛ばした小室氏の力」と皮肉たっぷりに語るが、女性宮家などの危険性が露呈したと言えるだろう。

おわりに

日本の正統性は神代から連綿と続く万世一系の天皇の存在にある。

一昨年の御代替わりでは194の国と地域からの王侯貴族や大統領・首相らの賓客、また国際機関の代表を迎えて、古式豊かに式典が繰り広げられた。

もちろん、誰一人として時代遅れと言うものはなく、これほど素晴らしい歴史と伝統を持つ国はないと見、羨ましく思ったに違いない。

昨年から現在に至るまで、日本ばかりでなく地球上のあらゆる国が新型コロナの蔓延という災厄に苦しんでいる。

今上陛下は皇居にあって世界の人々がこの災厄から一日も早く解放されることを願われているという。

史書の編纂が行われるのは時代を画する時であることを歴史が教えている。『日本二千六百年史』「日本国紀」も個人の著述であるが、筆者は国史にも匹敵するものとみている。

前者が再刊され、後者が再編集されて上梓されることは、御代替わりへの関心の大きさと同時に、内親王の結婚問題が危惧されている証左ではないだろうか。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」ともいわれる。いまほどこの言葉を噛みしめなければならないときはない。

森 清勇

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