“江川、角栄、ハイセイコー”
今年で95回目を迎える選抜高校野球。今も「高校野球史上最高の投手」と呼ばれる作新学院・江川卓が大会新の60奪三振を記録し、“怪物”と騒がれたのは、ちょうど今から50年前、1973年のセンバツだった。【久保田龍雄/ライター】

作新学院のエース時代の江川。好打の北陽高校から19三振を奪った
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世相にちなみ、“江川、(田中)角栄、ハイセイコー”と並び称された剛腕が、甲子園で初めてベールを脱いだのは、3月27日、開会式直後の第1試合、北陽戦である。
前年夏の地区予選で3試合連続ノーヒットノーランを記録した江川は、すでに「栃木にすごい投手がいる」とマスコミを通じて、全国にその名が浸透していた。だが、1年秋、2年夏と不運な敗戦が相次ぎ、なかなか甲子園とはご縁がなかった。
そんな紆余曲折を経て、「高校時代で一番速かった」といわれた2年秋の関東大会では、準決勝の銚子商戦で被安打1の20奪三振を記録するなど、怪物の名にふさわしい実力を十二分に発揮し、関東の王者として初めて“聖地”にやって来た。
相手チームの監督は「完敗です」
当時中学入学前の春休みを過ごしていた筆者も、「噂の怪物をひと目見たい」一心で、北陽戦のテレビ中継にかじりついていた。出場30校中最高のチーム打率.336を誇る北陽打線を相手に、江川は初回の先頭打者から5者連続三振と、噂に違わぬドクターKぶりを披露する。
北陽の各打者は追い込まれると、江川の高めストレートに手を出し、空振り三振に打ち取られた。打者が高めに狙いを定めても、ボールがそれ以上にホップして、バットの上を通過してしまうのだ。
子供心にも、これまで見てきた甲子園の好投手たちとは明らかに格が違って見えた。球審から新しいボールを渡されるたびに、帽子を脱いで一礼する礼儀正しさも印象的だった。
終わってみれば、19奪三振の4安打完封。試合前「江川、江川と言うが、まだ高校生」と自信をのぞかせていた北陽・高橋克監督も「完敗です。途中から短打打法に切り替えたが駄目だった」と脱帽するしかなかった。
江川は2回戦の小倉南戦でも、7回で降板するまで内野安打1本の10奪三振を記録。小倉南・重田忠夫監督も「高めに来る球に手を出すなと話したが、みんな引っかかってしまった」とお手上げだった。
「いかにして江川を打たずして勝つか」
さらに江川は、準々決勝では今治西を7回1死までパーフェクトに抑え、被安打1の20奪三振でねじ伏せる。今治西・矢野正昭監督は「もう1回やっても打てる気がしない」とうなだれた。
そして、センバツVまであと2勝に迫った作新の準決勝の相手は、古豪・広島商だった。技巧派左腕・佃正樹が3試合連続完封を記録も、打線は3試計12安打5得点のチーム打率.154。数字だけを見れば、江川を打ち崩すのは、至難の業に思えた。
迫田穆成監督も「あれだけの投手を打ち崩す作戦だなんて、今さら何をやっても通用しないですよ」と予防線を張ったが、胸中には秘策があった。
それは「いかにして江川を打たずして勝つか」だった。
2ストライクまでは待球戦法を取り、ボール60個分に設定したストライクゾーンのうち、手を出していいのは、外角低めギリギリの1個分だけ。たとえ2ストライクからど真ん中の球が来ても、「三振してもいいから見逃してこい」と指示した。
この結果、外角低めだけを意識した打者は、自ずと高めに手を出さなくなり、当然江川の球数も増える。迫田監督は5回までに100球以上投げさせれば、江川が疲れはじめる6回以降に勝機が生まれると読んだ。
4月5日の準決勝、広島商の各打者は、江川に内角を突かせないよう、ベースに覆いかぶさるようにして、ウェイティングに徹する。江川は初回に2三振を奪ったが、いずれもフルカウントから。高めに手を出さない広島商打線に手を焼いた江川は、2回にもフルカウントから3連続四球。これほど苦しむ江川を見るのは初めてだった。
「野球はやっぱり記録じゃないですね」
だが、5回に作新は1点を先制。「これで勝った」というムードになったが、その裏、広島商も執念の粘りを見せる。
1死から達川光男が四球。2死二塁で9番・佃があえて江川の高めを強振し、球速に押されて詰まりながらも右前に落とす。この瞬間、前年秋から139イニング続いた江川の無失点記録が途切れた。
2007年に他界した佃氏は生前、この場面を「作新は前の回に1点入れて、江川も“勝負あった”と思ったのでしょう。なめていたわけではないのでしょうが、“点は取れたし、下位打線だし”というちょっとした気持ちの変化があったのかもしれませんね」と回想している。
5回を終わって江川の投球数は104。「100球以上」の目標をはたした広島商ナインは「イケる!」と自信を深めた。そして、1対1の8回2死一、二塁、広島商は重盗の奇襲で、捕手の三塁悪送球を誘発させ、2対1と勝ち越し。「江川を倒すにはこれしかない」という一か八かの作戦がズバリ的中した。
被安打2、奪三振11ながら、8四球を許した江川は「野球はやっぱり記録じゃないですね。一人相撲を取っているうちは、“沢村(栄治)2世”“記録男”という評判と人気が恥ずかしいですね」と反省の言葉を口にした。
一方、見事江川を一敗地にまみれさせた迫田監督は、準決勝が雨で順延になった前日にも、「このくらいの雨だったら、絶対試合をやりたかった」と残念がり、「雨の中ならどんなことが起こるかもわからない」と、雨を味方につけた江川攻略法をほのめかしていた。
はたして、同年夏、江川は銚子商との雨中の延長戦でコントロールを乱し、サヨナラ押し出し四球で敗れ去った。その後の野球人生でも“敗れても記憶に残る男”でありつづけた江川の原点は、50年前のセンバツの広島商戦だったように思えてならない。
久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)
デイリー新潮編集部
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